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カテゴリ:オーラの泉
今夜のゲストは宮藤官九郎さんですね☆
*** 教師として母校に帰り、体験を生かした教育の体験を描いた著書はベストセラーへ。 ヤンキー先生としてマスコミにも登場、ラジオ番組を始められると 全国の子供たちから深刻な悩みが寄せられ、子供たちの抱える問題の大きさをから 教育改革への思いがさらに強まることに。 国「実際、人を教える立場になったときというのは やはり思うようにいかなかったりとかしましたか?」 義「大体、教育って、子供と向き合うことって、9割9分は思うようにいかないものですよね。 ただ、そこから逃げないことが教育なんじゃないかなって思うんですよ。 そうすると、とてつもない、ほんのちょっとの感動が手に入る。 その感動に一回出会ったら、実はやめられない仕事ですよね」 国「それはもう、一年目からそういう感動は味わえたんですか?」 義「そうですね、うまくいかないことばかり…でしたからね。 やはり真剣に向き合おうとすればするほど、独りよがりだったり…」 江「そんなに大変なのに、先生が何故続けられるか。 そこに自分がいるからですよ。その一人一人が自分なんですよ。 自分の持っている一部分であり、だから放っておけない。 一体なんですよ」 国「あんなに熱い先生いないですよね」 義「自分が学校にいて、自分みたいな奴がいたら嫌ですね~☆本当に暑苦しくて嫌ですね☆」 国「そうですか☆でもその分、生徒は向き合おうとするんじゃないですかね」 義「あの…震えてる子に大人っていつも光を当てようとするじゃないですか。 やはりスポットライトを浴びられる人間になるように育てているじゃないですか。 でも、震えをとめることができるのは、熱しかないんですよね。光をどんなに当てて つまり希望を示して『このまま我慢すれば、将来こんな風になれるかもしれない』 なんて光をどんなに与えても、彼らは落ち着かない。 そういうときに、そっと熱を与えてあげるのが、教育界の中にいる自分自身の役割… だとしたら、すごく幸せだなって思いながら向き合っています」 国「高校生って僕もそうでしたけれども、自分で言うのも何ですけれども やはり一番難しい時期じゃないですか、男にしてみても。本音は話したくないし。 でも、先生によっては、聞いてくれようとする先生も中にはいたりとかして そういう人が救いだったりしたんですよね」 義「まあ、そう言う奴もいるし『うざかった』って奴も。しみじみと言う人もいますけどね。 『うざい』っていうのは褒め言葉ですよね。 だって『大人は何もしてくれない』ってあいつらは言っているわけですから 『俺はしようとしているから、お前らうざいんだろう? つまり、君の求めている教師像がここにいたね』☆ なんて、開き直ったりしてましたけどね☆」 国「ありましたか、そういう風に『うざいなー、先生』」 義「『近寄るな』とか『うざい』。今でも、しょっちゅうですよ」 国「そういう場合はどうするんですか?」 義「『ありがとう』」 国「『ありがとう』ですか?」 義「『褒めてくれて、ありがとう』☆」 美「それとね、やはり義家先生の場合は『蛇の道はへび』だから。 説教したり、話し合っているうちに、昔の自分がそこにいるから 手に取るようにその気持ちがわかるから、実際に通って来た道だから、言葉を選べるの。 言って欲しい言葉が…そう」 江「今の時代に最も必要なのって、それなんですよね。 『自分のことだから放っておけない』というのがありますでしょう? 今はみんな『他人事』だから放っておくんです。 だから相手を自分という風にとらえるということが だんだんできなくなってしまっていると思います」 美「さっき想像力とおっしゃったけれども『思いやりを持ちましょう』 事件が起きると、校長先生はみんなそう言っている。 『じゃあ、その思いやりはどうやって持ったらいいんですか?』答えられない。 思いやりは想像力ですよ。じゃあ、想像力を養うにはどうしたらいいんですか? 詩や俳句や和歌や、短い言葉で多くのことを想像して それをいかに短い言葉で表現するか。その練習が足りないだけ」 国「義家さんも、最近気になることが『想像力がないんじゃないか』という話が 出ましたけれども」 義「はい。今も大学で教えていますけれども、やはり『想像力、大丈夫かな?』と 思うことって、実は個々と話すとよくあるんですよ。問題はその想像力が育っていないのに 想像だにしないような情報シャワーが押し寄せてくる時代になってしまった。 自分自身の確固たる心ができていないのに、とんでもない誇大妄想が 情報として降りかかってきてしまって、そうすると そのとんでもない誇大妄想が日常に変わってしまうんですね。 だから、何が痛くて、何が幸せで嬉しくて…ということさえ、わからなくなってしまう。 考えてみれば、昔、暴走族がケンカのときに、あの…バットに釘を刺して…って よく描写されますよね。事実、そういう奴がいたんですよ。 でも、それで人を殴った奴は見たことない。要するに 『こんなので殴ったら、相手が死んでしまう』とわかっているから 威嚇のために存在しているだけで。でも今は、本当に殴っちゃう。 非常に危険な時代だからこそ、よりリアルな、痛みの教育とでもいうんですか、 しっかりと痛みを伝えてあげる教育というのも、今していかなければいけないだろうなって」 江「転ばさない、これもいけない。今は何でもお膳立てしちゃうんですよ。 例えば『のどが渇いてお水が欲しい』って言う前に、お水を出してしまうんですよ。 何故かというと、それが楽だから。親はそれが楽なんですよ。 子供が片付けするのに、言葉ばかり言うでしょう。『まだ、片付けていない』って。 あれは横着です。一緒に片付ければいいんです。それを横着して 『もうしょうがない』と子供がいないときに片付けてしまう。 結局、これは大変そうに見えて、横着なんです。子供を育てていない、全然、育んでいない。 何でもそうやってお膳立てしていたら、子供は全く想像力を持つための材料を 持つことができなくなってしまう」 国「義家さんは、いじめの原因というのはどういうところにあると思いますか?」 義「いじめのケースによっていろいろなことがあるんですけれど、やはり一つには 『自分かわいさ』ですね。こんなことを言う子がいるんですよ。 『いじめられないためには、いじめる側に回らなきゃいけない』ってね。 そういう意識の中でいじめが広がるし、地下侵攻してゆくわけですよね。 だからまず、一人一人が認められること。しっかりと『自分はいていいんだ』 これは自分が子供の頃に認めて欲しかったから、余計に思うのかもしれないですね」 江「いつも美輪さんがおっしゃることをもっときちんと理解した方がいいと思うんですが 『いじめは犯罪』だということ。いじめという言葉で誤魔化されて 何か軽いような感じになってしまいますが『いじめは犯罪』」 美「それと『恥と誇り』を教えることよね。 『いじめる人間は『自分は劣等感を持っています』 『頭が悪いんです』『心が悪いんです』『最下等の人間です』ということを 触れ回っているようなものだよ。誇りがあって、立派な人間がこんなことをするか。 みんなは暴力を怖がっているだけで、あんたを怖がっているわけじゃないんだよ』 という風に、恥と誇りを詳らかにしてゆくと 『え?じゃあ、恐れられているのは尊敬されているのかと思っていたら 実は馬鹿にされて嫌われていたんだ』ということがわかるのよ。 そうすると徐々に止めるのよ。私、今までいっぱい不良の子を更生させてきたでしょう? 自分もまた不良だった時分もあったからね、悪い仲間の中にもいたことがあるし だからそれがよくわかるの」 国「実際、どうなんですか、今やっぱり、いじめというのは増えていってるんですか?」 義「そうですね、より陰湿になっているんですよね。 ネットの世界にそれが行ってしまったり、より陰湿に、分かり辛くなっている。 だからその対応の一方で、まさに今言った本質論、精神論をしっかり叩き込むことが大事で。 よく『卑怯を教えること』って今、教育界でも語られるんですけど、卑怯と言っても 子供たちに対して説得力がなくなっちゃったんですね。というのは 『ある程度、卑怯じゃないと大人の世界では成功しないでしょう』 でも今、美輪さんがおっしゃった『恥』、これはね異常に反応するんですよ。 『お前、恥ずかしくないの?』と言うとプライドが高い彼らですから 『本当に恥ずかしい奴だな』なんて言うと本気になって反抗してくるんですよね。 それはもう完全に響いている証拠なんです、本気で反抗してきますから。よく 『恥の文化が日本だ』と言うけれども、それは今でも生きているような気がするんですよね。 だから一生懸命、着飾るんでしょうけれどね、恥という意識があるから。 そこはチャンス、突破口のひとつのような気がしますね」 美「だから不良の子を更生させるのに、上から物を言ったり 自分がいい人で物を言ったら駄目なの。もっとワルじゃなきゃ駄目。 『そんなことで何が面白いんだい?あたしなんかこうやったんだ、 それに比べればお前なんか遊びみたいなもんだ』って言ってやるのね。 そうするとびっくりするの。『え?上手がいたのか』 そうやってパーンとやっておいて、それから撫でてあげる。まあいろいろね…」 国「こうやってお話をしていると、義家さんから出てくる言葉だったり キーワードが美輪さんや江原さんから出てくる言葉と一緒なんですよね」 義「その言葉や思いが、何もなかった自分を救ってくれたんですよ。 だから肌で感じているんですよね。それに救ってもらったんですよ。 だからその救いを誰かに伝えたい。 自分を救ってくれたのは、優しくて何でも 『いいよ、いいよ』って言ってくれる人間ではなかったし 本当に真剣な熱そのものだったような気がするんですよね。 この身をもって感謝しているからこそ、伝えたいという思いは強いですよね」 続きます。 「オーラの泉の日記」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 2, 2008 10:46:25 AM
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