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Apr 2, 2007
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カテゴリ:心理・思考
何気ない言葉に悪意を忍ばせるヘボメガネ一進一退 さま】

私は、自分に向けられた言葉からありもしないような悪意を勝手に読み取ってしまうようなことが多いように感じている。その中には言葉じたいは、そのまま受け取ることができれば、むしろ好意的にさえ感じられるものもあったりする。

ネガティブ思考で、普段から、どこか穿ったものの見方をしがちだという自覚くらいは持っているので、せめて向けられた言葉から何か嫌なものを感じ取ってしまったら、できる限り、その時点で否定してみるようしてみている。


向けられた言葉、言及された事柄に悪意が込められているのかどうか、発した本人以外はわからないと思う。それがはっきりとわかるようなものでないのなら、とりあえず、判断を保留して決め付けないでおくのもありだと思う。

一度、悪意と認定してしまうと、それを機にいままで気にしていなかったものまでそういう目で見るようになってしまうようなことにもなりかねないので。


また、悪意とまでいかなくても、否定的なニュアンスを感じ取ってしまったものを辿ってみると、相手がという以前に、自分自身にそのことに対するコンプレックスや、否定的な認識が前提にあったということもあるように思える。

相手は、そのことが相手に不快にとられるとは知らず、言ってしまったのかもしれない。それくらい察してほしいと思うこともあるのだけど、自分がろくに空気も読めなければ、相手の状況を察するのも苦手なのに、相手にはそれを求めてしまうというはちょっと虫がいいようにも感じる。



とはいっても、やっぱりひっかかるものはひっかかるし、断定とまでいかなくても、なんとなく自身に向けられる否定的な何かを感じ取ってしまうこともある。とりあえず、一緒に笑っておこうとして、内心笑えなかったり、笑顔がひきつっていたこともあると思う。

否定しても、否定しても、一度読み取った悪意を消しきれず、そればかりかかえって逆効果になってしまったことさえある。

元がもとだからなのか、否定したり、ごまかしたりするにしても限界はあるのだけど。

でも、だからこそ、自分をごまかせる限りでは、気づかない振りをして流しておきたい。

少しでも悪意や不快感を心に残さないために。






Last updated  Apr 3, 2007 12:18:51 AM
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Mar 29, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
○○を名乗ったらkg's fragさま】

私はまだ、ネット上では、特にこれといった何かの所属というか、属性みたいなものを明言したことはないような…あ、オタクっていうのは言ってたかもしれない。

とはいっても、ネット上でオタクを名乗るのなら、買った、オタクアイテムを写真つきでレビューしたり、好きな作品に対する思いや自分の萌えに対するこだわりを熱く語ったりとかしないと…みたいな意識を持ったこともあってか、最近は自己認識がかなりぐらついていたりするんだけど。


まあ、それはともかくとして。

特に自分では所属を明らかにしていないつもりでも、その所属に関する記事を一定期間書き続けていると、読み手の人たちからはいつのまにかその所属の人だと認識されてたりするようなことはあると思う。

あとはニュースサイトとかみたいに更新の形式が独特だったりすると、そういう形式で更新した時点で自然と所属認定されてるなんてこともあるのかもしれない。どちらも、場合によっては書いている本人の自覚と関係なしに認識されたりもするのだろうけど。


私自身、言及形式というか、誰かの記事に反応するような形で記事を書くスタイルを続けているので、なんとなく感想サイトもしくは反応サイトみたいな認識を持たれているような気がしているし、もし自分のブログを簡単に紹介するならそう説明するとは思う。

ただ、私はきちんと「感想(反応)サイト」と名乗れるほどのことはできてないんじゃないかと思っている。そもそも、ちゃんと言及できているのだろうか…と。

なんというか、私はリンクしている記事を自分語りのきっかけにしているだけのような気がしていて、言及先ときちんと向き合得てないんじゃないだろうか、と。それがトラバをほとんど送らない(というより送れない)理由の一つにもなっていたりしている。


せっかくだから、自信を持ってトラバを送れるようなもの書いて言及先に返してあげたいとか思うこともあるのだけど、できあがってくるものをみるに、どうにもなかなかうまくいかないみたいで……。






Last updated  Mar 29, 2007 11:54:08 PM
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Mar 27, 2007
カテゴリ:趣味・オタク
それでもボクはオタクじゃない大須は萌えているか?さま】

趣味がオタク方面という事もあって、オタクっぽそうな雑談をしたりすることも多いし、たぶんオタクじゃない周囲の人からは、完全にオタクだと思われているんだろうな、とぐらいには感じる一方、その趣味に対する浅さ、熱のなさみたいなものも自覚しているから、

「みんな私の事、オタクだと思っているんだろうけど、でも、これで堂々と「私はオタクだ」なんて言ったりしたら、生粋のオタクに失礼だよな。「お前はみたいに、上っ面だけみて満足してしまうよう奴と一緒にするな」とか言われそうだよな」ぐらいのことは良く思っていたりしている。


でも私は、自分を「ミーハー」と言い切ってしまうのにも、なんか抵抗があったりする。私にはかつて、「自分はオタクだ」と勝手に思い込んでいた時期もあったから、オタクとしての底の浅さを痛感し、オタクとしての自意識も揺らいでいる今でも、心のどこかでは、自分はオタクのつもりなのかもしれない。未練がましいといえば未練がましいようにも思える。

実際に、自他共に認める生粋のオタクから、「一緒にするな」みたいなことを言われたことがないから踏ん切りがつかないのだろうか…。それもどうかと思うけど。


しかし、「オタク」でも「ミーハー」でもないのなら、今の私はなんなのだろうな…。今の自分にしっくり来ることばが見つからない。「チョイオタ」っていうのもなんか違う気がするし…。

私がまだ、かろうじて「オタクのつもり」みたいな感覚を持っていられたりするのは、あるいはこういう所にあるのかもしれないな。次がみつかるまでとりあえず保留…というか。理由づけのような気もしなくはないんだけど。






Last updated  Mar 28, 2007 12:00:47 AM
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Mar 25, 2007
伝わらない力SueMe SubLogさま】

私は伝わって欲しいとよく思っているし、自分の思ったこと、考えたことが少しでも伝わるように書いているつもりだ。

「伝わった」って思ったときは、なんか胸のつかえが取れたような、そんな感じがしてすっとする。もっと、自分の思っていることをスムーズに伝えられたらいいのにというのは、私が切実に思っていることの一つだ。


ただ、最近、書いた通りには伝わらなかったからこそ、得られるものというのもあるんだな…と思うことが出てきた。

自分の記事への反応を読むと、時々、「こんなこと書いたかな?」と思って、反応された記事とその人のコメントとを合わせて読み直すことがあるんだけど、そういう時、読み直してから、新たな発見というか、「気づき」みたいなものをもらえることが多い。

それとともに、そこから、自分が書いているときには考えもしていなかったこと、自分が書いたことよりもさらに一歩先のものを、自分が書いた文章から得られたように思えて、妙に嬉しい気持ちになる。

もしかしたら、それは、私が勝手に自分の都合のいいように相手の言葉を解釈しているだけなのかもしれないし、「書いたこと以上の意味を文章から読み取られる」ということは、そういいことばかりでもないのだろうけど。


何というか、自分の思ったとおり、書いたとおりに伝わらなかったとしても、それは必ずしも悪いことばかりでもないんだな…とそう思えるようになってきた。

コミュニケーションをとるのが苦手なせいか、伝わえられなくて、いもどかしさを感じることは多いのだけど、伝えることばかりに拘泥するあまり、自分の伝えたかったこと以外の解釈を切り捨ててしまうのは、もったいないというか、それもどうなのかな…と。






Last updated  Mar 26, 2007 12:05:25 AM
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Mar 23, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
ブログを書く価値・感想を書く価値tukinohaの絶対ブログ領域さま】

日々カウントされていくカウンターの内訳を知るまでもなく、ここに訪れた全ての人が満足して帰ったなんて思えるほどの自信家でもないから、多分、毎日何人かには無駄足を踏ませてしまっているのではないかな…とは思う。

と同時に、どこかにはこの場所にそれなりの価値を見い出してくれた人もいるんじゃないか…とも思ってはいるのだけど。


ただ、私は、「自分の記事の価値はあるのか?」との問いには「価値を決めるのは読んだ人だから」ということにして、記事への評価は半ば投げっぱなしにしてしまっている部分があるかもしれない。

「誰に向けて」となると、まず「自分へむけて」となるから、ついつい自己満足のみに終始しがちで、これらのことをどこかで免罪符にしていないとも言い切れない。


どんなブログにも常連さんがいるはずで、ということは、そこに価値を感じてくれる人が、どんなブログにもいるということに繋がると思う。そう、私のブログにだって、価値はあるはず。

でも、だからこそ、時々は問い直してみてもいいんじゃないか、とも思う。

今上げようとしているその記事は、果たして、誰かに見せて、残しておきたいものだろうか…。

一見さん、常連さんを、失望させてしまったりしないだろうか…。

半ば義務的なもの、なにより存在証明のみに終始したものになってはいないだろうか…と。


更新されれば、誰かが読みに来る。更新を心待ちにしてくれている人がいる。それは嬉しいことなのだけど、それに甘えすぎてもいけないと思う。

まあ、あまりに考えすぎると、それこそ目と耳と口を塞いで、ここから消え去りたくなってしまいそうでもあるので、あくまで自戒的なものとしてだけど。






Last updated  Mar 24, 2007 01:56:38 AM
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Mar 21, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
「日記を人前にさらすなんて!」琥珀色の戯言さま】

うーん、どうだろう。
私はいわゆる個人情報のような類とか、現実の自分や誰かとダイレクトに繋がってしまうような情報は危険だとは思うけど、「日記」そのものを晒すこことが危険だとは思っていないから、あまり実感が持てない。

確かに、日記には書いている人やその周囲の人たちの日常的な生活風景が含まれていることは多いだろうから、その中に現実の書き手やその関係者を特定できてしまうようなものが出てきてしまう可能性はあるとは思うけど、それでも公開用の日記の書き方みたいなものはあると思う。


ただ、それでも私はいわゆる日記そのものをネット上に公開する気にはなれなかったりする。

それは危険とかそういうことじゃなくて、誰かに見せる日記みたいなのはどうも書けないと感じているから。

見せる日記の場合、見られていると思うと簡単な出来事や、コネタぐらいしか書けなくなってしまうことが多い。多分、ひどくつまらないものになっていそうな気がするし、私自身、書いていてもあまり楽しくない。


私の場合、書いて残しておきたいのはその日の出来事ではなくて、そこから自分が何を考え、何を思ったか、の方だったりするので、それでは見せてまで書く意味がないように思える。

実は非公開の状態でなら、日記っぽい雑記も時々は書いていたりするんだけど、見せるために書いていた時のものとは、全くといっていいほど別なものになっているような気がする。

どうも、日記に関しては、誰も見てない状態じゃないと書きたいように書けないみたいで、多分、私にとって、そもそも自分の日記とは見せるものではないのだろうと思う。






Last updated  Mar 21, 2007 11:01:56 PM
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Mar 18, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
自分のブログを自分は見ないCONCORDEさま】

仕様変更で管理人のアクセスがカウントされなくなったので、今はそれほどでもないんだけど、かつての私は自分のブログに自分がアクセスするということにかなりの抵抗を持ってたな…。

私の場合、記事に関してはある程度「自分のため/自分向け」に書いている部分があるのだけど、カウンターの数字は「来てくださった回数」という意識が強いのためか、そこに自らアクセスすることが、(アクセスに)下駄を履かせているかのように思えてなんか嫌だった。

とにかく自分の足跡を(カウンターに)残したくなかったのだと思う。そのため、必要がない限りは管理画面ですませ、自分の記事を読むときも、編集画面で読むようにしていた。


何かのたびに過去ログを読みかえすこともよくあることだし、自分のブログを一番見ているのは間違いなく私自身だろう。

ただ、なんとなくそうわかってはいても、(アクセス解析から)それが可視化されるのが嫌だったのだろうと思う。なんか、自分の必死さを後ろから醒めた視線で眺めているような感覚がして、急に気分が落ち込むこともあったぐらいだし。

仕様変更されたことがきっかけでそんな気分からも開放されたのか、それ以降は(携帯からとか)カウンターが回る状態で自分がアクセスしても、さほどは気にならなくなったけど、それがなかったら多分、今も気になって、いまだに同じようにしてたんだろうな…。






Last updated  Mar 21, 2007 11:59:34 PM
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Mar 16, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
自分が心から楽しめる記事を書いて,それを好きな人に読んで貰いたい光集いし木蔭 さま】

私はどうも、承認要求というか、自己顕示欲が強いのか、ついついアクセス数とか、はてブのクリップ数とかの方に目がいってしまうところがあるようだ。まだまだ、そういった、数字の呪縛みたいなものにとらわれている面があると思う。

でも、私が今まで書き続けているのは、時々きたりする一過性の大きな反響とかのためではないではないと思う。確かに大きな反響をもらえたときは、自分が認められたかのように思えて嬉しいものだったりするのだけど、そういったものは、根本的な自分の支えにはなれないような気がしている。


ネタがないとか、書く気が起きないとか…そういったことでモチベーションがどん底まで落ち込んで、ネットから離れていこうとしていく気持ちをもう一度呼び戻すのは、いつも自分を見守っていてくれている人たちの存在なのだろうと思う。


アクセスの少なさとか、書いた記事の評価などに目を向ける前に、自分が自己満足だけで好き勝手書いた(おそらくは多くの人たちには見向きもされないような)文章を、好ましいと思ってくれているひとも幾人かはいるのだということを、私はもっと意識したほうがいいように思える。

自分にも「見守っていてくれる人がいる」というを誇りに思い、自分がかけがえのないものを手にしていることに少しは自信を持ってもいいんじゃないだろうか…。


もちろん、だからこそ、その人たちの期待に少しでも応えられるようなものを提供していくということもあると思うけど。






Last updated  Mar 17, 2007 02:39:13 AM
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Mar 14, 2007
カテゴリ:心理・思考
思いを吐き出すということ深海魚のカタルシスさま】

書いているうちに愚痴っぽくなってきてしまったものとかはともかくとして、最初から愚痴るつもりで感情をぶつけたものをここで見せるのは、抵抗があるな。

それは、ここが現実の私と繋がりを持っている人が幾人か見ているというのもあるのだけど、それ以上に、衝動的に激情のままを書き殴っている自分を不特定多数の人に晒すと言うことに抵抗を感じているのだろうと思う。


とはいっても、元々の気質がネガティブなこともあって、愚痴や悩みの類のことを書いてしまっていることは、結構あるんじゃないのかな…とは感じている。実際、後から読み返してみて、ただの愚痴にしか思えかったものもある。


ただ、私も基本的には書いた記事はどんなものであっても残しておこうと思っているし、ここでは感情的な物言いはなるべく抑えるために、ある程度時間が経って気持ちが落ち着いてから書いているつもりなので、同じ愚痴にしても違ったものになっているじゃないかと思う。

実は大して変わっていないのかもしれないけど。


愚痴や悩みを誰かに聞いてもらって、スッキリしたいというところは私にもあるのだろう。だからこそ、書いている途中で愚痴だとわかっていても、とりあえず見せてみたりするのだと思う。

でも、同時に私には見栄っ張りなところもあって、なかなか素直に感情的な部分を見せることができないようなので、どうしても、何かにぶつけずにはいられなくなったら、とりあえず「メモ帳」にでもぶつけておくことが多い。

ここなら、私以外見ないから特に体裁を気にする必要もないし、極端な話私さえ解ればいいので形になってなくても全く問題ない。

もしかしたら私は、そういう場所でないとその時の自分の思いのままを、おもいっきりぶつけることができないのかもしれない。






Last updated  Mar 14, 2007 11:49:43 PM
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Mar 12, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
ブロガーはブログを作ると同時にブログに作られるとあるブログの舞台裏さま】

特に意識してはいなくても、ある程度ブログを書き続けることによって、そのブログにおける書き手のイメージみたいなものが作り上げられていくという部分はあると思う。

ブログそのもののイメージも、書き手が書き、読み手がそれを読み取って、お互いに作り上げたイメージを交流という形で混ぜ合わせて作られていくような気がするけど、ブログにおける書き手のイメージも同時に作られていくのだろうと思う。

ブログを続けることで作り上げられた、もう一人の「私」がここにはいると思う。生まれたともいえるのかもしれない。


当初はネタができたからブログを書くというような感覚だったはずが、いつの間にかブログを続けるためにネタ集めをしているように感じる時がでてきたり、

ときどきモチベーションなどの関係で一時的に放任状態になってとしも、そのうちいつの間にかブログのことを気にしだしたりしていることを思うと、どこかブログに縛られ、使われているかのように感じてしまうところはあるんだけど、

まだ私は、自身のブログを自立的に感じるまでには至っていないし、私の制御を離れしまうほどでもないように思えている。

いつか、私の手からこのブログが離れていくときが来るのだろうか…。






Last updated  Mar 13, 2007 12:18:24 AM
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