テーマ:死別の悲しみ(34)
カテゴリ:日々のこと
![]() 実家で春を知らせてくれる藤の花(過去写真) なかなか書くことができずに時間が経ちました。 2025年の年始に母が永眠いたしました。 長年、いろいろな病と闘っておりましたが 重度の肝硬変から、意識障害(肝性脳症)を何度も繰り返し、 10月からは透析も週3日受けながらがんばってきましたが77年の生涯を閉じました。 さいごの診断書では自己免疫性肝炎と書かれておりました。 途中転院しながらも最後は2ヶ月入院しておりましたが、 その入院前、さいごに母が家で過ごせた日は、父と母の結婚記念日でした。 結婚記念日を夫婦2人で穏やかに過ごせたこと、よかったなと・・不思議な気持ちでいます。 夜中に急な意識障害で救急搬送され、そこからは家に帰れずでした。 担当医師から 「会えるときに会ったほうが良い」「連絡したい人には連絡を」 「もしもの時は延命治療をどこまで望みますか」の話を幾度も確認されました。 入院中、母がはっきりと持ち直してごくごく普通に会話できる期間もたくさんあったので 延命治療についての本人の意思も医師と共に確認することができていました。 私たち家族は「母が望んでいた」ことを認識していたので、「もしものときには延命治療は望まない」という意思を尊重していました。 母は大きな病気と入院をたくさんしてきたからか、 私たちが若いときから家族間でそういった話を何度かしてきたことがありました。 主に、そういったシーンのあるドラマを見ているときなどに話題になった記憶があります。 医師の話でも、 高齢の人に呼吸が止まったあと心臓マッサージをしても、肋骨を折るほどの力でやるため、 骨が折れてもっと苦しむ上に、高齢だとその骨を治す力がないことが多いとのことで、結果さらに苦しむことも多いというお話もされました。 先ほど書いたように、 2ヶ月の間、肝性脳症で意識障害を起こすこともありましたが、持ち直してはっきり喋れる日を繰り返していたので、 11月、12月は病院になるべく会いに行きました。 思い出話をたくさんしました。「ありがとう」と「大好き」を照れずにたくさん伝えました。 帰るときには「また来るからね。大好きだよ」と伝え「ありがとう」と言ってくれる母。 毎回帰り際は、これが最後になるかもしれないと思う恐怖。 電話が鳴ると病院からの訃報だったらどうしようという恐怖。 母は私たちに、心の準備をする期間をくれたのかもしれません。 入院が長くなると、せん妄状態になりましたが、 せん妄とは・・・日常生活を普通にできていた高齢者が、入院や手術など高度のストレスが掛かり、一時的に意識障害の一種、意識混濁、錯覚、幻覚、妄想や興奮を伴う状態のこと。入院は、せん妄を引き起こすきっかけとなります。 母の病室のベッドからは窓も見えなくて、時間や日にちの感覚が難しかったように思います。 会う時には日にちや時間の話を意識的にして、とにかく会話をするようにしました。 あるとき日常会話の中で、 「私は母のもとに生まれてこの家族で過ごすことができて幸せだったよ」と話したときに、 母が手をギューーーーッと握ってまっすぐ見つめて 「私も!!!」と返事をしてくれたこと、忘れません。 転院してからは動くこともだんだん 難しくなっていき・・ さいごの2日間くらいは会話をすることも難しかったのですが、 こちらの言葉には「うんうん」とうなずいてくれていたので、きっと最後の時まで 私たちの声は届いていたと思います。 母が旅立った日は、年始で毎年私たち家族が実家に集まる日にちでした。 だから、これからも年始の集まりには皆で母のことを語り、改めて思い出す日になります。 年始で仕事も学校も休みだったので、病院から電話がきて 母のさいごのときには皆が病室に揃うことができたんです。 父も、私と妹も。その夫や子供(孫たち全員) そして母の弟や妹たちも。 すごいなって思います。 母のことが大好きな人たちみんなに囲まれて、声をかけ続けて、母は息を引き取りました。 いつも穏やかで笑顔がチャーミングで、 まわりにものすごく気を使う人でした。 病院にお見舞いに来られるのもいつも遠慮して「来ないでいいからね」と言い、 お見舞いに行くたびに「もうそろそろ帰って大丈夫よ」と言われる!「まだ10分も経ってないよー!」とツッコむのです。 母の作る料理は美味しくて、縫い物が得意で、 そんな母に甘えて私は料理も裁縫も得意ではなく、もっと教えてもらえばよかったなと思います。 私たちが小さいときも、私が娘を産んだあとも、 かわいい子供服をたくさん縫ってくれました。 ![]() ![]() お祭りのダボシャツやアロハシャツ ![]() ![]() 幼稚園の手提げカバンや体操着袋や上履き入れ、 ![]() 私のトートバッグなども ![]() 心のこもった作品たち。ありがたかったなー。 もちろん妹のものや、妹の息子くんたちにもたくさん縫ってくれてました^^ 告別式では、 母の作品の服たちを数枚飾りました。 大島などの着物を解いて、パッチワークにしたり、洋服に仕立て直すなど大作をたくさん縫っていました。 そんな母や父の服を、 特に母のお気に入りだったものを意識して、父私妹の3人でクローゼットから数点選び、 葬儀場に持って行ったところ、葬儀屋の方がステキに飾ってくださいました。 お花は菊を使わず、洋花で。 白は少なめにキレイな色のお花を使ってほしいという母の願いは私たちも覚えていたし エンディングノートにも書かれていたので、 家族で話し合い、ピンクとイエローの淡くて可愛い色合いのお花に囲まれて、 母は満足してくれたかな。 棺には、 お花と一緒に母の好物だった食べ物や飾った服たち数点、 そして孫たちからのばあばへの絵や手紙を家の引き出しに仕舞ってあったので、それもばあばの物なので入れました。 私や妹からの母の日のカードも一緒に入っていました。 孫たちはそれぞれ新しく母に手紙を書いてきていて、色紙に孫4人で絵も書いてくれました。 妹や私も母に手紙を書いてきていて、入れました。 私が子供時代から病気と闘っていた母ですが 2度の両胸の乳がんや子宮筋腫でもどんなに痛いだろうと思いながら、手術後の壮絶さやリハビリの中でも「痛い」や「辛い」などの弱音を聞いたことがありません。 いつも限界まで我慢する人なので、もっと早くまわりに伝えてほしいとお願いするほどでした。 いま母は、 病気や苦しい痛みから解放され、辛い治療もなくなった。 父や、私や妹を。見守っていてくれたらいいなと思います。 まだまだ悲しみの中にいるけど、母は心の中にずっと生き続けます。 ![]() これも母の作品。 役所関係の届けや、手続きがたくさんあります。 名義変更や、病院の会計、保険の手続き、スマホ、クレジットカード関係など・・父はわからないので いろいろなサイトを見ながら一つずつ確認して私がやっています。 私の最も苦手とする役所関係の手続き。 夫にも一緒に協力してもらいながら、そして父も同行してもらってすすめています。 このサイトがわかりやすいかな? ・死亡後(葬儀後)の手続き一覧チェックリスト ・その中でも特に急ぎ【2週間でやること】 ⾏動チェックリスト 保険の手続きは妹がやってくれているので助かっています! 入退院が多かったので大変だったよね。毎回妹がやってくれていたのです。感謝しています。 母がね、入院前に作って小分けに冷凍してくれた角煮が冷凍庫にあるのですが、 先日、父は1つ解凍して泣きながら食べたそうです。 父を支え、これからも家族仲良くしていきたい! 母の病院に通ったり、心の整理をする期間でブログの更新が滞っていましたが、 母も大好きでいてくれたこのブログ、続けていきます。 今回、 報告をさっと短く書くべきか迷いながらも、やっぱり長くなってしまいました。 涙なくして書くことはできなかったけど、書くことで心の整理のひとつとなったと思います。 これからは、 実家の片付け、遺品整理や、死後の手続き関係をして気づいたこと、自分はこうしておきたいなども ブログに書いていきます。 もちろん普通のこともたくさん書きます。 読んでくださりありがとうございました。 ↓「読んだよ」「みたよ」のしるしに1ポチしてね にほんブログ村 応援してくださると頑張れます! エンディングノートは、10年くらい前から両親と自分のぶんを買って、 気が向いたページからで良いみたいだよ、書いてね。と渡していました。 書いてないと思っていたけど、全ページではないものの、いつのまにか書かれていました。 倒れてからは渡せないものです。元気なうちに自分にも親にも用意できると良いと思います。 書かれているページは大変助かりました。 書きやすそうなエンディングノート ![]() うちはこれを使っています ![]() にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ↓はちみつのROOM https://room.rakuten.co.jp/hachimitsu-room/items 使ってよかった!やコレ欲しい!をゆるゆるですが更新中^^ お買い物はいつも楽天カードで買っています^^ ポイント使ってためてお得な旅を^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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Jan 14, 2025 09:32:17 AM
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