Beauty Source キレイの魔法

2007/08/27(月)11:17

オーラの泉・語らずの愛・戸田恵子さん 1.

オーラの泉(582)

きかんしゃトーマス、アンパンマン、鬼太郎など、声優としてもご活躍の女優さんがゲスト。 何時出てくるのかしら?と思っていたマチルダさんの名前が最後までなかったのが残念、 小学生の頃、彼女の髪型を真似ていましたので☆ご出演を愉しみにしておりました。 【スピリチュアルチェック】 ☆ 小さい頃なりたかった職業→音楽の先生 ☆ 自分の性格をひと言で→穏便にすませたい平和主義者 ☆ 不思議な体験→九死に一生を得る体験を何度かしているようです。 スノーモービルで崖から落ちて飛んでも助かったとか 熱気球に乗っていて林の中に突っ込んで助かったとか。 ☆ 毎日欠かさずすること→母のお仏壇に手を合わせることと、お花を供えること。 ☆ あなたの耳に心地よい音が聞こえてくるとしたら?→母が亡くなる直前に 歌をよく歌っていたので、その優しい、細い、綺麗な母の歌声でしょうか。 太一くんと戸田さんは去年ドラマで共演されていたそうで 当時から出演のお話があったとのこと。 戸「一年越しですよ、嬉しいですよ☆」 国「だから今日、呼ばれたんですね」 戸「本当にそう思いますね。『今か』と思いましたもの」 美輪さんとは初対面だそうですが、渋谷ジャンジャン(2000年4月に閉館したライブハウス)や パルコ劇場の音楽会をご覧になっているそう。 美「存じ上げなくてごめんなさい」 戸「とんでもないです。私が一方的に観てることなので」 国「楽屋へ行ったりとかではなくて?」 戸「ええ、全然。皆さんがおっしゃいますけれども、こう・・・包まれる感というのが お腹の辺りがシュワーっとあったかくなる感じ。男性はどうかわからないけれど☆」 国「いや、でもわかります、その気持ちというのは」 戸「すごく元気になれますね」 美「ありがとうございます」 江原さんとはお会いしたことがあるそうですが、そのときは深くお話にならなかったそう。 戸「二年前に母が他界して、本当にすぐの時期で、かなり落ち込みが ひどい時期でもあったんですけど、大阪のホテルで、いとことたまたま食事をしていて 『オーラの泉』の話をずーっとしていたんですよ。それでフロントに行ったら 丸ーい、なにかいつも私が声をあててる感じの☆後ろ姿がフッてあったんですよ。 それで私は、もうなりふり構わずお声をかけてしまったんです。 そんなことってあります?あんまりないでしょう? お酒の入っていたのも手伝ってか『江原さん!』って声をかけてしまった・・・」 美「いえ、それはあなたじゃないから。かけさせたの」 国「お母さんが声をかけさせたということですか?」 美「そうそう。この方の落ち込みがひどいので、お母さんがそういう風に」 戸「そうですか。私、そのとき鳥肌が立ってしまって。ロビーで少しだけお話して 『落ち着いたらぜひ、機会があればという風に思っています』ということをお伝えして」 国「じゃあ本当に、今日だということですか?」 江「でもね、今日の方がよかったみたい、二年経って。今ちょうどいろんな意味で 戸田さんご自身が切り替えのときに来ていて、ひとつのスタート時期でもあるんです。 新たなスタート時期、お店とかでいうなら、その仕入れ時みたいな感じ」 美「開店前の☆」 戸「今からまだ開店できるんですよ☆嬉しいですね」 小学六年で児童劇団へ、NHK「中学生日記」に出演した頃にご両親が離婚、 お母様の手一つで育てられることに。スカウトされて高校生で上京、 アイドル歌手としてデビューされます。 国「小学校六年生で、もう女優さんとしてTVには出ていたんですか?」 戸「女優といってもお遊びの延長といいますか・・・」 国「自分でやりたいと言ったんですか?」 戸「いえ、母が新聞の切り抜き、募集要項を見て、NHKの児童劇団に応募したんです」 国「習い事も、相当やっておられたみたいですね☆」 戸「そうなんです。お茶、お花、詩吟、剣舞、ピアノ、バレエ・・・ とにかく忙しい子供だった☆」 江「習わせていただくだけじゃなくて、戸田さんご自身がお母様の夢の塊りでしたからね」 国「お母さんはそういう華やかな世界とか、女優さんとか そういうものに憧れを持っていた?」 江「本当は大好きです。だから自分ができなかったことを 全部戸田さんが果たしてくれてる」 戸「そうですね、華やかなものが大好きでしたからね。特に舞台でも歌ったり、踊ったり ミュージカルだったり、お衣装が綺麗だったりするのが単純に好きで」 江「働きっぱなしの人生でしたから。『自分には縁がない』と決めていたから それを全部戸田さんに。華やかなもの、美しいものが大好き、花ひとつでも。 でも生活の中には、そういう時間も心も余裕がなかったから」 国「お母さんはどんな人だったんですか?」 戸「非常に気が強く、几帳面で用意周到で、次の日の支度なんかは絶対、前日にするタイプ。 子供のときも『いつ寝ているときに何があるかわからないから、羽織るものを必ず 自分の布団の上に掛けて寝なさい』と。 時間に絶対遅れることはないし、キチンキチンとしていて」 美「そういうところを受け継いでいらっしゃるでしょう?」 戸「はい、異常に受け継いでしまいました☆」 江「プラス、人情もろいところも」 戸「はい」 国「15歳でデビューして、どうだったんですか?」 戸「これが全然駄目で☆ギャフンと言わされるんですけれども。 子供心に自分の位置というのがわかるわけじゃないですか。 どれくらいのポジションであるかとか、よそ様の事務所の方で、売れてゆく同期の人たち テレサ・テンさんとか麻生よう子さんとか。結果うまくいっていないということに自分で 『どうしようかな』といろいろ悩み出した。 結局19歳で、20歳になる年には芸能界を辞めようということに 決心したんですけれどね、10代の最後に。 母がずっと見てくれていて『頑張れ』とも言わないし かといって見放しているわけでもないし、何かこう・・・ただ見守っていてくれた感じが。 私のポスターですごく寂しい憂いを帯びた歌手のときのがありまして、時々それを見て 『辛そうだね』『悲しそうだね』とか、ぽつんとそんなことを言ったのを覚えていますね。 あとは何も言いませんでしたよ」 江「でも、いつも戻ったり会ったりしたときは必ず、お茶を淹れてくれましたでしょう? そのお茶を淹れてまったりとした時間の中に、一生懸命思いを込めてるんですね。 だからそこにやはり応援があるんですよ、あのお茶に」 美「お母さんは言葉のかけようがなかったの。もう辛さがわかるから。 それであなたは意地っ張りで誇りが高くてプライドが物凄く高いから 周りの人が売れてゆく、自分は置いてきぼりを喰う。 もう我が娘だから、手に取るようにわかるから。 プライドが高くて意地の強い人であればあるほど、惨めさも奥が深いのよね。 それがやはり母親としては、言葉のかけようがないのね。 下手に言葉をかけたらプライドが傷つくし・・・」 江「お茶を淹れれば、その時の状況がすべて、手に取るようにわかるらしいんです。 そういうときは何も語らない方が。ため息をついたり、表情でだいたいわかる。 美輪さんがおっしゃったように、そこで 『私も辛いの』と言うような娘さんじゃなかったということ。 何も語らない、気を抜いているときの方が本心が見えるということ」 国「そのお茶の時間というのは、何となく覚えていますか?」 戸「何か・・・今、蘇りましたね。全然忘れていたことなんですけど」 国「これは僕も、実家に帰ると母親にお茶を淹れてもらうことがあるんですよ。 そのときの空気って、会話をするわけでもなく。 もしかしたら僕のため息を聞いているのかもしれないなって、今、思いましたね」 江「見てないようで、見ていたり」 美「世の中にはね、黙っている方が百万言に勝る場合があるの。 『言わず語らず我が思い』」 国「母ちゃんってやっぱりすごいですね☆」 続きます。 *** これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。

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