エホバの小人

2006/07/04(火)22:55

はじめに

私は、永きにわたりエホバの証人というキリスト教の団体に交わっていた一人です。 エホバの証人、という団体を知らない方はそんなにはいないでしょう。「ものみの塔」といえば誰でもピンとくるに違いありません。 親が信者であり、今も熱心に行っています。つまり私は親を通してこの宗教に約25年位関わるようになった、 そう、彼らの世界でいう二世です。 これぞ正義だとしんじつつも、あまりにも現実の世界と証人の価値観や社会が浮世離れしていて噛み合わないところが多く ずっと、その理由がわからず悩んでいたのです。そのためバプテスマは直ぐに受けようとは思いませんでした。 しかし、ほんの数年前に決心しバプテスマの討議を受けたとき信じられないできごとがあり、悩みましたが情報網の維持以外は 今は活動はしていません。 そう、これぞ正義 と私が信じていたものは自分にとり「そこが居心地が良いという事」と履き違えていたのです。 これからの話は私が体験して感じたこと、考察して分析したことです。そして実際にあった事でもあります。 エホバの証人は、聖書に忠実で正義を愛する人々と信じ、また聖書をよく学んでいる人たちであり、 立場のある兄弟達は、人格が磨かれている人であり、王国会館で見せている兄弟姉妹の柔和な笑みと喜びは日常でもを心がけている と信じていたら、それは事実と反します。 賄賂もあれば、陰謀で特定の人物を排斥に追いやろうとします。聖書を読んでいる証人は会衆でごく僅かで、もし聖書全巻通読した 人を会衆で挙手させれば両手で数えるくらい居たなら良いものです。 実際には組織の出版物を読みこなし、聖書は其の副読本か引用の確認程度なものです。 証人の信条は聖書の記述でなく、統治体というブルックリン本部の聖書解釈に基づいた協会の出版物においているのであり 彼らはエホバでなくエホバの証人の組織に忠実にさせられているという、その教えにあるロジック と巧みなレトリックでその区別が分からなくさせられています。 また長老の判断は、聖書を絶対的な基準としてはいません。もし一言で言い切ってしまうなら 自分の気分と好き嫌い なのです。 そして、この長老を取り巻く人間関係に多くの兄弟姉妹は悩むのです。長老という基準に合わせるか、合わせないか・・・ また、一方的に決め付けられてしまう・・・・ そのストレスはすごいもので王国会館でいかに笑顔でいても帰宅すれば、表情は違います。 証人たちは日常生活そのものが崇拝行為と重ねていますから(だから日頃の言動が一般社会の人への証言となる)、ですから、 家庭や学校や社会生活での姿こそ本当の姿なのです。 表裏の使い分けはやむ得ないのです。証人の子供たちの生活態度に表裏云々いっても親たちがやっているのだから無理なのです。 さらに、精神病や神経症に患ってしまっている人が多いのも事実です。不思議にこのエホバの証人の組織は偏りのある性格を持つ人物を 吸い寄せやすく、さらにそのような人物を生み出しやすくもあります。 証人の子供たちに今私が言いたいのはバプテスマをうけるなら25歳位になるまではしない方がよいという事です。 社会人としての見る目が養われるのは25歳位であり、この年になってからバプテスマを受けて良いか良くないか、エホバの証人に 留まっていて良いか良くないかが素肌感覚として判るようになるからです。 これから、今述べた事を含めいろいろな事をを細かく記していきます。

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