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僕は繋がりを求めているようで求めていなかった。
繋がろうとすると窮屈になる、個人の想いが圧殺される、息苦しい。 俺達仲間だろうとか、集団の中に入ると暗黙的にその集団の中で果たさなければならない義務というかそういうのが生まれる。 それが鬱陶しい、個人として生きたいという欲求を抑えなくてはならない。 それはきっとでも「当たり前」のことなのだろう。 寂しいという感情を忘れるにはそうしなければならない きっとフツウは その集団の中にいても個人を失わずにいるには「自分の人生を」と望むなら、 人は一人なんだということを徹底する、自分のルールの確定、その集団にいる理由、自分がココで生きている理由、を納得のいくまで明確にすること 自分の本当と他人の本当では、人は本質同士では繋がれない。 僕は心の底での望んでいたことは「僕の本当と他人の本当で繋がること」だったけどそれは人間という生物としては無理なことかもしれない 繋がりたいのならその集団での義務は果たす、もっと言えば「その集団の中で愛を与える存在になる」それで繋がる、ただしそれが出来ない、個人の思いがどうしても消えない人は人のためではなく、自分のために生きたいと願うなら、自分のルールを明確化すること そのルールままに正直にで生きようとすれば孤独になる だから繋がりたい、これは矛盾しているけど本心だ それならば愛すればいい、愛されたいのなら愛することだ 優しくされたいな優しくすることだ 僕は今までそのことが「結局人のため、あなたのため、と言っておきながら自分のためじゃないか」と心の中で嫌悪していた、奇麗事ばかりだと、結局自分のことしか考えてないと だから自分の本当と他人の本当で繋がりたかった、本当の繋がりとはそういうものだと信じていたというより、そういうのを望んでいた。 人は一人なんだ、本質同士では繋がれないんだ、個人の想いを集団の中でも実現しようとするなら 他人拘束や縛り、あらゆる問題中毒を解決しようとするなら「自意識の独立」が必要、それはきっと孤独を引き受けることだと思う。 寂しさは人を愛することで消える、けど孤独は消えない お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月06日 15時28分07秒
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