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Beauty Source キレイの魔法

クレア1875『秘密』

クレア 1875
『秘密』

「ご覧、クレア。君にだけ、このオペラ座の姿を、全てみせておこう。」

地面にほんの少し顔を出している蟻の棲みかが、
思いもかけないほど広大な範囲で広がっているように、あの方の息づく場所も、
それこそオペラ座内部に縦横無尽に張り巡らされている。

あの方は喜々として、オペラ座にある2千以上もの部屋部屋のことごとくを案内し、
その表の面と裏の、本来の姿を開示してくださった。
各部屋のキャビネットやランプや鏡の後ろ潜む通路や抽斗には、様ざまな装備が施され
どこにいても、どんな事態にも対処できるのではないかと思われる。
気に入らぬ者を封じ込めるための踏み板の多さなど、
全てを記憶するのは到底不可能なほどだったけれど、
その先に待っている苦痛を逃れる方法を、あの方は懇切丁寧に教えてくれるのだった。
いつも、私にだけ、という言葉から始めて。

「この鏡面地獄から抜け出るコツはね、鏡に映る姿ではなく、己の影を見ることなんだよ。
リズムを刻んで、そう。いつも君が生徒達に教えるステップのようにね。」

あの方の住まいへ通じる道も、いくたりもあった。

ひとつめは、幾重にも積み重なる螺旋階段を降りることで、
それは奈落に向うような感覚と戦いながらの道行きとなる。
しかもその途中には、本物の奈落、すなわち招かれざる客人をいざなう罠が
いくつも仕掛けられていたから、万が一その道を目指そうとする酔狂なものが
現われても、あの方の住まいに到着するのは困難なのだった。

もうひとつは、楽屋の裏に通じているごく緩やかなスロープで、
あの方の言葉を借りれば「ご婦人向き」な通路。
昼夜問わず明りが灯り、通り抜ける客人を照らし出す。
あの方の住まいへの到達を阻む罠はないかわりに、通ったものを確実に
虜にしてしまう荘厳で甘美な妖気が漂っている。
おそらくあの明りの燃料のなかには、なんらかの媚薬が入っているのではないかと思う。
ここを通ったときは、到着後しばらくして気を失ってしまうのが常だから。
とても甘やかな心地のままに。

あの方の手に引かれて、地下にある住まいも見せていただくことになる。
以前アパルトマンで暮らしていたときと同じように、
絵画の空間、音楽の空間が綴れ折のように重なり、
その奥に秘薬のつまった実験室と膨大な書物の収められた書庫がある。

寝室は二箇所、グスタフと対のベットが鎮座している部屋と
絹布と黄金に飾られた流麗な貝殻の寝床のある場所。
そのほかのいくつかの小部屋には、ご自分で作ったり作らせたりした仮面や、
人形や、衣装や、各国の皇室から内々に贈られた品々が無造作におかれていた。
そしてどの空間にも必ずあるのが、天驚絨に覆われた大きな鏡だった。

「最後の通路を君だけに教える。ここを使うのは私がこの住まいを去るときだけだ。
覚えておいてくれるね。」
「こちらを去られるとき?」
「そうだ。このベットごと運びだされるとき、つまり棺桶が本来の用を足すときか、
もしくはこの住まいを世の連中に知られてしまったときさ。」

あの方は、いくつもならんだ鏡のなかの、一つの覆いを取り去る。
「この鏡の向うに、通路があるのですね。」
「ああ。」
「どこに開け口があるのでしょう。楽屋にあったものとは違うようですけれど。」
「鏡の扉そのものを壊してしまうのだから、必要ないのだよ、クレア。
ここを通るときは、二度と再び、帰ることはないのだから。」
そのときのことを予期するかのように、あの方は苦く笑った。

私はあの方が作り上げたものの、真の姿を知る。
十重二十重に囲まれた創造力の源泉。
選ばれ身をゆだねたものとっては楽園となり、そうでないものにとっては煉獄となる。
それはきっと、あの方自身にとっても。

2005.10.30


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