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カテゴリ:オーラの泉
C.C.ガールズでブレイク、近年も不死鳥のように蘇り、ご活躍中の青田典子さん。
赤、青、ゴールド、そして透明な宝石を連ねた スクエアでカラフルなネックレスをなさった美輪さんは 「青田さんは面白いし愉しいし、サーっとして清潔で、大好き」と。 ☆冒頭トーク 「美輪さんと江原さんがいつもこういう形で僕の部屋を見ているのでは?」と 雨上がりにご自宅の窓にいた二匹のヤモリを指していう太一くんに、 「昆虫や爬虫類が魂をのせて、メッセージを送っていることもある」と江原さん。 虫愛ずる姫や安芸之助の蝶の夢のように、命ひとつも魂の乗り物☆ 【スピリチュアル・チェック】 ☆ あなたのチャームポイントは→コンプレックスの塊なので、自分では見つけにくいです。 ☆ 落ち着く場所は→京都。時間を見つけては行っている。 ☆ 無くなると困るもの→恋愛 ☆ 人生最大の転機→9歳で両親が離婚したとき。 ☆ 不思議な体験→中学一年生のとき幽体離脱をした。 ☆ 美輪さん、江原さんに聞いてみたいこと→いまの路線は大丈夫かどうか。 「番組の空気がとても清らか」とおっしゃる青田さん。 美輪さんのご著書は「天声美語」、「愛の話、幸福の話」をお読みになっていて 「女性はやはり、知的じゃないと駄目だなと思いました。」とのこと。 青「言葉。言葉を知る。お勉強というよりは、女性は知性というものもすごく必要であって、 そこに美しさが加わると、より広がるということを本当に勉強させていただいて。」 国「僕から素晴らしい言葉をプレゼントします。 『教養とは、知識を生活の中で生かす事です』」こちらも美輪さんのお言葉☆ コンプレックスの塊でご自分のことがあまり好きではないというのは、釈由美子さんも同じ。 青「好きになるずっと努力はしてきてるんですけど。 小さい頃はそうでもなかったんですが・・・。」 美「家庭環境でね。」 9歳のときにご両親が離婚。父方に引き取られた後、すぐにやってきた新しいお母さまは 18歳という若さだったそう。 【美輪明宏 天声美語】 国「9歳のときに18歳のお母さんを持ったのはどんな心境だったんですか?」 青「心境ですか?気を遣うって言っちゃいけないんですけど・・・。」 美「女同士になるのよ。親子っていうよりも女同士なの。」 青「だからあんまり、その新しい家族に迷惑をかけないようにするっていう・・・。」 国「迷惑をかけない?」 青「お姉ちゃんはすごくいい人だったので。私はお姉ちゃんと言ってるんですけど。 すごくいい人だけど、まだ18歳ですから、物事もあまりわからない状況で 入ってきてますので、やっぱり。」 美「子供だものね、18って言ったってね。」 青「そうですね。」 国「迷惑をかけないって、ちょっと9歳が考えることじゃないですよね。」 青「あのときは本当に、悩んだ時代ですね。」 お父さまの転勤にともなって、愛媛から東京に転居をしたのが中二のとき。 今までの家庭環境が変わり、引越しで友人もいなくなった上、 言葉の違いもあって学校で苛めにもあっていたと。 青「それでもう、家でも一人ぼっち、学校でも一人ぼっちになって、 そこから一気に殻に入った思春期になってしまったんですね。」 美「あなたの人生は、ずーっと一人だったのよね。」 青「・・・はい。」 美「ずーっと一人で。つまり愛にもいろんな種類の愛があるじゃない。 そのいろんな種類の愛がどこにもない。愛がないまま子供時代、青春時代、 一番、愛が必要な時期に、愛がないところでずっと頑張っていらしたのね。そうでしょう?」 青「そうですね。」 美「その想念が夕べからずっと来てて、『えらいな、よく頑張ったな』って思ってたの。」 【美輪明宏 愛の話幸福の話】 江「嫌いとはおっしゃるけれど、いまのご自身の方が楽でしょう?」 青「すごく楽になりました。」 江「もともとは、すごくさばざばした人。本当はこのまんまの人。」 青「ありのままの自分を表現しても、受け入れられるんだっていうことを 最近知ったんですよ。」 お父さまは厳しい上にややエゴも強く、幼いときからそのご意向にそって生きてこられたよう。 国「耐えられましたか?」 美「いや、この人はね、耐えられる頭脳と精神力と、自己解決する能力を持って 生まれているの。」 江「その苦労を全部、生きる力に変えられる人なんです。」 美「子供の頃や青春時代は、いろんな形で愛が欲しいし、人間にとって一番必要なものなのよ。 それがまったくないところで、たった一人でぽつんと生きてきたから。 どこの扉を叩いても開かないんですものね。」 青「14歳のときは、本当に死のうかなって思いましたから。友達もできない、 家に帰っても一人ぼっちだったので、生きる意味がわからなくなっちゃったんですよ。 実の母親が唯一の救いで、泣きながら、電話代が月に四万くらいかかって。 恥ずかしいんですけど、生きる意味が。」 美「よくグレたり、家出したりしませんでしたね。」 青「それをしなかったのは、どうしてなんだろう? ・・・そこに勉強っていう逃げ道があったんですね。 『環境が人間性を変える』ってよく父が言っていて、 『そのためにもいい高校に入りなさい』と。まあ父は医者にさせたかったんですけど。」 目指していた進学校には無事に合格するも、いままで成績上位だったのが高校では下位に。 その一方、ご自分が男性からの視線を多く集めていることに気づき、 女性としての美しさを磨くことに比重が傾いていったそう。 青「勉強じゃないのかもなって。医者ってなにかな、みたいなところとか。」 短大に進学が決まった18のとき、渋谷でスカウトに。 もともとお母様が宝塚に入れたがっていたこともあって、 ピアノやバレエを習うなど素養はあったものの、お父さまは大反対。 青「興味あるな、これなのかなって思って父に相談したら、『そんな世界は駄目だ』。 勘当といったことを言われてたので、私はもう、父親に、『ふざけるな』と。」 国「初めて、ですか。」 青「初めてです。あんなにいい子ちゃんだった子が初めて、吐露してしまいました。」 美「そこで爆発したのよ☆」 青「『お前の人生を生きるために生まれてきたんじゃない!』って。」 【江原啓之 人はなぜ生まれいかに生きるのか】 国「それでお父さんは許してくれたんですか?」 青「いや、そのまま家を出ましたから。そのとき初めて父親の涙、男の涙っていうのを 見ました。でもよかったんです、そのときは。」 アルバイト先からお金を借り、一人暮らしを始めるも、最初は苦労続きだったよう。 そんなときに出会ったのがとても不思議なお客さん。 青「その方がお店に二、三回きたときに、『君ね、いま大変でしょう? 僕は源頼朝の生まれ変りなんだけど、君は幼い頃の乳母だったんだ。 あまりにも大変な人生を送っているから、僕が助けにきたよ。』 あと二年頑張れって言われたんですよ。『二十歳になったら、人生が変るから。 だからどんなに辛くても、何があってもあと二年生きてみなさい』って言われて。 二年、生きることにしたんです。」 国「その言葉を受け入れることはできたんですか?すんなりと。」 青「すんなりとじゃないですけど、そのときは、変なおっちゃんだなと思ったし、 夜なのにサングラスかけてるし。でも、あと二年だと思ったら、ちょっと楽になったんですよ。 長くじゃなくて、二年かと思ったときにちょっと頑張ってみようと思ったんです。」 青田さんの人生は、本当に20歳で変ったのだそう。 明日に続きます。 *** オダギリ・ジョーさん、加藤あいさんなど、他のゲストの方の回を読んで下さる方は 「精神美(オーラの泉など)」へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 11, 2006 05:44:37 PM
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