2013/11/02(土)07:00
慰めようもなければ、励ましようもない。
私の周りの困ったちゃん
やらなきゃいけないのに、思うようにできない、進まないときって辛いよね。
焦りが出てきて、どうしようって思うまま、余計にグルグルすることもあるよね。
ましてやそれが仕事で自身の生活を支えるものだったら、なおのこと。
誰かに「どうしよう」って気持ちをぶつけたいのも理解の範囲。
だから、「どうしよう」って言われたら、「どうしたの」って聞く。
どんなに忙しくても、一応ね。
ただ――いい年の大人が、まったく同じ理由で十年もそれを繰り返す。
繰り返し続けて自分の生活さえ危うくした挙げ句に周りに少なからず迷惑をかけていくって、どうなんだろうか?
根本的な姿勢を変えない限り、または仕事を変えない限り、その「どうしよう」は半永久的に治らない気がする。
だから、「どうしよう」「やばくて」って言われるたびに、ああまたかって思いつつも、「最近の私は、こうやってどうにかするようにしてるよ」って返す。
相手が、愚痴ることで励ましてもらって、あなたは必要な人なんだから頑張ってって言ってほしいだけで、他人の意見なんか求めてない。
それはわかっているけど、私自身がもうそれに付き合う気力がない。
だが、何かこっちから切り出さないと、延々と同じ話を繰り返されるから、終結に向けてだめもとで言ってみるわけだ。
そして返ってくるのがこの言葉。
「私は茶夢じゃないから無理だよ」
だったら始めから「同じ思想・価値観・行動力」の人間に聞けばいいでしょ。
一緒に「どうしよう」「やばい」で盛り上がって気が済む相手にだけ愚痴ればいいでしょ。
それでも生活できる者同士で「私たち可哀想」「辛いねー」って傷をなめ合ったらいいじゃないっ。
でも、それは嫌なのよね!?
だって、やる気のない相手と話をするとモチベ下がって、自分を棚に上げて腹が立つんだものね。
その上相手に説教までしちゃうんだものね。
どこまで自分本位なんだよ、んとにっ!!
本気で状況を改善しよう、脱出しようっていう気持ちがないなら、ただの愚痴で人の貴重な仕事時間やモチベや体力を奪うなって思わされる。
いっそ愚痴ブログでもやればいいのに、いろんな理由をつけて、そういうことはしない。
メールさえ「そんな時間ないし」で打たない。
ようはリアル構ってちゃんで、それ以外は受け付けられないタイプなのだ。
(その割に、自分が嫌な時は電話線切ったりするけどね)
でも、こういう時に限って、連絡が必要な用事とか続けて舞い込んでくる。
なので連絡するも――――疲れた。
いずれにしても、同じ理由で同じ困ったを十年以上も繰り返す頑張りや努力の意味が、私には理解できません。
それなのに、
「ごめん。私はあなたじゃないからわからない」
これを言ったら「冷たい」「ひどい」となじられます。
「そんな人だったの!?」
(いや、こんな私はあなた限定ですが……(-"-) ふーっ)
――――本当に、どうしたいんだかね。
これでも相当放置中☆彡
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昨日は来てくれてありがとう!!
本当に嬉しい&元気が出ます!!!
今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)