2010/08/31(火)12:08
■ 絶 縁 ■ (その2)
不毛な会談から4日目。
今のところ、
父方の親戚から連絡ナシ。
正確には、仲介役の第三者(以後A氏と呼ぶ)から
連絡ナシ、というところだろうか?
前回、ホテルを出てすぐにA氏に電話をし、
会談が物別れに終わったことを手短に説明して
「ウチの電話番号は絶対教えないで下さい」と
思いきり釘を差しておいた
元々、今回の○○家との話し合いは、
そのA氏がウチに連絡してきて、
ファストフード店に呼び出されて
持ち出された事なのだ。
その時のA氏の説明で、
司法書士がどうのこうのとか出てきて、
どうして司法書士が出てくるんだ!?と思ったら、
S学会員の従兄に、うまく言いくるめられたらしい(-_-;)
他人の家の事情なのに、
余計な首を突っ込んで、
話を混乱に導いてくれたらしい(*▼_▼)凸
たかだか4年間、首都圏の大学に通っただけの
Uターン就職組には、
首都圏での考え方を理解するのは難しい
特にウチの県の様に
ド田舎で保守的思考が
幅を利かせている所では、
理屈よりも「情」を持ち出す(-_-メ)
私が一番大嫌いな事。
首都圏で大切なのは、
間違っても「情」ではなく、
人脈だ!
これは出身県やある地方(地域)しか知らない人達は、
混同して、区別する事は難しいだろう。
A氏もやたら「情」だのなんだの持ち出して、
コイツ、仕事では使えないTypeだな…と思った。
ウチみたいな田舎ならなんとかなったとしても、
首都圏ならOUTだな(-"-)
○○家がこのまま黙って退くような、
可愛げのある家系でないことは、
生まれた時から見てきて
知っているから、どう出てくるのか…。
どうせ屁理屈を言ってくるだろうから、
論破してあげるよ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
祖母の認知症は酷かった。
30年以上も前じゃ、
今の様にデイサービスやら介護施設等は無く、
母の苦労は言葉に尽くせない。
母が、祖母が亡くなって随分経ってから
全てを母に任せっきりだった父に、
「おばあちゃんより私の方が先に死ぬかと思った」
と言ったら、二の句がでなかったとか。
有吉佐和子氏の『恍惚の人』を
読んでみて欲しい。
ウチはまさにこれと同じ状態だったのだと、
高校生になってこの小説を読んだ時、愕然とした。
今、母は自分が死んだ時、
どういう事をして欲しいのかを
書き止めておく為に勉強中(*^_^*)
とりあえず参考にしているのは
真ん中の本は、母の考え方と真逆で
使えないらしい(^▽^;)
右の本が、母の考え方、
私がしようとしている事に
一番近いらしい
○○家が騒いでいるお墓の件だが、
何も決まらず、誰も管理費を
お寺に払わなければ、
数年で処分されるらしい。
↑母と私は○○家と縁を切ったので、
どうなろうと知った事ではない!!!
ウチの墓地は、先祖が羽振りのいい頃に作ったもの。
敷地が10畳近くあり、納骨室に至っては、
骨壷が雑然と何十個も置かれ、
父の遺骨を納めた時に見た石屋さん曰く
「まだまだ(骨壷が)数十個入るよ」だって(@_@;)
父が生前言っていた、恐ろしい事・・・。
羽振りの良かったころ雇っていた従業員のお骨も
その納骨室に入っているそうだ(-_-;)
私がお墓を拒絶するのにはもう一つ理由がある。
それは元ダンの家のお墓。
元ダンは家庭内離婚で育った人で、
全面的に母親の味方に近い。
彼の実母は病気で20数年前に亡くなっている。
その時にお墓を建てたそうだ。
結婚前、彼の家のお墓に報告に行った。
元ダン、何を思ったのか
「美葉も将来はこのお墓に入るんだよ」と言った。
私は心の中で「それは勘弁して~~~!」と叫んでいた
元ダンの父は私達が結婚する前年に再婚したが、
彼の実母が生きている頃から付き合っていたらしい(-"-)
↑元ダンの母方のおばあちゃんが
「ウチの**が死ななかったら、あの二人は結婚できなかった」って
言っていたもん!!!
本妻と、不倫相手から後妻に昇格した人と
同じお墓に入るなんてまっぴら御免!と
マジで思った。
幸い離婚して、その危機は逃れたが、
世間にはこういう例が結構あるのかもしれないと思ったら
ゾ~っとした
今、私が持っている父の骨は、
タッパに入って白いハンカチで包んだだけなので、
ちょっと申し訳ない状態(^▽^;)
今は遺骨ペンダントとかミニ骨壷等あるので、
近々購入し、落ち着かせてあげようと母と話している(*^_^*)
↑墓地はいらない!で意見が一致している母娘
私は自分の骨は、横浜港か相模湾あたりに
撒いて欲しいのだが…(^▽^;)
文書に書いて、友達に頼んでおこうかな
いろいろ書いたが、
これはあくまでも私のお墓に対する考え方。
他の人に「あなたもそうしなさいよ~」と
押し付けるつもりはない。
これを読んで、それは違う!と思う人もいるかも知れない。
けれど、死者をお墓に祀ればそれでいいのか?
ちがうでしょ。
生きている時に、どう接してきたかが大切。
死後、その人の事をどう想うかが大切。
形あるものはいつか壊れる。
大切なのは“心”だ。