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刹那と永遠 - Moment and eternity -

刹那と永遠 - Moment and eternity -

・三ツ沢に咲いた「真の花」





1997年11月16日深夜

マレーシア・ジョホールバルの地で
日本代表がワールドカップ初出場を決めました

前半は1-0で日本が勝っていましたが
後半にイランに2点追加されて1-2となり、日本は逆転されました

しかし後半から出場した
背番号18番城彰二選手(当時:横浜マリノス)が
値千金の同点ゴールを決めました

中田選手からの後方からのパスを
ゴール前でふわっと飛んで
ジャストミートでヘディングゴール!!

しかもその直後、くるっと前宙返りまで決めてくれちゃった

この瞬間、彼はhakaのヒーローになりました

さらに城彰二はこの試合中に
ちょっとおもしろいことをやってくれたのです

その後も日本チームの決定機が続き
城は何度何度もシュートしますが
依然としてボールは枠に入りません
そのとき城は(思わず)ひとりふらふらゴールのそばに行って
「なんで入んないんだよ・・・」てな感じで
ゴールポストにおでこを「こつん」とぶつけていました


かわええええええ


この仕草が決定打でした


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彼を9年間応援してきて
いちばん高揚したのは

1998年11月3日のレッズ戦での大逆転劇と
(試合後のインタビューで彼は泣いていました)

2000年の冬でした

2000年1月
成田で記者会見をしてスペインリーグへ渡ったときと

2000年2月
その欧州最強リーグで2得点を決めたとき

「スペインに行きたい」という彼の長年の夢が叶い
そしてそのリーグで見事に得点し実力が認められた時です

フランスで日本中から叩かれて
(本人はもちろん自分も)ほんとうに悔しい思いをしたので
このスペインの時はほんとうにうれしかった・・・

1998年の屈辱を乗り越えてよくがんばった!!
2002年のエースはJO以外にはいない!とまで言われて
毎日が夢のようでした

そんな幸せな夢はあっという間に覚めました

その後悪夢の2000年3月15日
神戸ウイングスタジアム
代表の親善試合中の怪我により彼はその栄光の道を閉ざされました

それでもまた諦めきれず

2002年6月9日
日韓W杯・横浜国際競技場の観客席にhakaはいました

ここで1998年フランスのリベンジを果たすであろう
城彰二選手を見届けるために
努力と運でチケットを手に入れたのです

しかし横浜国際競技場のピッチの上には、肝心の城彰二選手はいませんでした



+++++



その後、城彰二選手は
代表に選ばれることもなく
所属チームの神戸から戦力外通告されて

昔のつてでJ2・横浜FCに「拾って」もらいました

九死に一生を得た城は
少しでもチームに恩がえしがしたいと思っていました

横浜FCに入団したとき、彼はこう言っていました

「このチームをJ1に昇格させる」「それが僕の使命」

あ~あ、また大きいこといっちゃって~と
本気にしていなかったhakaでした

それでも心のどこかでは、信じていました
毎年、初詣の際には「今年こそ横浜FCがJ1に昇格しますように」と祈っていました

そして数年後、彼はほんとうに
横浜FCのキャプテンとして万年最下位の弱小チームを牽引し
2006年、晴れてチームは見事J1に昇格しました

才能があるがゆえに、いままでいろんなチームを渡り歩き
「スペインに行きたい」「代表に選ばれたい」
「俺がいるのはここじゃない」と
なかなか自分の居場所を見つけられなかった城選手でしたが

横浜FCという恵まれない環境の中でサッカーを真摯に向きあい
結婚し子供も生まれて家族ができて
彼のサッカーに対する考え方が変わってきました
サッカーの楽しさにようやく気づいたのです

サッカーへの想いは昔より強くなったのに
悲しいかな
体はすでに昔のように機敏には動きません

カズや山口らベテランと内田、菅野ら若手のパイプ役となって
チームをJ1に導いた後
自分は現役を引退しました

娘に「夢叶」(ゆめか)と名付けるくらい
いつでも夢を見て、それを叶えようとしてきた城選手

叶った夢もありました
叶わなかった夢もありました

そして自分のことは棚に上げて
いつも彼には無茶な夢ばかり託してきたhakaですが

城彰二にたくした「最後の夢」は
J1でプレイする城選手の姿を磐田スタジアムでみることと
日本代表の青いユニフォームを着た城選手をふたたび見ることでした

代表ユニはともかく
J1はほんとうに叶ったのに…
それを目前にして潔く身を引くところも
かっこつけしいの城彰二らしいなあ、と思ってしまいました

2006年12月2日
城彰二選手、現役最後の試合を三ツ沢球戯場まで見に行きました

三ツ沢の丘では
それはそれは幸せな時間が流れていました

この日の城彰二選手は
サッカーならびにチームやサポーター、そして家族への愛と
志を果たして大きな仕事をやり遂げた自信に溢れ
ほんとにうに素敵でした

最後の最後に輝いて、惜しまれて
こんな風に現役生活を終えられる選手はあまりいないと思います

試合終了後、優勝&引退セレモニーがありました
満員の三ツ沢球戯場(横浜FC創立以来初)で観客に祝福されながら
J2リーグ優勝プレートを掲げる城キャプテンの晴れやかな姿が
小さく小さく見えました

スペインじゃなくたって
代表じゃなくたって・・・いいんです

空色に染まる満員の三ツ沢球戯場、「いま、ここ」が
彼が望み、ようやく見つけた自分の居場所なのだから


ジョホールバルでの軽やかなヘディングゴールからはじまった「恋」


前歯を折ってゴールを決めた横浜国際競技場
へらへら笑ってたフランスW杯のピッチ
成田空港での水かけ事件
フランス帰国後の怒涛のゴール数、修羅と化した姿
国立での奇跡の大逆転劇
因縁の成田空港からスペインへの旅立ち
スペインでの栄光、挫折、帰国
その後の不振、横浜FCでの復活…


いままでの苦労や悔しさや涙はすべてこの日のための


この時のこの笑顔、この最後の奇跡のような瞬間のために
わたしは城彰二を9年間見てきたのだと思いました

この日、三ツ沢ではJ2優勝記念と日ごろの感謝のしるしとして
サポーターたちに「白い薔薇」が配られました
私も家に持って帰りましたが、その後、薔薇は1ヶ月以上咲き続けていました

白い薔薇とともに
あの日の三ツ沢の丘に咲いた「真の花」は
いまでも枯れることなく色鮮やかに

わたしの胸に咲き続けています






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