二条城から新選組発祥の地、壬生界隈へは
マップの上では、二条城南面の押小路通をお城の角で左折し
坊城通をひたすら南下すると最短距離で着く・・・
・・・予定だったのですが、その途上、斜めに走った大きな道路・
後院通とぶつかってしまいました。
ここを横断するのは、自転車ではやや難しいので、
そのまま斜め(南東)に下ると、阪急大宮駅前に出ます。
考えてみれば、隊旗を掲げて意気揚々と屯所に帰るには、
少し遠回りになったとしても、やはり衆目を集められる
こういった大通りを進む方が良かったのかも☆
再び地図を確認し、ロータリーから延びる大宮通を南下、
このあたりと見当をつけて、ひとつ目の交差点で右折(西向き)し
車一台がようやく通ることのできるほどの細い仏光通に。
自転車を降りて進むと、家々のたたずまいが胸にせまってきます。
細い路地から、浅黄の装束を纏い、肩で風を切って歩く方たちが現われそう。
ここは、と確かにわかる角で右折(北向き)すれば、
壬生寺、そのすぐ隣が
八木邸です。
新選組の最初の屯所となった八木家は、現在は和菓子を扱うお店に。
隊士さんたちの居住空間はそのまま残され、足を踏み入れることができます。
(こちらも二条城のように、入れなくなる箇所ができるかもしれませんね)
ちょうどガイドが始まったばかりとのことで、
和菓子付き入場料千円を支払い、邸内へ。
四畳ほどの前室に六畳の和室がふたつ続く空間は、
芹沢さんとお梅さんが休んでいらしたところ。
入り口付近に立っていると「もっと奥へお入りください」
すでに十数人ほど集まった方々の前で、熱弁をふるうガイドさん。
雨模様ながら、少しずつ見学の人が増えてゆく様子なので
足を進め、奥の六畳間に座らせていただきました。
DVDや本で繰り返し辿ったお話を、現場で聴きながらお部屋を見渡せば
「ちょうどそこが、芹沢さんのお布団があったあたりです。
天井には黒々と痕が残っていたそうですよ」
思わず少し、膝が浮いてしまいます。
将軍警護のため江戸で結成された浪士組として上洛、すぐに袂を分かったのは
八木家に振り分けられていた芹沢鴨派5名と、近藤勇派8名。
会津藩御預となって市中の見廻りに従事するも、
乱暴狼藉の限りを尽くす芹沢派を持て余した会津藩は、近藤派に粛清を要請。
「その夜も、こんな雨が降っていたそうでございます」
刃から逃れ、隣の部屋に転がり込んだ芹沢さんのように
ガイドさんの後から移動、入り口の刀傷を確認して、
六畳が縦にふたつ並んだお隣の部屋に入ります。
こちらは八木家の奥さまとご子息二人が寝入っていた場所。
「床机につまずいて、ちょうどそのあたりに転がって・・・」
またガイドさんが目を向けられました。
建物は、思っていたよりも小さな印象。
当時の日本人の背丈がいまよりも低かったとはいえ
六畳敷四つの空間に、3人の親子、男性数名、
それに同衾の女人衆も含めた中での乱闘は
相当に息詰まるものだったことでしょう。
刀傷のある部屋からはお庭の井戸が見え、横には土間が続いていて。
歳さんがお梅さんにビシっと団扇ではたかれたのは、
耕史くんと照英さんが再現シーンをされたのはこのあたり・・・
不謹慎にも、好みの場面を思い起こしていました。
次は壬生寺へ移動します。
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