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Beauty Source キレイの魔法

エリック1874『約束』

エリック1874
『約束』

「ああ、ジェラール、どこに行っていたんだ?」
「ちょっと用足しにね。ところで、君の天使はどこにいるんだ?」
「娘なら、懇意にしているシャニュイ伯爵家の別荘に。
私の調子が悪くなってから、あずかっていただいているんだ。
午後に一度、顔を見せにくるよ。」
「彼女はもう、10歳になるんだろう?君の世話をさせても・・・。」
「歌をね、歌わせているんだ。レッスンに差し支えるし、
私の肺病をうつしたくないんだよ。ああ、やってきたようだ。
ジェラール?どこへ行く?」
「彼女に会うのは、今はご免蒙らせていただくよ。この成りでは、
父上を連れにきた死神に見えるかもしれないからね。」

私はすぐ隣の部屋のドアから、父娘の様子を見ることにした。
娘はグスタフのベットに近づき、父親の顔色が悪くなっているのを
心配そうに覗き込んでいる。
ほっそりした体つきの、いつも夢見るような瞳をしていた彼女の母親の幼い頃に、
やはり似ているような気がする。
髪の色は、バイエルンの方だろうか。

「お父さま、お願い。あのお話を聞かせて。」
「君は、天使の話が大好きだね。」
「だって、だってもし、お父さまとお会いできなくなったら・・・。」
「そうだよ、クリスティーヌ。私がいなくなっても必ず、君のところに
音楽の天使がやってくる。君を歌の道に導くためにね。」
「どうやったら、お会いできるの?」
「君が、いつまでも天使のことを信じていれば。」
「ああ、もちろん信じるわ、お父様。天使はどんな様子をしているのかしら?
きっと、とても美しいわね。声も素晴らしいに違いないわ。
背がとても高くて、瞳の色は透き通るようなブルーで、髪は・・・。」
「クリスティーヌ、もしかすると、音楽の天使は姿は見せてくれないかもしれないよ。
とても誇り高く、人間には近寄り難い存在だからね。」
「まあ。ではどうして天使がやってきたことがわかるの?」
「歌だよ。一度聞いたら、君にはそれが天使のものだと、きっとわかる。」
「はい。」
「じゃあ、クリスティーヌ、今日レッスンした歌を聴かせておくれ。」

娘はか細い声で歌い始めた。
まだ決して上手いとはいえない。
だが、このピッチの正確さはどうだろう。
歌が中盤に入るにつれ、彼女の声は少しずつ伸びやかになり、
高音域も無理なく出していることがわかった。
あきらかに、私がこれまで会ってきた少女たちとは違うようだ。
私は、久しぶりに胸が高鳴るのを覚える。

「どうだったかな、彼女の歌・・・。」
娘が帰ると、グスタフはドア越しの私に呼び掛けた。
「聴いていたんだろう?ジェラール。気に入ったかどうか、教えてくれ。」
真っ直ぐこちらを見る瞳が、私を捉えた。
「聞かなくても、親である君が一番よくわかっているだろう、彼女の才能は。」
「では、天使のオーディションには合格だね。」
「天使の?」
「そうだよ、ジェラール。シシーとの約束だろう?困った時は、いつでも助けにくると。」
「・・・。」
「僕はこの10年、その約束を果たし続けた。今度はジェラールの番だよ。」
グスタフは朗らかに笑った。

「ちょっと待ってくれ。クリスティーヌと過ごしたのは、君が恋に殉じたからではなかったのか?」
「もちろん、そうだよ。恋する人とそっくりな少女が育ってゆくさまをみるのは、
愉しいことでもあり、息がつまるほど苦しいことでもあった。
決して手に入れられない親娘を、二代に渡って見つめ続けてきたのだもの。
だから次の10年は、君がこれを味わうべきだよ。」

「私は、恋などしたことはない。」
「ジェラール。賢いものほど、自分のことが見えないというのは本当だね。
いいかい。君には母親がいて、いつも恋しいと思っていただろう?隠しても無駄だよ。
僕は君と、ひとつベッドに寝入ったことが何度もあるんだからね。
眠ると心にしている蓋がはずれてしまうんだよ。
シシーにそっくりな、君の母親にころあいの女性を描いているのも見ているし。」
「だから?」
「君がいままで、いろんな女性を渡り歩いているのは知っているよ。
だけどね、そういった男が本当に愛せるのは、聖母ただひとり。
そして母親の幻影を、完全に手放さない限り、幸せは決して訪れない。」
「・・・。」
「クリスティーヌは、きっと美しくなるよ。今はまだなにも思わないかもしれないけれど、
きっと今に、君は恋に狂う。僕が妖精に殉じたようにね。」
「・・・。」
「一度、遊びではなく、完全に狂ってみたまえ。手の届かないものをそばに置き、
恋する苦しさを味わうんだ。
そうすればきっと、見るべきものが見えてくる。」

肺病特有の、赤みが刺した頬でグスタフは言い募り、すべてを言い終えると
寝入ってしまった。
私は取り残され、死の舞踏会について考えるどころではなくなってしまう。
恋、恋、恋など!

2005.09.26


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