【惜しい人が、又、消えた】
先日(7/19)、友人の俳優、原田芳雄(71才)が、この世を去った。友人と言っては申し訳ない程の先輩だが、彼には、上下関係など感じさせない大らかさがあった。そもそもは、『五番目の刑事』(1969~1970)という刑事ドラマで共演させて貰って以来の付き合いだから、40年以上になる。当時、彼は、みんなから「兄貴」と呼ばれていたが(彼は、本所工業高校卒業後、一度就職したので、俳優座の同期の仲間より年が上だったかららしい)、22才の私としては、大先輩をそうは呼べずに、私が役の上で呼んでいた「お兄ちゃま」をそのままに呼ばせて貰ってそれが今まで続いていた。(ご自分のお子さんには「芳雄」とよばせていたが…)『五番目の刑事』というのは、今でこそ珍しくないが、ジーンズの上下、又は、皮ジャンにレーバンのサングラス、仕事の車はジープ。それを画面いっぱいに乗り回すというアウトロウ的な刑事役の走りだった。(後に、松田優作が、そんな原田氏に憧れて心酔し、お隣に越したと聞いた)私は、そのドラマでは、セミレギュラーだったので、時々しか出て来ないのだが、出番のある日は、若いスタッフや若い出演者と一緒によく食事に誘って貰った。お宅にも、よくお邪魔した。みな貧しかったので、それが本当に嬉しかった事を思い出す。何年かして、私が車いすになった事を知ると、彼と奥さまの章代さんは、私を表に出そうとして、食事に誘ってくれたり、自分のコンサートに、私の車いすの仲間達と一緒に招待してくれたり、主演の映画や受賞パーティーに呼んでくれたり、そのうち映画をやろう…とも言ってくれた。実現はしなくても、その言葉だけで十分に励みになった。本当に大事にして貰ったと思う。今となっては、恩返しの仕様もないのだが、<原田居酒屋>と言われる程、連日、仲間達が集まって来る原田邸。主の原田氏の事を語る人はいっぱいいるし、これ以上、私が語る必要もないだろう。酒を愛し、映画を愛し、ブルースを愛し、仲間をこよなく愛したあんなに存在感のある俳優、エンタテナーは、もう現れないだろうと思う。後は、あちらに先に逝った大の仲良しの友人達、太地喜和子、勝新太郎、藤田敏八監督、松田優作が待っている。今頃は、大好きなバーボンを傾けながら、ゆっくり映画論などを闘わせていることだろう。そして、いずれ、私も仲間に入れて欲しいと願っている。原田芳雄氏のご冥福を、心よりお祈り致します。兄貴、ありがとう!