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趣味・オタク

Oct 3, 2007
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カテゴリ:趣味・オタク
「ゲーマーの後悔」は終わらないWIRED VISION NEWSさま】

これ、良くあるな・・・。

もっとも、私の場合、その対象はゲームよりも、ネット、それも特にyoutubeなどの動画サイトに対してかだったりするのだが。

ただ、いざ思いきって一日ネット断ちをしてみても、その分が、ゲームなり、テレビなり、マンガなりに流れるだけのことが多い気がするので、あまり状況は変わってないんじゃないだろうか。

結局、一日の最後にその手の「後悔」をしていることもあるし。


どうも、私は余暇や趣味の時間にまである種の効率とか、副次的な目的、成果などを求めている部分があるようでそれが、この手の「後悔」を生む一因になってしまっているように思う。
あるいは、ただの貧乏性か。

あとはやっぱり、そのことに費やされる時間の長さが問題なのかな。

それでも別に必ずしも惰性でやっているわけでもないのに、無駄に感じることがあるってことは、それだけその趣味を軽く見てしまっているってことなのかもしれない。

あるいは、ゲームなどのオタク趣味全般に感じてしまう、妙な後ろめたさがそう思わせるのかもしれない。

別に趣味や遊びに高尚や低俗もなくて、そのことは自分でもよくわかっているはずなのにね。






Last updated  Oct 4, 2007 12:21:06 AM
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Aug 21, 2007
カテゴリ:趣味・オタク
"中途半端"という私見知らぬ世界に想いを馳せさま】
(情報元:闇鍋ブックマークさま)

いろいろなことに興味を持ちはするけれど、結局、どれも中途半端で、ごく浅い所にとどまったままだよな…とうのは私は、最近よく思うようになった。

昔はどちらかといえば一つのことに結構のめりこむタイプだったはずなのだけど、どこでこんな風に変わってしまったか…。

正直不思議でならなかったのだが、考えていくうちに、一つの答えが出てきた。

実は単純に興味が分散されたから、その分集中力もぶんさんされてしまっただけなんじゃないだろうか…と。


考えてみると、昔は一つのことに集中する分、ほかの事にはあまり興味をもてなかったような気がする。

特にゲームにはまってた頃はそれが顕著だった様な気がする。暇さえあれば一日中ゲームばっかりしてたんじゃないかな。まあ、自分のお小遣いでゲームソフトを一本買ってしまうと、もう後は何も買えなくなるから、その分できることが狭められてたっていうのもあるのかもしれないけど。

でも、そのうちほかの事にも興味が沸いてきてゲーム以外のことをする時間も出てきたからそれですこしずつ分散されていったってのが一つあると思う。

実際今は、マンガやライトノベルよんで、ネットで動画見て、記事読んで、ブログも書いて……と、両手いっぱいに自分のやりたいことを抱え込んでいるような状態だし、おまけに、ゲームにはまっていた当時より自由な時間は格段と減ってるし、無理も利かなくなってきているからね(本当はこっちの方も重要な要因なのかもしれないけど)。


やっぱり一つのことに集中するのなら、その分ほかの事を捨てなければいけないのかな。すくなくても両手いっぱいに抱え込んだものを一時的にでも手放せないかぎりは、何か一つのことにはまりこむってことはないだろうな。

と同時に、そこまでしてやりたい一つのことってのがないっていうのもあるとは思う。






Last updated  Aug 21, 2007 11:39:56 PM
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Jul 1, 2007
カテゴリ:趣味・オタク
面白がろうと無理して面白がってる気がする Hopeless Homelessさま】

最近、自分の知りえる範囲で話題になっている何らかの作品に触れてみた時に「面白いっていえば面白いんだけど、何か物足りないんだよな…」と、感じることはよくある。

多分、自分が心変わりしたのか、相性が今ひとつ会わない作品が多くなったのだろうとは思っている。


「面白い」と感じることが義務になっていて、がんばって自分の中の「面白がる」スイッチをオンにして、「面白いモード」で鑑賞しないとしんどい作品が多い。
がんばらずに「面白い」と感じられる作品も、もちろん、ちらほらとはあるんだけど。比率でいうと大変少ない。

疲れているのか、年なのか。この抑圧はどこから来てるのだ。
がんばって面白がるのと、がんばるのをやめて、無理に面白がらないのと、どっちがいいのかなあ。

私としては、たとえ、がんばってでも、「面白い」と思えるのなら、まだいいんじゃないのかな…と思う。

私は、「面白がろう」とすることはすらできなかった(しようとさえしなかった)こともあって、昔に比べて妙に醒めてしまったようだ。
興味がわいても食指がのびなかったり、触れてはみても、夢中になる前に終わってしまうことがほとんどになった。

なんか、どんどん無感動に近づいているような気がしてならない。
そればかりか、すごく浅い部分で満足するように変わってきてしまっているんじゃないか…とさえ、感じるようになった。

そういう状態よりはいいんじゃないかな…と。


一つの感覚を長い間忘れていると、そのうち鈍くなってしまうんじゃないかと思う。
そうなれば、よけい面白く感じられなくなるわけで、それが悪循環になってしまう気がする。

今の私はそれに近いのかもしれない。


今あるものを「面白がる」ことさえできないなら、みつけるしかないんだろうな。

幸い、今は手軽にいろいろな作品をつまみ食いできるぐらいにはなっているのだから、時間の許す限り自分の興味が沸いた作品を試食しまくって、夢中になれるものを見つけていくのがいいんじゃないだろうか。

あとは、最後の一押しとしての行動力か…。それが一番問題かもしれない。






Last updated  Jul 2, 2007 12:30:21 AM
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May 31, 2007
カテゴリ:趣味・オタク
オタク疲れを感じませんか?Something Orangeさま】
(情報元:REVの日記 @はてなさま)

数多くのメディアに簡単に触れられるようになり、実際に触れる機会も増えたからなのかどうかはわからないのだけど、昔に比べて、一つ一つの作品に対する、熱意のようなものがかなり薄くなったような感じがしてならない。
何かに「はまる」という事自体、ほとんどなくなってしまったんじゃないだろうか。


それどころか、ちょっと、自分のアンテナに引っかかって興味がわいたとしても、そこで少しそのメディアに触れて、そこで終わってしまう、なんてことも多くなってきた。アニメなんかで言えば、YOUTUBEか何かで、いくつか動画を見てそこで終わってしまうような感覚か。

すぐにそのメディアを消費しようという段階までいくことはあまりない。

「機会があったら見てみようかな」とぐらいは思うのだけど、自分の中で保留にしているうちに流れてしまい、大抵は、あとでその機会が来たときに「あれ、なにか見たいと思っていたものがあった気がするけど、なんだったっけ?」と、首をかしげることになる。


なんとか消費する段階までたどり着いたとしても、消費し終えるまでの時間がかなり短くなったような気がしている。
大抵、一度一通り、見たり、読んだりなどした時点で終わってしまうことがほとんどで、再度見直したりすることはかなり稀になってきた。

とにかく、長い間ずっと同じメディアに興味を持ち続けるのが困難になってきた。ちょっと間をおくと、醒めてしまっているなんていうこともよくある。

ゲームなんかで長時間のプレイを前提とするゲームを遊ばなく(遊べなく?)なったのも、これが原因なのかもしれない。


こんな私でも、昔は一つ一つのメディアにかなり長い間、はまっていられたように思うのだけど、それは自分の手の届く範囲に消費できるメディアがあまり存在しなかったからなのだろうか…。

興味のあるもの、面白そうなものが、両手で抱えきれないほどあるというの現状は、おそらく嬉しいことには違いないのだろうけど、自分が夢中になる前に、興味が醒めてしまうものが多い、というのはなんとも寂しい。


最近、ちょっとした興味がきっかけで、対象のメディアを一気に買い揃えたり、それどころか関連する商品にまで手を伸ばしだしたり…というのを見たりするたびに、その情熱を羨ましく思うとともに、「私にはもう、そこまでの行動力はなさそうだな…」と感じてしまったりしている。






Last updated  Jun 1, 2007 12:28:40 AM
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Mar 27, 2007
カテゴリ:趣味・オタク
それでもボクはオタクじゃない大須は萌えているか?さま】

趣味がオタク方面という事もあって、オタクっぽそうな雑談をしたりすることも多いし、たぶんオタクじゃない周囲の人からは、完全にオタクだと思われているんだろうな、とぐらいには感じる一方、その趣味に対する浅さ、熱のなさみたいなものも自覚しているから、

「みんな私の事、オタクだと思っているんだろうけど、でも、これで堂々と「私はオタクだ」なんて言ったりしたら、生粋のオタクに失礼だよな。「お前はみたいに、上っ面だけみて満足してしまうよう奴と一緒にするな」とか言われそうだよな」ぐらいのことは良く思っていたりしている。


でも私は、自分を「ミーハー」と言い切ってしまうのにも、なんか抵抗があったりする。私にはかつて、「自分はオタクだ」と勝手に思い込んでいた時期もあったから、オタクとしての底の浅さを痛感し、オタクとしての自意識も揺らいでいる今でも、心のどこかでは、自分はオタクのつもりなのかもしれない。未練がましいといえば未練がましいようにも思える。

実際に、自他共に認める生粋のオタクから、「一緒にするな」みたいなことを言われたことがないから踏ん切りがつかないのだろうか…。それもどうかと思うけど。


しかし、「オタク」でも「ミーハー」でもないのなら、今の私はなんなのだろうな…。今の自分にしっくり来ることばが見つからない。「チョイオタ」っていうのもなんか違う気がするし…。

私がまだ、かろうじて「オタクのつもり」みたいな感覚を持っていられたりするのは、あるいはこういう所にあるのかもしれないな。次がみつかるまでとりあえず保留…というか。理由づけのような気もしなくはないんだけど。






Last updated  Mar 28, 2007 12:00:47 AM
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Feb 25, 2007
カテゴリ:趣味・オタク
音楽の「好き」は人とは共有できない、「興味ない」と言いたいheartbreaking. さま】

自分にとって興味のないものを薦められるというのは結構あるのだけど、場合によっては困ったシチュエーションになったりする。誰にでもはっきりと「興味がない」と言えればいいのだが、状況や人によってはそれが難しいと思えることもある。

私の場合、それでもとりあえず、興味のないそぶりぐらいは見せるようにはしているつもりなのだけど、はっきりと強い口調で断ったりしていないせいか、「食わず嫌い」とかと勘違いされ、より強く勧められたり、半ば強引に作品を押し付けられたりしたこともある。正直勘弁してほしいとは思う。


ただ、自分が逆のことをしないかというと、あまり自信がない。

自分が変わり者、少数派だって自覚があるからほとんど誰かに薦めたりはしないのだけど、万一、「脈あるかも」などど思い込んでしまったら、その分強烈に薦めてしまいそうだ。

相手に出費を強いることこそないだろうが、笑顔で「はい、これ。絶対に、気に入るから」などいって、強引に貸し付けることぐらいはしてしまうかもしれない…。

そうやって、実際過去にそうやって強引に薦めて、自分ばかりが空回りしてて相手に引かれたこともある。冷静になってみれば解ることなのだけど、普段期待していない分その反動が大きいのかもしれない。暴走してしまわないように注意しておかないといけないと思ってはいる。



それと、同じ「好き」にしたってその程度が違うっていうこともあると思う。

私はどちらかと言うと「好き」の程度がヌルいことが多いため、「好き」とは言ったものの、相手との温度差に引いてしまうこともある。別に、熱く自分語りされるぐらいなら全然かまわないのだけど、同じことをこっちにも求められたりすると、困ったことになる。

一応「そこまでは……」などと、言ってみたりはするのだが、「○○が好きなんだろっ。だったら…」と返されるも多かったりする。そのため、うかつに「好き」だなんて言わなければ良かったかな…と後悔してしまうこともある。


もちろん「好き」という気持ちそのものに嘘はないんだけど、「その程度なのか」と、ガッカリしていたりすると、特にそう思う。



何度かそういうことがあったせいか、本当は凄く興味があるのにないそぶりをしたり、少し盛り上がったところで、水を差すかのように予防線を張ることが増えてきたような気がする。

コミュニケーションの苦手な私でもせっかく、珍しく一緒に盛り上がれそうなってきたのに、もしかしたらその人との接点になりうるのかもしれないのに、心理的に一歩引いてしまう。線引きをしてしまう…。


このことによって、せっかく興味のある話題を振ってもらっても、「どこか浮いてる」、「空気の読めない」感をより強めるハメになってしまうのことがあるかもしれない…。

それも寂しいと思うのだけど、かといって無理にあわせることもできないし、そんなそぶりを見せるのもどうかと思うから、せめて早めにその「温度差」に気づいてもらいたいだけなんだけど……。






Last updated  Feb 26, 2007 07:34:00 AM
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Jan 9, 2007
カテゴリ:趣味・オタク
「趣味は読書です」レベルの「僕はオタクです」カソウ=kj日記さま】
(情報元:はてなブックマーク - 旅に出ようか(zoniaのブックマーク)さま)

ほとんどタイトルだけで反応するんだけど、私自身、まさに「○○が趣味」レベルのオタクといってもいい存在だと思う。

ゲームなり、マンガなりのオタクっぽい(とされる)趣味はいくつか持っているものの、自分自身が好きなものについて熱く語れるほどの何かも、「オタク」ということに対するこだわりみたいなものも、特にないと思うし、それでいながら、なんとなくオタクと自認しているようには思えているので。別に公に自称とかはしてないんだけど。


とはいっても、最近は自分がオタクだという意識は少し揺らいできていたりする。ネット上のブログやコミケなどで自らの好きなものついて熱く語ったりしている様子と、現在の私の趣味との付き合い方のなどを比べるたりするうちに、「実は勝手な思い込みだったんじゃないか」などと思えてきてしまったので。


そんな、オタクであるかどうかもはっきりしなくなってきているのに、相変らずオタクと聞くと、どこか自分のことのようになんか考えたり、反応してしまったりしている。おそらく、まだどこかで自分はオタクだと思い込んでいるのだと思う。

でなければ、自分自身のオタク要素の薄さや自意識の揺らぎはひとまずおいといて、とりあえず自分はオタク、ということにしておきたいのかもしれない。

自分にに好きなものについての熱い何かやとくに強いこだわりがなかったとしても、周りからみれば自分も彼らと同類に見られることの方が多いだろうから、自意識は揺らぎつつも、彼らにどこか羨望と、親近感のようなものをいまだ感じ続けているのだと思う。






Last updated  Jan 9, 2007 11:47:32 PM
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Dec 29, 2006
カテゴリ:趣味・オタク
自分を笑えるオタクになれるか。たまごまごごはんさま】
(情報元:まなめはうすさま)

5.が一番近いように思えるな。私は自分がマイノリティに属していること、という事自体は受けてとめている。いるのだけど、それを笑い飛ばすというところにはいたっていない。

自分の趣味がはたからどういう視線で見られるのか、ということがある程度分かっているつもりだ。別に自分の趣味が劣っているとは思っていなし、趣味そのものに優劣もないとは思うのだけど、「劣っていると見られる」ぐらいのことは何となく認識はしている。ただ、私はどちらかと言うと頑として主張する方だろうと思う。あるいは、言いたい言葉を飲み込んで押し黙ることはあるかもしれないが、少なくても笑って受け流すみたいなことはできないだろう。


内向きか、外向きかとなると私は間違いなく内向きだろう。

ブログでもそうなのだけど、私は、自分が買ったもの、好きなものについて、表立って語ろうとしない場合が多い。語る場合にも人を確実に選んでいる。共感されない、興味を持たないだろうという思いが強いのだろうと思う。

最も、これは私が趣味全般に対して、かなり浅い付き合い方をしているということも関係があるのかもしれないけど。オタクとしての要素もかなり薄いだろうからな。


ここまで考えていて、ふと、これはコンプレックスに対する態度に似ているよな…と思えてきた。私は多くのコンプレックスを自覚しつつも、それを笑い飛ばすというところにはいたっていないかったりするので。

オタクということに対してもそうなのかな。

うーん、取り合えず、自分がマイノリティであることについて、どこか後ろめたさみたいなものはあるかもしれないな。

となると、5.だと言ってたけど、実は2.とか3.なんじゃないか。

なら、問題は、方向性…その受け止め方ってことになりそうだけど…。


やはり、道化師への道はまたまだ遠いみたいようですね。






Last updated  Dec 30, 2006 12:50:34 AM
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Nov 25, 2006
カテゴリ:趣味・オタク
あなたがそれが好きかどうかは、評価されなくてもやっていけるかかどうかだ
暗闇の海底でみる夢~哲学の断想集~さま】(情報元:駄文にゅうすさま)

私は、好きなこと、ものとかはいろいろあるのだが、それぞれの、好きに対する「強さ」みたいなものはあまりないように感じている。

だから、自分の周囲ので、自分の好きなものが否定されるような事態が起きた際、自分がそれを好きだと自分から表明できないように思える。


最も、周囲の人に引かれたり、ちょっと叩かれたりするぐらいで、その趣味をやめるとか、その作品に触れるのをやめるとかいうのはないな。

趣味はともかく、マンガとか小説などの作品については一時期かなり引かれたときがあったせいか、むやみに人に薦めなくなったし、受け入れられなくても特に何も思わなくなった。

自分が変わり者とか、少数派という自覚があるせいかもしれない。それだけに賛同者を見つけられたときは凄く嬉しいんだけど。



ただ、やめることはなくても、「後ろめたさ」みたいなものは多少は感じてしまうように思える。世間一般に、評価とまでいかなくても認められていない、あまりいい目で見られないようなイメージのあるもの(オタク趣味、オタクが好みそうな作品とか)なら特にそう。

だから、おおっぴらに話題にしたり、好きだと言うことは特になく、あくまで表面上はあまり「好き」という意識をあまり出さないようにして(例え周囲からはバレバレだったとしても)、影でこっそりその趣味にいそしむということが多いと思う。


「それが好きで何が悪い」と、堂々と胸をはって言えればいいのだけど、なかなかそうもいかないみたいです。世間的な価値観を、絶対とまではいかなくても、ある程度の基準として考えている部分があるのでしょうね。



あと、やっぱり同志があらわれない趣味(作品)というのは、モチベーションというか、同じ熱を保ち続けるのが結構つらいように思える。

だから、習慣レベルまではなかなか引き上げられないし、ひと段落してしまったりすると、少し距離をおいてしまったりすることが多いかな。やめることはなかなかないけど、熱は少しずつ醒めていってしまうのかもしれないな。






Last updated  Nov 26, 2006 12:16:17 AM
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Nov 23, 2006
カテゴリ:趣味・オタク
数年前まで私はネットとは縁のない生活をしていた。

ネットに興味がないわけじゃなかったが、強い魅力を感じたわけでもなく、かといって必要性もあまり感じなくて、正直ものぐさな私はあまり気乗りしていなかった。

しかし、今では少なくても二日に一度ぐらいは、ネットにつないで何かを見ているぐらいの状態になっている。


ふとしたきっかけではじめたネットが、自分にとってここまでの存在になるとは、始める前には思っても見なかっただろう。

そして、今思う。ネットに接していなかったかつての自分に、その魅力を伝えること、理解してもらうことができただろうかと…。



「それの何が面白いの?」「私には必要ないし」

価値観や、面白さを理解できないものと遭遇したときに、出てきてしまいそうな言葉。似たような類のことを言われたこともある。

言われる側としては、すごく嫌な気分になる。別に自分の趣味や価値観が、万人に認められるなんて思ってはいないけど、頭ごなしに否定されるのはいい気分じゃない。


理解できないのは、まあ、しかたない。私自身だって理解できない価値観や、面白さを実感できない趣味はいっぱいある。

だから思ってしまうのはいいとしても、求められてもいないのにそのことを相手に伝えてしまうのはどうなんだろうと思う。

私も思わず言ってしまったことがないわけじゃないので、気をつけるようにはしている。もちろん薦められたりしたら、話はべつだけど。



問題だと思うのは、その価値観を、こっちに押し付けてこられること。正直勘弁してほしいな…と思う。

ある人が面白くてたまらないものが、私にとっては、何の興味もそそられないものなかったとか、逆に、ある人にとってがらくたでしかないものは、私にとってはたからものだったりする事だってあると思うのに。

自分の価値観がこうだから、他の人もそうにちがいない。なんて、どうしてそう決め付けてしまえるのだろうか…。






Last updated  Nov 23, 2006 11:05:38 PM
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