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開画 と 尼僧

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2025.03.14
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普段 誰かの言動が刺さる事って
タイミング があって 
状況とか心境とか がある

誰の何も 自分の心に刺さらないのは
自信の感覚 五感や 心 が鈍くなってる時

でも あとで 何年か経って
歩んできた 人生の中に沢山の ピース
が合わさって  いきなり 心に刺さることってある

だから 何一つ無駄も 優劣もない
最初と最後の出来事は人間は
印象に残りやすいから

最初のインパクトのものに拘ったり
最後のインパクトの出来事が最高なんて
思う事もあるけど

研ぎ澄まされていれば
どのタイミングで 悟ってもいい
むしろその方が 沢山の
幸せや恵みチャンスに恵まれる

気付かないのは勿体ないのである

信仰心の無い義父が
流石に大きい神社さんで 熊野大社の
滝を観た時に

「やっぱり神さんの力があるんじゃな」

そう呟いた事があった
力が
大きければ大きいほど
強ければ強いほど

鈍い人にも響く事がある

精神論から言うと 研ぎ澄まされる には

どんな事 モノ どんな人からも
学ぶと言う心構えがあるかどうかだ

そうすると 五感をこころを覆い被せている
厚い雑多は 剥がれて

どんなことも刺さりやすくなる

刺さった相手を 「神格化」させることは
感謝も生む

感謝が生まれれば 相手への敬意が現れる

刺さらないのは 厚顔無恥 な事が多い





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最終更新日  2025.03.14 16:17:18
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