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刹那と永遠 - Moment and eternity -

・lunaさんの芝居帳(5)

●「エンジョイ」・チェルフィッチュ

2006/12/16マチネ 新国立劇場・THE LOFT



セットらしいセットもない前方より奥が下がった子供用のプールのような縁がついた傾斜舞台と

正面奥に大きなスクリーンが上から吊られている。

その向こう側の隠れた部分は、ビデオカメラを通してスクリーンで見ることとなる舞台。



今までと異なり老若混じる新国立で上演することをかなり意識している。

スクリーンに今までには見られない説明がなされる。

第1幕の冒頭に、阻害されている漫喫の30歳フリーター加藤くんの語りが始まると、

画面に映る指人形に「第4幕」と書いた吹き出しを持たす。

実は、ここの部分は第4幕なのですよと言っている。

のっけから訳がわからなくなる人を防ぐためか。

一種のオムニバスで4幕を観終わり全体が見え出す。

観客は其処から頭で、心で自問自答が始まる、芝居が始まる。





服装と立ち振る舞いから窺い知れる甘党草食低温動物(今どきの若者)が、

何の前触れもなく唐突に数人ダラダラと舞台に現れ、

語るというよりも説明をし始めることから この芝居は始まる。



だが、中身は深刻であった。

普段の日常において、

街角で見かけるパーカーやジーンズ姿の若者たち(男女)の言動は、私には理解不能な世界である。

本職化したフリーターが、だらしなくしゃべっている様も、

公衆の面前でのラブラブカップルも、ただ傷を舐めあうだけの大甘な生き物に見えていた。



しかし、氷河期と呼ばれた就職戦線の中、

初めは抗いながらもやがて易きに流れ、

アルバイトや派遣を続けてきた彼らの見栄からか本心からか自由に見える風情も内情は、

彼らなりの微妙な差別(彼女の有無・タメかどうか・僅かな年齢差等)が存在することを知る。

偶然に出会った正規就職した同級生に負い目を感じ、

スキルを持たないまま30歳を超え湧き上がる将来への焦燥、

漫喫に時折現れる隠語で「ジーザス系」と呼ばれるホームレスと己の将来像が重なり不安はますます募る。

悩みを打ち明けた恋人に「死んじゃえば」と言い放たれ、立ち直れないでいる。

己の悩みは聞いて欲しいのに、人の悩みはというより話し言葉はウザイと感じる彼らである。

内なる激する想いは何処にも吐き出す事無く、彼ら自身の細胞に沁み入る。

沁み入った細胞が手足の身悶えとなり、やがてその仕草が心の動きに観えてくる。



大向こうのスクリーンに映し出されるフランスの若者が蜂起する姿に対して、

超余裕かましていたはずの日本の非正規雇用労働の若者はここへきて孤独であった。





今の若者はデリケートである。

表姿とは異なり、他人の姿を言葉を視線を即座に密やかに内なる処で敏感に受けている。

パトレーバーの太田巡査のような直情一途な骨太さない。



戦争体験者の昭和一桁の母が私には居る。

「何甘っちょろい事を云っている!」

「生きることは戦いなのだ、そんなひ弱なことでどうする!」

「雑草のように生きよ!」

「誰と比較して生きてる、己の敵はオノレだ!」

「人生の喜びも悲しみも喰らいつくせ!」熱い私が育ち そしていま吼える。



けれど今回の舞台の精髄をこの身に滲入させて言葉を失う。

観者の私は「演劇」を見つけ戦い楽しみ熱く呼吸する。

演者の彼らでさえ「演劇」を見つけ戦い楽しみ熱く呼吸している。

この芝居を本当に身に沁みる当事者達は観る事もなく、

劇場の外で温む皮膜から脱出することなく息絶えていく想いに言葉を失う。



本物の低温動物も草食動物も生きる戦いを日々している。

切られても切られても蜥蜴の尻尾は生え、牧草地帯を求めヌ-は延々と移動する。

ガムシャラに生きることに熱くなることは、

ナニゲにカッコ悪いことではないことに早く気づいてほしい。

そして気づいた時から始められるのである。どんな事でも己の人生を歩むことに「遅い」はないのである。





新国立の新作紹介を読む。岡田さんは言っている。

『「不安定な現状を焦燥しろ」とか、

「そこから抜け出す方途を必死に探しだせ」といった勧告の存在を彼らは知っていて、

でも同時に、未来とは可能性の与えられていないもののことであるのも、彼らは知っている。

「彼ら」とは書いているけれど、もちろんこれはわたしたちのことだ。

彼らがそして私たちが置かれている、このような社会の条件下であっても、

彼らはそして私たちは、なんであれ与えられた生を楽しんでよいし、楽しんでるその仕方を肯定してよい。

その仕方を矮小と感じてしまうことなく

楽しみ続けることが難しく思われるときがたとえあったとしても「楽しんでいる」と明言してよい。』





私たちとは……

彼らとは非正規雇用労働者?私たちとは岡田さん世代?

いや違う……



……………そうかぁ!そうだったんだぁ!





この話は若者の非正規雇用労働者の憂いを描いている芝居であったはずが、

私に今見え出したのは日本の大人たちへのメッセージに見え出す。



彼らとは、わたしたちのことであり、いま書いている私であり、いま読んでいるあなたなのである。



甘党草食低温動物(若者)は、それに眉をしかめる大人(日本国民)そのものではないか。

温む皮膜から脱却することなく息絶えていくのは私たちではないか。?



いま、私たち(此処で描かれている若者以外)は、彼ら(此処で描かれている若者)に上から目線でモノを言っている。

しかし、対日本の世界情勢は、此処に描かれる若者の置かれている立場と寸分違わぬではないか。



税金を納付しているだけで己は義務を果たしていると思い込み(上から目線の一因)、選挙より己の遊興を優先し、

すべて御上の所為にする(不安感は募るが動こうとしない)国民性は、国外の視点では何ら彼ら若者とかわりないではないか。



他国からの外交戦略と判っていても戦争責任を口にされれば、ドギマギしてしまう。

金融、経済、外交、軍事、すべてに亘っての劣等感と欧米崇拝は続く。



数々の情勢不安を情報と得ているにも拘らず、

現状に手を拱き、目の前の出来事に興じ、一時は熱くなっても冷め易く、

困難から出来れば逃れたい、未来の可能性を甘く夢見、まだ日本も捨てたもんじゃないと思おうとしている。

どんなに嵐が周りで吹こうとも、見なかった事の様に狭い日本でささやかな楽しみを持とうとしている。

そして、頭の片隅によぎる悪夢のような状況が現実化したとき、

社会の人の所為にし、世界でアジアで歴然とした差別を受け、焦燥し、絶望するのであろう。

外からの理不尽と思う攻撃や内なる想いは、此処に描かれる若者も日本国民も何ら変わりはしない。





けれど、岡田さんの文に其処までの意味を含むか如何か定かではないが、

『その仕方を矮小と感じてしまうことなく

楽しみ続けることが難しく思われるときがたとえあったとしても「楽しんでいる」と明言してよい。』とは、

孤独な世界のことではなく、世代を超えて、共に悩み解決する相互扶助、運命共同体の幸を感じよ と

読み取ってしまう私は深読みなのだろうか。

やはり甘党な大人だろうか。





何か得体の知れない不安を感じている私は、言葉が出ない絶望の中 少しずつ浮かぶのは、やはり母の声。



「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」



パンフレットに書かれた演出家・岡田利規氏の言葉と また重なる。

「『枷』は自由へのバイパス、即興は自由にしてくれるわけではない。

その型をどうやって生きたものにしてやるか。その型を通して自由さに届いてもらうか。

その点にはなんとしてもこだわる。」ここにヒントは隠されている。



血が逆流するほど熱く魅力ある生き方を見つけられる日本民族の潜在能力を彼らに目覚めさせる事が、

豊かな時代に育んでもらった私以前の世代の恩の返し方なではないか。

制約があればあるほど生きた感は強くなる。悦びは大きくなる。

人生に「たら」はない、覚醒せよ!生きよ!彼らよ、そして私たちよ!





「タンゴ」における、

互いが愛し愛され憎み嫉妬し求め合う、刺すか刺されるかの(実際刺された・・・)

ねっとりした濃ゆい人間関係はTPTの空気を感じさせますね。ああ、人間(人と人の間)ってしんどいぜ。

愛するのってめんどくさいぜ。誰かと誰かが真剣に対峙する、そのときの空気はナマモノだぜ。

(hakapyonさんの「カノン・私の秋も終らない」のコメント)





「生きるのってめんどくさいんよ。けど、悲しみも喜びも自分次第、喰らいつくせ!人生って忙しいえ、泣いてる暇は無いえ、

お母ちゃんは、アンタに雑草のように踏まれても踏まれても生き抜く力を持って欲しいんや」またもや母の声。



あらゆるものを失い戦前戦中戦後を生き抜いてきた先人の知恵を屈指して、

この窮状を生き抜く力を自身もつこと、そして若者を慈しみ育てることは決して右化とは呼ばれはしないであろう。



「たらぬたらぬは工夫がたらぬ」 それは私に向かって放たれた言葉と気づく。





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