Beauty Source キレイの魔法

2007/04/15(日)18:25

最初の布石・80年代・1980

Originな物語(109)

レノンへの銃撃で始まり、ベルリンの壁崩壊で幕を閉じた80年代。 1980年は、私にとっては永遠の仮面の男☆シャア・アズナブルに出逢ってしまった年☆ いえ、確かに、あの作品は放映当初から見るともなく見ていて 覚えやすいあの主題歌も、知らず知らずのうちに 口ずさむことができたのですけれども、ストーリーはあまり覚えていなくて。 いつもの戦闘ロボットもののひとつだと、思い込んで見ていたのでしょう。 それが、友人にアニメージュか何かの雑誌を見せられ 彼が彼であるときちんと認識してからは、 つまり仮面を取ったキャスバルに恋した小学生は、彼をきっかけに 何度も何度も繰り返される再放送に、逐一付き合い続けることに。 何故って。 面白過ぎるから。 難解なところも含めて。 TVシリーズを元にした三部作の映画公開も始まっていて、 あの数々の名セリフが、クラスのあちこちで飛び交っていたのでした。 さて、同時平行してファンになったのが、田原俊彦さん。 初代の3年B組は、すっかり見逃していて。 気がつけばジャニーズのたのきんトリオなる三人のうち、 誰かのファンでないと、女の子の間では話が通じない状態。 シャアに気をとられて、歌謡界にとんと疎くなっていたため マッチこと近藤真彦さんに入れあげている友人にレクチャーしてもらい、 ようやく三人の区別がつくようになったところで 「あなたは誰のファン?」と言われましたので、 相貌と声が好みのトシちゃん派に。 そういえば、YMOのライディーンを聴いたのも、この頃。 ラジオ世代の子どもは、田原さんの番組を聴いて、 坂本龍一さんの語りにハラハラし、 夜中にアニメ情報番組をキャッチし、 かたや松田聖子さんの新譜も覚える。 クラブ活動をこなし、来週のテストにも備え、 「メリー・メリーを追いかけて」や 「ガラスの仮面」を読みつつ、 映画公開の初日には前夜から並ぶ…といった風で。 アニメとジャニーズとテクノが同一線上に。 まだゲームやモバイルがなかった分、時間があったのでしょうね。 12月8日がやってきて、 80年は悲しみのうちにその年代の初頭を飾る役目を終えました。 ビートルズをきちんと聴いたのは、高校に入ってからでしたけれども、 母が台所でいつもつけているラジオで、レノンの訃報を一緒に聞いたのは、 のちに訪れるあの町のような薄曇の夕暮れだったように思います。 何も知らぬ小学生にも、ビートルズ世代ではない母にとっても、 只ならぬことが起こったということが伝わったよう。 レノンの半神・ヨーコさんについて初めて聞いたのも、 そのときの母からだったかもしれません。 「チャックより愛をこめて」やベストテン番組で慣れ親しんでいた 黒柳徹子さんと同じ自由学園出身のアーティストということなど。 (「YES!」を虫眼鏡で読む作品をきっかけに 二人が出会った日は、あの日と同じ11月9日だそう。) 10年後の欧州旅行の際、リバプールをスケジュールに入れる 最初の布石は、この出来事だったのでしょう。 「欧州鉄道の旅~リバプール」

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