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ネット・サイト

Oct 20, 2007
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カテゴリ:ネット・サイト
私の場合は,人と比べちゃうとダメなんだ。光集いし木蔭さま】

私もそうだな。

評価に対しては、私は「最終的に評価を下すのは読んだ人たちだから」とよく書いたりしていると思うけど、そこには自己評価をすることから逃げているっていう部分もあるような気がする。

自分で自分の記事を評価しだすとどうしても卑屈になってしまうってわかっているからなのかもしれない。

特に比較をしだしてしまうともうダメ、どうしようもない。

「自分にはできない」、「こんなにすごい人たちがいるのなら、あえて、自分が書く必要は無いんじゃないのか」と何度思ったことか。


ただ、結局は「自分がどうするのか、どうしたいのか」がポイントだと思うから、他の人がすごいとかいうのは、関係ないような気もする。
自分にとって、なんらかの価値が見出せれば、それでいいいのではないかとも思うし。

まあ、とはいっても、そこまで冷静に自分と他人を切り離せるわけでもないし、どうしてもモチベーションが上がらない時や、不安になるときはあるので、時々、そういう時の自分のための記事を書いていたりすることがあったりする。

正直どの程度うまくいっているのかどうかは微妙なのだけど、それでもすこしでも自分の支えになればいいかな・・・と、思いつつ。






Last updated  Oct 21, 2007 02:30:17 AM
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Jul 28, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
ブログや記事の「質」とか価値とかに関する記事を時々見かけることがあるのだけど、読むたびに「なんとなくいいことはわかる気がするけどそうはいってもなぁ…」と今ひとつなっとくいかない気持ちにさせられる。

サイトの価値を決めるのはそこに来た全ての人たちだから自分が考えてもしかたないという思いが強いからかもしれない。


そもそも、全ての人にとっても邪魔にならない、読む価値があるサイトというのがあるのだろうか…。私自身はそのことに懐疑的なのだけど、そのことを考えるまでも無く私のブログはおそらく誰かの邪魔にはなっているだろう。

検索か何かで訪れた人のうち、何人ががっかりして去っていっただろうか…。そう、考えてだすとすごく申し訳ない気持ちにはなる。なったからといって去っていた人たちになにもすることはできないのだけど。


だた、仮にブログの存在価値の有無を決めるとしてもそれは、そのブログが社会的に公益性が高いとか、低いとか、誰かにとって役に立つとかたたないとか、もっというと面白いとかつまらないかどうかとも、そう関係ないのではないのかな…と思う。

私はブログの存在価値は、必要としてくれる人がいればそれでいいと思う。それも多くの人でなくたっていい。

例え偶然見に来た何人に邪魔だと思われていても、嫌われていたとしても、共感してくれる人、面白いと感じた人、更新を楽しみにしてくれる人、なによりそこの場所を必要とくれる人が、たった一人でもいれば、その場所は十分価値があるんだと思う。

それで、いいんじゃないだろうか。






Last updated  Jul 29, 2007 12:34:56 AM
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Jul 20, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
更新の停止したブログに惹かれるのは、廃墟に惹かれるのに似ている。
ネコプロトコルさま】

私の場合、もともと記事を読んでもすぐに書き手の方にまで関心を持つということはまず無いから、ふと訪れてみたブログが、もうかなりまえからに更新を停止していたとしても、そうでなかったとしても、あまり印象は変わらないのではないのかな…と思う。

だだ、私がそのブログがまだ活発だったころを知っていれば話は別だろう。かつて多くの人たちでにぎわっていたであろうその場所が、いまは静かにそこにたたずんでいる。きっとあのころとはちがった顔を私に見せてくれるのだろう。


もう、長いこと更新されていない。多分もう更新されることはないだろう。そうわかっていながらも、なんども通ってしまうブログがある。いつきてみても、変わることのないその場所。私がそこに感じるものも、おそらくはそう変わらないだろう。

ただそのことに安心することより、ちょっとがっかりしてしまうことがよくあるような気がしている。

もしかしたら、私はかつてそこの向こう側にいた、管理人の影を追い求めてやってきているのかもしれない。

記事しか見ていなかったはずの私が、更新の停止してた今になってみて「あの人は今頃どうしているだろう。元気でやっているのだろうか」などとその向こう側にたいしてまで思いをはせるのは、なんだかとっても変な気もするのだけど。


あるいは、期待しているのだろうか。止まってしまったはずのものが、もう一度動き出すのではないだろうかと。そうなのかもしれない。

私が訪れたぐらいで何かが起きるとも思えない。でも、声をかけてみたら?、あるいは、何かの記事に反応を返してみたら?、いやそれでも変わらないだろう。

でももしかしたら、私の知らないところでこっそり息を吹き返しているのかもしれない。

私がそれに気づいていないだけかもしれない。もう一度くれば、そのことに気づくかもしれない。

そう思うとものすごくひきつけられるのだ。


多分、それは私の勝手な妄想にすぎず、例え、そのブログが本当に息を吹き返していたとしても、結局、声もかけられずにいつも去っていくような私のせいではないだろうとも思うけど。






Last updated  Jul 21, 2007 02:04:45 AM
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Jul 9, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
コメント欄って、どのくらい見てます?紅髪の小部屋さま】

私は、全てがそうっていうわけでもないのだけど、自分が読んでいて興味をそそられた記事ならたいていコメント欄まで読むほうだな。

読み手になっている時はどちらかというと「コメント欄を含めて一つの記事」とみることが多いみたい。


とはいっても、記事自体が前のエントリのコメント欄に対するお返事とかだったり複数の記事にわたる続き物だったりした場合、自分の目当ての記事しか読まないことも多い。なかなか、前後する記事まで食指が動かなかったりしている。

さすがに私がやっているような記事への反応とか、言及の場合は言及元も読むことが多いけど、その記事が複数の記事に言及していたり、複数のブログの中でやり取りがいろいろある中での一つの言及だったりすると、その全てを読まずに終わることあったりする。

「ブログは記事単位で独立している」っていうの意識があるのが影響しているのかどうかはわからないけれど、『ことの経緯を把握するのがめんどくさい』っていうのはたしかにあるだろうな…。そこまで興味をもてないことも多いし。


それとは別に、あえてコメント欄を「後で読む」にする場合がある。それは、私がその記事についてなんらかの反応を試みようとするとき。

どうも何か書こうとしているときにその記事に対するコメント欄まで先に見てしまうと、自分が書こうとしている考えや思いとかがぶれてしまったり、薄まってしまったりして、結果として書けなくなってしまうことが多いようなので、自分の考えが一度一つの形としてアウトプットされるまではあえて読まないようにしていたりする。


まあ、一度コメント欄を含めて一通り読み終わってかなり時間が経ってみて初めて、その記事をきっかけとした何かが生まれてくる…ってことも実はかなり多いんですけど。






Last updated  Jul 9, 2007 12:07:12 AM
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Jun 26, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
ブログとつながりcastleダイアリー さま】

私は今のところ、ブログを書いてるのはここだけなのだけど、使い始めのころは「一人ぼっちでここに立っている」みたいな感覚を持っていた気がする。ここ最近は、孤立感みたいなものはかなり薄れてきているとは思うけど。

多分、目に見える何かがなくても自分も繋がっているんじゃないかな…と、思えるようになってきたからじゃないかな。とはいっても、感覚としてはすごく漠然としていて、うまく言葉にできないばかりか、どちらかというと錯覚や思い込みに近いレベルではあるんだけど。


ただ、使い始めた当時は、一人という感覚はあっても、それがさほど苦になっていなかったような気がする。

それは、私が当時から自分から繋がりを求めようという意識が薄かったっていうのもあると思うけど、それ以上に書きたいことや、書くことそのものの方に意識が向いていたからだろうと思う。

まあ、私がもともと、一人でいるのが基本で、一人の時間が長くてもあまり気にならないっていうのとか、ここが誰かの記事に反応していくのをメインにしているっていうのもあるんだろうな。だからって全く寂しくなかったってわけでもなかったとも思うけど。


あと、ネットを見るようになってから強く実感するようになったんだけど、誰かが楽しそうに会話したり、騒いだりしているとかしている様子を、一歩下がって遠くから眺めているというのが、私は結構好きだっていうのがあるのかもしれない。

見ていて羨ましいとか、参加したいいう気持ちがないというわけではないんだけど、どちらかというと、そうやって話を聞いていたり、雰囲気を感じるだけで満足してしまうということが多い。

むしろ自分がその輪の中に入るとなると、何を言ったり、したりしていいのかわからなくてとまどうことも多く、妙に居心地の悪さを感じてしまい、楽しさを実感できない場合も結構あったりするし…。

そうはいっても実際の現場では、なかなかちょうどいい場所で参加せずに眺めているというポジションにい続けることが難しいような気がする。

でも、ネットだと、ふつうにブログを見て回ったりしているだけでそれが容易にできたりするからそこで満足してしまって、自分のブログの周囲に目に見える繋がりのようなものを感じられなくても、さほど気にならないっていうのがあるんだと思う。






Last updated  Jun 26, 2007 12:12:43 AM
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Jun 3, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
「書くまでもないなと思っている事でも、とりあえず書いてみる」という事ekkenさま】

最近何か思うところがあっても、「まあ、書くまでないか…」と思って書かずにそのまま飲み込んだり、一応、メモ帳などに要点を書き散らしするだけしてみて、そのまま没にすることが、前より少し増えてきたような気はしている。
「書けない」とかいう以前に、書かない状態になってきているな…とは思う。

かといって、最近自分が書いてる記事が、自分にとっての「すごいこと」とか、「あらたな気づき」ばかりかというとそうでもなくて、公開してから「やっぱ書かなくてもよかったかも」と思うことも結構あったりしている。

おそらくは内容いかんにかかわらず、「何か書けそう」と思った時点でとりあえずは書いていみるの方がいいのだろうけど、なかなか書く意欲をそこまで持ち上げていけなくなってきているように感じている。


ブログを書いて間もないころのログを見返してみると、ちょとした雑感とか、書くまでなさそうと思えるものも結構出てきたりする。ああ、昔はまだ、できていたんだな。


なんで、昔書けてたことが今、書けなくなってきているだろうと、考えてみる…。
多分それは単純に「知らなかった」からだろうと。

自分の書こうとしていることが、「既に誰かによって書かれている」こと、「特別どころか、いくらでも代替可能」なこと、それどころか「下手すると過去に自分が書いている」こと、などがほとんどだという意識が生まれてしまったことが、書く事に対する意欲の減退を助長しているんじゃないだろうか。

「既に書かれていても、当たり前でも、あえて書こう」とまで思って書いていたようにはさすがに思えない。


あと、書きあがるものを見ても、完全に自分だけのメモっぽいものばかりになってきたと感じているのも一因かもしれない。

自分のためだけに何かを書くのだったら、公開しなくてもいいんじゃないかな…って思うことはよくあるので。






Last updated  Jun 4, 2007 12:12:06 AM
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May 16, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
文章に書き手は現れるのか Blog向上委員会 さま】

私、見事なまでに「コメントの少ないブログの特徴」が当てはまってる(笑)。さすがに全部ではないけれど。

コメントがつくことが少なくて寂しいとは思うけど、一方で最近ではそれが当たり前になっているので、無反応を想定した上で記事を書いていることが多い。それが悪循環のもとにもなっているんだろうけど。


とはいえ、一方で自分自身でそういう道を選んだのかな…とも思っている。決して、積極的にそう望んだわけではないにしても。

私は、読み手に対し、「いつも初対面のつもりで」とか、「常に少し距離を置いて接するようにする」とか何度か書いた覚えがあるが、自分でそう決めてしまった時点で、ブログをつかって積極的にコミュニケーションを取っていくことをほぼ放棄してしまった部分があると思う。

それでも、文章などでコミュニケーションを主体にしていれば、かなり違ったのかもしれないけれど、私の文章はお世辞にもコミュニケーションを主体としているとは言えなかったりする訳で…。


あと、自己完結ぎみで、独り言っぽい文章じたいに、どこか「そっとしておいて」という空気が内包されてしまっているんじゃないだろうか。

だから、実は「ここで私なんかが声をかけたりなんかしたら、かえってここの雰囲気を壊してしまうんじゃないか」と、気をつかってくれて、声をかけないで見守るようにしてくれているだけなのかもしれない。


そのことが、もし、コミュニケーションを取りたいのにうまくいかず、空回りしている結果だとしたら、ものすごく寂しいし、切ないとは思うけど、私自身、元々の気質もあって、あまり自分から積極的にコミュニケーションを取るタイプではないし、ブログの記事そのものも、自分向けに書いている部分もあるので、方向が内向きである以上、交流が減ってしまうのはある程度は仕方ないのかな…と。

まあ、それでもコメント欄とかで盛り上がっているところをみたりすると、寂しいって思うこともあるんだけど。






Last updated  May 17, 2007 01:26:59 AM
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Apr 20, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
書き続ける事で、読者を維持できるのか他人の不幸は蜜の味さま】

最近はそうでもないのだけど、以前、更新期間がいつもより少しでも開いたりすると、すごく焦っていた時期があった。うまいことネタができたこともあったのだけど、そうそう都合よくネタがあるともかぎらず、そう苦し紛れで更新してしまったこともあったな。

そこまで酷くなくても、書いていてもどうも今ひとつ勢いがつかない、まとまらない、自分の中でもかなり消化不良的な記事を書いてしまっていることは結構ある。


こういう時の記事というのは後から読み返してもなんとなく分かったりするので、多分読んでいる人にも、その時のこっちの状況が記事から透けて見えているんじゃないのかな…と思っている。

かといって、もともとものぐさな私が書きたくなるまで放置しておいたら、更新期間なんてどんどん開いていくだろうし、まして(例え錯覚でも)それなりの自信作ができるまで待っていたら、みんな私の事なんて忘れてしまうんじゃないかと、不安になる。



新しい記事を読まれるたびに、あるいはアクセスされるたびに、ある部分では読者に試されている部分があるように思える。

「なんだ、まだ更新してないのか」「なんか今日のネタはいまいちだったな」そんなささやきが聞こえてくるように感じることもある。

焦っていたり、消化不良だったりで、自己評価がいまいち気味の更新が続いたときは、「今度こそ見限られるんじゃ…」という思いが浮かんでくる。


毎日とまではいかなくてもそれなりに高い頻度で更新を続けて、そこそこ質のいいものを提供できているという自負があれば、おそらくそんな思いもないのだろうけど、私にとってはそれはあくまで理想でしかなく、現実としては、頻度にも記事にもムラが出てきてしまっている。自信作なんてそうそう書けるものでもない。


あくまで趣味だし、基本は自分のためではあるのだけど、欲もあるから、アクセスもないよりはあったほうがいいと思うし、なんとか、読者になってもらえた人たちに 忘れ去られたくもないし、見限られたくもないと思っている。

最近は、新たに誰かに興味を持ってもらうことよりも、既に自分の方を見てくれている人たちをどれだけ引きとめて置けるかの方が関心が強くなってきているような気がする。






Last updated  Apr 20, 2007 10:34:00 PM
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Apr 17, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
読むのと書くの、どっちが好きですか?tanabeebanatの日記 さま】
(情報元:明日は明日の風が吹くさま)

うーん、どっちなんだろうな。一概に「どっちが好き」と決められないように思える。


読むのが好きだから、ネットであちこち読んで回っているんだと思う。と、同時に書くのが好きだからこそ、ブログを続けてきているんだろうとも思う。

というか、どちらかの気持ちがなかったら、私は感想系のブログなんてやっていないんじゃないのかな…て、思う。

読むことだけが好きなのなら、ブログを始めることなく、はてブだけで満足していただろうし、書きたいって気持ちがもっと強いのなら、感想系とかにこだわらず、もっと、いろいろな形で出力を増やしていく方向に回っていくように思える。

ただ、下に引用する、この感覚はわかるような気がする。

感想系のブログとかをやっている人には私と同じようなことを感じている人がいるはず。

本(漫画やテレビ視聴、他のサイトも含む)を読んでいる時間より感想を書いている時間の方が長いのではないかと。

本を読むのが目的ではなく、感想を書くことが目的になってしまっているのではないかと。



そして、結局本を読まなくなり、そうすると当然感想も書けなくなりフェードアウトすることになるのでしょうか
私の場合、「書きたい」という気持ちが湧き上がってきている時ほど、読まなくなるし、読めなくなる。

仮に読むとしても、それは自分の書きたいことを文章化するための手引きや参考としてなので、いつもとはまた感覚が違うように思える。

逆に読む時間が長くなればなるほどに、書けなくなってしまうように思える。

書きたい気持ちを優先させるなら、むしろ一旦そこで読むことをやめて、自分の書きたいことをまとめる作業にに入らなければならくなる。

そういうこともあって、私の場合、その時々で読みたい気持ちと書きたい気持ちの強さが変わっていくように思える。


ただ、それでも私は「読む」方が好きなのだろうと思う。少なくても、ここ最近はそういう気持ちになっているような気がする。
ここ最近、ネットにさける時間が結構減ってきているという部分もあるとは思うけど。


読むためにつかっている時間と書くために使っている時間なら間違いなく、読んでいる時間のほうが多い。これはずっと変わらない。

読んでいて、なにかもやっとした何かが浮かんでくることは結構あるんだけど、そこから、書きたいという気持ちにはなかなか繋がっていかなかったりする。

感想らしい感想が思い浮かばないことも多い。まあ、これは私がすぐに考えがまとまらないからっていうこともあると思うけど。


でも、あまりそのことで気に病まなくなってきた。

何というか、書く事が好きだったら、もっと「書けない」ことに対して気にする気持ちが大きくなりそうに思える。

私も「書きたい」っていう気持ちが大きい時には、そういう気持ちの空回りもその分強く感じていたから。


とはいっても、ブログを書くようになってから、ネット以外で読む(漫画や本、アニメ、映画とか)に触れる時間はむしろ激減しているし、ブログをこのスタイルにしてから、どこか「書くために読む」という「手段の目的化」のような倒錯現象を感じているもあったりはするんだけど。






Last updated  Apr 17, 2007 11:59:09 PM
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Apr 8, 2007
カテゴリ:ネット・サイト
アクセス煩悩からの解脱『斬(ざん)』 さま】

ネットとの距離間の見直しと、アクセス数の呪縛からの開放は、かなり前からの課題だったりするんだけど、いまだにどちらも達成されてはいないんだよね。

さすがに初期の頃のようにずっとネットにべったりということはなくなってきたのだけど、そのかわりオンとオフの差が激しくなってきていたりしている。


アクセスに関してはどうなんだろう。少しずつ、気にしない、振り回されない方向には向かっているようにも思うのだけど、それでも更新した日とか、急に増減した時の自らの状態を顧みると、全然変っていないんじゃないのか…とも思える。

気にしてないつもりでも結構気にしてるんだな…とブログの管理画面を見るたびに思うし、やっぱりもうちょっとアクセスほしいな、などと欲をかいてしまうこともある。


それと、どうも私の場合、両方とも自身のブログに対するモチベーションとかなり関連があるようだ。モチベーションが落ちているときは自然とネットから離れ気味になるし、アクセス数が落ちていてもさほど気にはならない。

でも、それだと更新にも影響が出てしまうばかりか、「閉鎖=開放」ということになってしまいそうのが困りどころ。


熱くなりすぎず、かといって醒めすぎず、自らの身の程を知って、その上できちんと日々のモチベーションを維持していく…というのが理想といえば理想なのだけど、もともとものぐさで結構、精神的な浮き沈みが激しいほうということもあって、なかなかうまくいかない。


アクセスのことでよく思うのは、自分ってこんなに承認要求とか喝采願望が強かったのかな…と。

そもそも、アクセスが欲しくてブログ始めたわけでもないのだし、それこそ初期の頃の日々のアクセス数なんて……。

初めて一日のアクセスが100を超えた時のことを思うと、一度初心に帰る必要があるのかな、と思う。あのころはそれでもモチベーションを維持できていたのだろうし。






Last updated  Apr 8, 2007 11:26:43 PM
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