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メディア・社会

Apr 16, 2006
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カテゴリ:メディア・社会
大して変わりばえのないもう一つの世界CONCORDEさま】

「そうやってバカにしているけど、それほどネットはテレビなどの他のマスコミ媒体、メディアに比べて高尚なのか?」と問われると、それほど大差はないだろう思う。

テレビもワイドショー的だけど、ネットだってなりきりコメンテーターがあふれているように感じるから(私もそうだろうな…(苦笑))、十分ワイドショー化しているだろう。


でも、私はそれでも「ネットのほうがまだまし」だろうと思っている。


まず、情報媒体として、テレビを始めとするマスコミは、あまりにも一定の色に染まりすぎているところがあると思う。

特にテレビは、せっかくいろいろなチャンネルがあるのに、どこを見ても同じようなことを言っているかのように感じてしまうことが結構ある。多種多様な情報を報道する機関として、この点は問題ではないだろうか。

また、実態をよく調査もしないでの報道や、一定の偏ったイメージを植えつけてしまいかねないようなものも、よくあるように感じてしまう。

「若者は本当に怠惰で無気力なのか」とか、「少年犯罪は増え続けているのか」とか、「オタクなど、世間から浮いている人たちは危険なのか」など、従来のメディアから受ける印象に疑問に感じることは多いと思うし、ネット上でそれらに反する異論や反論もあげられていたりもする。


翻ってネットはどうなのか。

ネットにも(テレビなどとは別の)一定の色というものはあるとは思うものの、ものによっては少数側の意見を上げていたりすることもあると思う。

最も、信頼性については疑問はあると思う。ブログなど簡単に意見を主張する媒体を得たことにより全体の数は増えているのだが、(私を含め)思いつきや私見でものをいっている人も、それなりにいるだろうと思う。


それでも、なぜ「ネットのほうがまし」と思ったのかをあげると、なによりネットにはアマチュアもあふれているにもかかわらず、プロしかいないはずのテレビメディアと比べて、同じようなにワイドショー的になっている。と、感じてしまう部分からだったりする。

双方のメディアとしての影響力の差とかを見ても、テレビのほうが問題視されてしまうのは避けられないと思うのです。






Last updated  Apr 16, 2006 01:05:08 PM
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Mar 19, 2006
カテゴリ:メディア・社会
:第三者効果そなたんパパの備忘録さま】(情報元:三番街さま)

私もやってしまっている部分があるかも…。

オタクとかに対するマスコミの印象操作とかを批判をするときに「刷り込み」とか何度か書いているし…。

誰かを非難する意図で使ったことはないですけどね。


テレビ報道とかの影響力とか、多くの人がそういったメディアから情報を得ているというところから、ついついよく知らないことについてメディアの情報どおりに流されている所もあるのでは…と思いがちだが、そうとは限らないし、むしろ批判的にメディアに接している人もたくさんいると思う。

最近でてきた「ゲーム脳」とかだって、保護者がどれぐらい信じているのか…というのは疑問だったりするし。


私の場合、自分自身が流されやすい部分があったりするから、つい他の人も…と考えがちなところがあるのかもしれない。

あとはやっぱり、さもそういうメディアから偏見を持ってしまった人と接した経験から、判断してしまっている部分もあるのだろうな。






Last updated  Mar 19, 2006 10:56:23 PM
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Mar 4, 2006
カテゴリ:メディア・社会
私は子どもがいないのでこれくらいしか書けないがkmizusawaの日記さま】

学業の画一化の問題からなのか、教育などの方面から「『個性』を重んじる」だとか言われて、やたら個性的な人が何だかもてはやされるような傾向になって、久しいと思う。

どちらかといえば今までは没個性で「みんなと同じ」ということを求められていたはずが、急に「個性」をどうこうとか、趣味を持とうとかと言われて、まるで「普通」というか、個性的でないことがいけないみたいな感じに思えて、余計な圧力みたいなものを感じてしまった人もいるのではないだろうか。

一方で自分がみんなと違うことでどこか窮屈な思いをしてきた人は、ようやく自分のような人も同じように見てもらえると期待した部分もあったと思う。


しかし、マスコミなどがやたら凄惨で痛ましい事件とか、変わった人、浮いてしまっている人がおこす犯罪ばかりピックアップして流したりしているせいか、「浮いた人は危ない」みたいなことが刷り込まれてしまっている部分があると思う。

「オタク」などと呼ばれる(或いは自らそう呼称する)、ある種の「変わった趣味をもつ人たち」が犯罪者予備軍扱いされるのも、要は「変わった人(オタク)は危ない」という刷り込みを助長させたいのかな…とも思ってしまう(マスコミに対する過剰な被害者意識、被害妄想が入っているような気もしなくは無いが…)。


一方で「『個性』を重んじる」とか言われているのに、もう一方では「変わっている人、浮いている人は危ない」と言われている部分に矛盾を感じてしまう。


結局、求められていたのはまず、「コミュニケーション能力」、「適応力」といったもので、その上で「個性」を重んじると言うことだったんじゃないだろうか…。それによって「社会に適応できない、なじめない人」に対する囲い込みようなものはかえって強化されてしまったように思える。


これらから感じることは「犯罪者の特別視」だと思う。要は「今、この報道を見ている(読んでいる)あなたたちと、今報道している犯罪を起こす人たちとは全く違う人種なんですよ」という両者の切り離し。

そりゃあ、「自分もまかり間違ったら犯罪をおこしてしまうかもしれない」、つまり「犯罪者と自分たちは同じ人種」ということを認めたくないという部分があるのだろうけど、そのために刷り込まれることが、結局のところ「変わった人」を精神的にどんどん追い詰めてしまうんじゃないだろうか。


Mr.Childrenの歌の歌詞に、たしか「子供たちを被害者に、加害者にもせずに」というフレーズがあったと思うが、これは何も子供に限った問題ではないと思う。

日常で感じる小さな傷、すれ違いなどの積み重ねによってどんどん自分の精神的なより所がどんどん削られていくことが、最終的に他人を、或いは自分を「消す」という行動に出てしまうのではないだろうか。そこまでいかない段階で何とかできないのだろうか…。


(新世紀エヴァンゲリオンに出てくる)シンジ君が「心の補完」によって「やっぱりボクは…、いらない人間なんだ」から、「ボクはここにいてもいいんだ!」にかわり、自分の居場所や価値を再発見したような…。

そういう感じのことは出来ないのだろうか。それも一種の犯罪抑止に繋がらないのだろうか…と考えてしまいました。
(オタクなネタで締めてしまって、すみません…)






Last updated  Mar 4, 2006 07:19:58 PM
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Nov 3, 2005
カテゴリ:メディア・社会
日本の親にメディアリテラシーは無いのか 吉本興業はなぜレイザーラモンHGを売り出すのか(情報元:こらむろさま)

いわゆる「臭いものには蓋を」みたいな話のように思えていまいち納得できない。個人的には玉石混交の状態がいいと思っている。
問題なのは最近のテレビメディア全体の質の低下だろう。ようは石が増えすぎてしまっている状況だ。
低俗な番組は昔からあったし、それがあること事態は問題ではないと思う。問題は本来そうであるべきでない番組まで質が下がってしまったというものじゃないだろうか。
ニュース系番組のワイドショー化などは顕著な例だと思う。

さまざまな番組を見せることがメディアリテラシーを育てる要素に繋がるのだと思う
玉ばかり見せられたら何がいいのか逆にわからなくならないだろうか。
何が低俗で何が高尚か、何が信頼できるもので、何が信頼できないものか、それを個々人で見抜き、選択をしていくのがメディアリテラシーを育てることにつながるのじゃないだろうか。

問題とされるところはレイザーラモンに代表される低俗番組ではなく、テレビメディアそのものが「どこを見ても同じ」と認識されるに至っている状況だと思う。






Last updated  Dec 9, 2005 11:22:25 PM
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Oct 27, 2005
カテゴリ:メディア・社会
なぜ引きこもりはプライドが高いのか。その2その3ヘタレ化するポストモダンさまより)
(1、情報元:こらむろさま。2、情報元:まなめはうすさま)

人間代わりがいないという意味では誰もが特別なのだが、でもそれは「誰も同じ」という意味と同じにもとれる。「自分だけは違う」という特別になりえない。
また、自身に「自分は特別だ」という思いがあっても「自分だけがそう思っていては意味がない」、「他の人たちにも『自分は特別だ』と認めさせたい」そういう思いがあるのかもしれない。

一方、特別でないこと、つまり他の人と同じ「普通」の存在であることを認めることを社会に埋没してしまう事と思い、そのことが自分がいてもいなくても同じ、つまり「自分が必要とされないのでは?」ということを認めることに繋がるから「特別」であることに拘るのではないだろうか。
自分が社会にとって、他人にとって、代替できるパーツであってはならない。そういう思いからプライドが高くなるのではないだろうか。

でも、それを示す方法はない。でも特別であり続けたい…。その「特別であり続けること」を保つためにひきこもり、自分の世界(インナースペース)だけで完結しようとする…。
世の中が自分だけになれば自分以外、「自分を特別だ」と思う自分以外いなくなるから「特別であり続けられる」。そうやって本来「望んでいるわけでもない特別」を手に入れ、維持している状態が「ひきこもり」の状態なのかもしれない。






Last updated  Dec 9, 2005 11:26:03 PM
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