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まあこの話で僕が伝えたいことは、みんな違った世界で生きているということで、それは何というか概念的にそうだということではなくて、全くもって物理的(?)にというかとにかく徹頭徹尾そうだということで
その「脳と心の洗い方」という本に「仮想化現実」という言葉が出てきまして、「冬ソナロケツアー」というのがあったじゃないですか、ドラマに夢中になった中高年のお嬢方がこぞって行っていたとされるツアー。 きっと何にも知らない人からすると何も面白くないと思うんですよ、チラッと見たけど何にも無いところじゃなですか、多分 それでもそこに行けばそのお嬢様方の脳内はヨン様が優しく微笑んでいる世界にいけるわけだすよ、つまりその物理的現実自体にもう物理以上の脳で意味づけされているから、そういう幸福感を味わえるわけですよ これは捨てられない彼との思い出の品とか、あの娘の縦笛とか、ブルセラで売っている女子高生のパンティー(笑)との対象が「今そこにある世界」に変わっただけということで でその本に紹介されているのは、極端な言い方をすれば「今自分の五感で感じていること全て」をそういうもの幸福感を感じることで意味づけしようということで 僕は今までこういう感じの本を読んでも、それは自分で自分を騙しているだけだと毛嫌いしていたんですけど この本を読んで思ったのが社会や、世の中に洗脳された、脳で生きるか、自分の脳を自分で洗脳してしまうかの違いだけとも考えられるなぁと今書いていて思ってしまったんですけど(笑) 今までの僕だったら本質を生きるという方向に悟りを開くみたいな方向に行くと思うんですよ でも倉本さんに、(倉本さんが悟りの境地に立ったことがあるかどうか分からないですが(笑)) 悟りの境地に立って「石や木のように生きてもしょうがない」「山の奥で仙人達人になってどうするの」みたいな感じの言葉をDscで言われたんですが(しばらくhotmail開かないでおいたらメールデータ全部削除されてました) でここでまた「フィシャーキング」の話に戻ります その自分の世界にどっぷりつかった精神異常者のそうなってしまった原因というのが奥さんと二人でレストランで食事をして、幸福な時間を過ごしていたら突然男に銃で撃たれて奥さんが死んでしまったそのときのトラウマで結果的にそうなっていくんですけど 犯人がそういう行動を引き起こした原因というのはラジオのDJの責任の無い適当な言葉で その時のDJというのがその事件が原因で強迫観念に侵されて心がすさんでいた主人公なんですよ でまあ主人公(名前はジャック)がその精神異常者(名前はバリー)に罪滅ぼしのために色々と恋愛の世話を焼いていて、 でまあココからが重要なんですけど、その恋が実った途端ジャックも人が違ったように変わるんですよ、病状も改善し、怠惰な生活をやめまたDJに復帰すると言い復帰する。 まあここから一波乱、というかそのバリーの恋が実った途端一波乱起きているんですけど でまあココで言いたいのはジャックはバリーの人生が幸せの色で色づき始めた途端、自分の後ろめたさ、罪の意識と決着がつき自分自身が好転していったということで これはジャック自身が納得したからに他ならないと思うんですよ。 言ってなかったけどその事件では7人死亡しているんですよね、このことから単純に考えるとジャックの罪が許されたかというと許されてないわけで、その7人にも遺族はいるわけですから けどジャクの魂はバリーの恋を実らせたことで納得した 実はこの後ジャクが取り戻した全てを捨てて、また納得を必要とする場面がまた訪れるわけですが でここで「自分自身の納得」というPQと繋がるわけです でね、そういう「自分の納得を一つ一つ重ねていくことがPQ人生なんだろうな」 と僕は今納得をいうことの重要性を改めて納得したわけです。(笑) 努力というのも納得の形の一つだと思うんですよね、ただそこには自分自身が思っている世間的見解というのが入っていて、PQノートにもあった「これだけやったからこのくらいだろう 」というのを世間的見解を基準にした自分的見解で納得しているんじゃないかと思います。 脱洗脳する段階で物理世界のみの観点に立ち悟っていることは重要であり、洗脳が解けたら世界を自分色に染め自分だけの納得を重ねていく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月13日 17時16分51秒
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