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2014/02/04(火)01:12

父の一周忌を迎えるにあたって。

●自分史φ(..)メモ(病んだ親…)(11)

今月七日は父の一周忌。 いろいろ立て込んでいるので、内々で済ませると決めた。 だから、親戚とうにはいっさい連絡をしていない。 そんな中、田舎の叔父から「兄貴に酒だけでもと思って送ったから受け取ってほしい。お前にも一緒に飲んでほしい」と電話があった。 父が亡くなったとき、田舎からは兄弟はおろかその子供たちも誰一人来なかった。 親が年で遠出ができないのは仕方ないにしても、姪や甥が代表してくることもないのか!? 私や旦那(他人だよ!)は、父が動けなくなってから、代わりにけっこういろいろしたよ。 それって姪や甥のあなたたちに対してしたことも多かったのにね――――と、呆れる半面、これで付き合わなくて済むようになるんだから、まあいいかと思った。 こちら(関東)の風習と田舎のそれが違うこともあるし。 そもそも冠婚葬祭ごとに対しての考え方も違うのだから、仕方がないかと開き直ったのだ。 何より自分の生活も大事だろうし、タダじゃこれないからね――――と。 それでも、たった一人でも、命日を忘れないでいてくれた弟がいてよかったねと思う。 逆を言えば、この叔父さんだけは、きっと葬式に来られなかったことを本当に悔いてるんだろうな――――と。 そうでない人は、その時ばかりの「行けなくてごめんね」で忘れてるだろうけどさ^^; だから、この叔父さんにだけは、お酒が届いたら父に備えたところを写真にとって、「ありがとうございました」と返そうと思う。 そして、父がいつもリビングにいること。 何かあれば(大概は私のじじいへの愚痴だが)写真に向かって旦那や子供が「だってよ、じいちゃん!」と笑って話しかけていることを伝えようと思う。 そう――――金銭的なことや、他もろもろでは、子供のころから死ぬまで私の足を引っ張り続けた甲斐性なしの父だが、人だけは悪くない。 だから私の旦那や子供(孫)に嫌われたことがない。 私が文句をダラダラ言うせいもあるだろうけど、それでもへらへらわらって「だってよ、じいちゃん!」と、いつも変わらずに言ってもらえる。 誰一人、奥へ移せとか、見えないところに置けよなんてことも言わない。 旦那にいたっては、私よりも「お墓をどうにかしないとな~」なんて、言ってくれる。 私のほうが、 「いや、生きてる人間の生活のほうが先だから! 余裕もないところで、墓にかける予算もないから!!」 って感じなのにね^^; この一年、私は何度「なんて幸せなじじいなんだろう」と、遺影に向かって言ったかわからない。 と同時に、「よかったね! 死んでから文句言われない。嫌われてないって、一番成仏できるんじゃない!?」って話しかけたかもわからない。 でも、そう話しかけられることが、私の中に長年蓄積していた父への恨みつらみのようなものを浄化してくれている。 旦那や子供が何をしても「私の父母の悪口を言わない」こと、とにかく効果絶大だ。 私が何を言っても、私の親だし、結局は全部私が見てきた。 実際両親のことで苦労したのも、私だけだ。 そういう意味でも、文句を言うのは私だけでいい。 自分たちは聞き役でいいと徹してくれているのかもしれないが、息子に限ってはこうも言っていた。 「だって俺には優しいじいちゃん・ばあちゃんだなという記憶しかないからさ」 ああ、そう^^; そう言われたらそうよね~。 苦労した母への同情よりも、自分との事実関係のほうが重要よね~。 ――――って感じだが、こういう考え方は「私譲り」だから怒るに怒れない^^; むしろ、当事者でもない者が「わかるわかる。最低だよね~」と、一緒に文句を言うほうが、どうだろうって感じだしね^^; 本当、いろいろやってくれたが、終わりよければすべてよしな父だよな~と思う。 私も最期は、そういう終わり方をしたいものだ。ここだけは見習いたいわと思う、今日この頃でした。 ―*―***――*―**――*―*―― 昨日は来てくれてありがとう!! 本当に嬉しい&元気が出ます!!! 今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)

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