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Beauty Source キレイの魔法

クレア1875『柿落とし』

クレア 1875年
『柿落とし』

いよいよそのときがやってきた。
控え室のルイーズに会いにゆくと、彼女は挨拶もそこそこにそわそわし続け、
シャルルに何度も、髪の具合やドレスの襞の様子を点検してもらっている。

私はといえば、新・オペラ座バレエ学校の生徒たちに貴人たちに疎そうのないよう
申し渡した他は、羽目を外さない程度にレッスン室で自由にさせてあった。
今日の主役は、このオペラ座そのもの。
シャルルと、そしてあの方がこの15年間、心血を注いで造り上げてきた芸術の殿堂。

完成が迫ったひと月ほど前、亡くなったグスタフの娘がバレエ学校に入ってきた。
私のパトロンであり、オペラ座財政にも多大の影響力を持つフィリップ・ド・シャニュイ伯爵は
表立ってではないものの、彼女の後ろ盾となってくれている。
グスタフとも親しく、最期を向えるためにオーステンドの別荘を提供し、
クリスティーヌの出生の秘密を知っている数少ない人物の一人だ。
もっとも、バレエ学校には、彼女のような貴人の御落胤ともいえる少女が
少なからずいて、私のメグもその中に入るともいえる。
いずれにしても、オペラ座の開場までに少女たちはすでにこの場所に親しみ、
寄宿生同士、どちらかといえば敵愾心に近い友情を育みつつある。
幸いというべきか、メグはクリスティーヌと気が合い、私は後見の一人としても、母としての役目も、
一段終えたような状態になり、カリキュラムの整備に没頭することができた。

開場直前、私はフィリップを含めたごく選ばれた貴族たちを、オペラ座の見どころある場所へ
案内する役も仰せつかった。
エントランスの豪華さも、ボックス席の優美さも、舞台の近さと奥行きも、
どれもスノッブたちを満足させたが、最も彼らの興味をひいたのは
舞台の裏側だったかもしれない。
その夜の公演のための、幾多の仕掛け。
ワイヤーを使った宙乗りや、客席にまで飛ぶ噴水のプランなど、あの方が
こっそり舞台監督のノートに紛れ込ませたアイディアもある。
柿落としにふさわしい幻想をと。

「姉さん、本当は私より、この場にいるのはエリックがふさわしいんですよ。
彼なくしては、このオペラ座は決して完成はしなかった。
彼の精緻な技術、飽くことを知らない芸術への情熱、
私を鼓舞し、慰め、助け続けてくれた15年間は・・・。」
シャルルが感極まったように目を潤ませる。
「あの方は、わかっていらっしゃるわ。それに私たちの目には見えなくとも
あの方は、ちゃんといらっしゃる。
居並ぶ貴族たちのすぐ横に、舞台のそでに回廊のかげにね。」
そのとおりだ、クレア、シャルル。
「ほらね。」

設計者であるシャルルは下層の出身ということから
軽んじられ、用意された場所も末席に近いものだった。
それでも、いったん彼がルイーズを伴って客席に入ってゆくと
会場の誰もが、真の立役者が誰であるかを知っていて、
総立ちと大拍手で迎えられたのだった。
まさに彼にとって、勝利の夜。
それはあの方にとっても、オペラ座における再びの凱歌の時。
聞いていらして、この歓声を?

花火が打ち上げられ、お祭り騒ぎの始まった人ごみに紛れて、そっと席をはずす。
あの方から時間になったら来るようにとのカードを受け取っていたからだ。
楽屋でひとりになると、お会いしてからの30余年の月日がゆらゆらと駆け巡る。

贈られたおびただしい花々の馥郁たる香りに頭をもたせかけ、
急に眩暈を感じて視界が利かなくなったと思った瞬間、私は
あの方の胸中に拉致されていた。
「待たせたね、クレア。では行こうか。新しきオペラ座の裏庭へ、真の芸術の殿堂へ。
君をこそ、最初に案内しよう。」

真の勝利者の手に導かれ、私は心の中で嗚咽する。
あの方の言葉を抱き、このまま儚くなってもかまわない。

2005.10.13


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