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カテゴリ:オーラの泉
アナウンサーとして活躍、フランスの実業家と結婚された方がゲスト。
【スピリチュアルチェック】 ☆ 小さい頃なりたかった職業→自分の好きな物だけを集めた小さなお店をやりたかったです。 ☆ 毎日欠かさずすること→ゆっくりと丁寧にお茶やカフェを淹れて飲むことです。 ☆ パリで生活していて一番大変なこと→やはり言葉の問題です。 ☆ 運命を感じたこと→運命…これは…今の主人、今の主人というのは変な言い方ですけれど 主人と三回の偶然の出会いがあって今こうして一緒にいるというのは もしかしたら運命だったのかなと思います。 ☆ 不思議な体験→実は以前、江原さんと対談をさせていただきまして、その時に 「赤ちゃんが見えます」と言っていただいたんですが…その後、妊娠をしました。 国「どうぞお座り下さい…今日はパリからですか?」 中「そうです」 国「パリから!東京までってどのくらいでしたっけ?時間は…」 中「12時間です、およそ12時間ですね」 国「12時間ですか…僕は今日、15分でここへ着きましたけれども☆…またはるばる… 一度お会いされてるわけですか?江原さんとは…」 江「雑誌の対談でご一緒させていただきました」 国「その時に赤ちゃんが見えると…」 中「そうなんです…あの、2006年の多分、春頃だったと思うんですが 対談でお会いして、まあ色々なことを言っていただいた中で 『赤ちゃんが見えますよ、近いんじゃないですか?』っておっしゃっていただいて… 実は本当に二人が凄く望んでいた時だったから、その言葉が物凄く嬉しくて すぐに彼に電話して報告したくらいです」 江「あぁそうですか☆」 美「いや…大変でいらっしゃると思う…☆ほら、何処の国でも 良いところと悪いところがありますけれどね、ご結婚ってうかがった時にね 『これは苦労しに行くみたいなものだな』と思って…」 中「あ、そうですか…まあ苦労というか、やはりパリとかフランスのイメージって多分 日本のメディアのせいと言ってしまってはいけないんですが やはりとても華やかなイメージがあると思うんですね。特に女性は憬れると思うし 実際そういう場所だと思うんですよ、美しいし… でも、そこで生活している人たちは質素堅実で、やはり全く…」 美「シビアですものね」 中「シビアなんですよ。逆に日本って、やっぱり恵まれているので 私たちはのほほんと生きていられるけれども フランスに行ってのほほんと生きていたら生きてゆけないんです。 それが行った時というのは無我夢中だから何とかなるんです。 でも今、結婚してもう八年目になったんですが、やはりこれぐらいになってくると 言葉もわかってきて、色んなことがわかってくると、逆にわかってきたことによって 凄くこう…『え?え?』って立ち止まることが多くなってしまったんですね」 美「だから見なくてもいいものが見えてきたり、聞こえなくていいことが聞こえてきたり…」 中「そうなんです。綺麗なことだけじゃないのは、もちろん生活をするってことでは 当たり前なんですが、やっぱり私もまだ友達がいるわけじゃないし、家族もみんな東京で… もちろん彼がいてくれるし、家族はいるけれども、何かやはり急にこう…凄く孤独なんですよ」 1969年に東京で生まれた中村さんのご実家は、明治7年創業の日本で最初の西洋楽器店 「銀座十字屋」。2005年にお父様が亡くなった後は、お母様が社長となり 楽器販売、楽器教室、コンサートなど音楽文化振興に努めておられるそう。 国「実家が日本で最初の西洋楽器屋さんだったんですか?」 中「そうなんですね。私もあまり自分の実家の歴史というのは詳しくはないんですが 明治7年創業ということで…」 国「明治7年…今、お母さんが社長と言っていましたけれども…お父さんは…」 中「以前は父だったんですが、2005年の5月に父が亡くなって、突然… まあ母もその当時から銀座で、その十字屋っていうところで仕事をしていたんですが 母はどちらかというと…あの、ホールを持っているんですね。で、音楽が好きなので やはり色んな音楽を発信してゆきたいという願いで仕事をしていたのですが 父が亡くなって結果的に自分が社長という形で会社の責任者にならなければならなくなり 今に至っているんですけれども…」 国「中村さんは日本にいたんですか?お父さんが亡くなる時っていうのは…」 中「それが不思議だったのが、2005年の5月に亡くなったんですが、まあ詳しく話せば 病気が発覚したのが3月だったんです。3月の末に病院に呼ばれて… という状況だったんですけれど、その時もパリに住んでいる私たち、 私も主人も娘もいたんです、東京に。だから家族みんなで父の病気を知って 『どうやっていこうか』っていう家族会議というのも、そこにも参加して… それからその後は、もちろん彼は仕事があるのでパリに行ってたんですが 私はほとんど東京にいて…で、変な話、父が亡くなった日というのも、彼も娘もいたんです。 みんな病院に、全員、父が亡くなる瞬間に揃ったんです。 だから普通、日本にいても、同じ東京にいても、なかなか身内のそういう場に 立ち会えないことってあると思うんですが、全員が病院に集まれて… だから本当に感謝をしました… やっぱり父が亡くなるということは、とても…今もこう…なかなかちょっと 自分の中できちんと消化できてないことなんですけど 『でも、そこにいられたんだ』っていうことは 『これはもう神様がそういう風にして下さったんだ』ということで 物凄くそれは家族みんな『感謝しなきゃいけないよね』って言ってるんですね」 江「まあ、お父様の望みでもあるしね…でいて、あの… 『生涯、悔いとして残るっていうことのないように』っていう…でいて それはお父様の願いでもあるし、だからやはりそこも以心伝心。だから 『偶然はない』…呼び寄せた必然なんです」 中「あぁそうですか…」 江「だから逆に言うと、あたたかく語れるのは、そのおかげですものね。 でなかったら、それは悔いが一杯残ってしまって…」 中「そうです、もう…凄く辛い、辛い気持ちばっかりになってたと思うんですが 『辛いけど、悲しいけど…あ、一緒にいられた』っていうのが もう本当に大きな救いになっていて…」 江「しかも大らかな方ですからね、お父さんって」 中「あ、本当ですか?何かもっと…あ、そうですか…」 江「何故かというと、どうして大らかって私が言っているかというと 何でもかんでも結局、最終的にはいつも家族に対して 『いいよ、いいよ…』って言い続ける人なの」 中「はい、そうですね」 江「だから自分の我がままを言っていないんですよ、実は」 中「そうなんですよ」 江「だから、それだけですよ、我がまま…」 中「あ、そうだ…」 江「『自分の最期に居合わせて欲しい』ね?だから最期にできたお父様の我がままなの。 それを私は大らかって言う…何でも寛大で『いいよ、いいよ。お前がやりたい様にやりなさい』 『お母さんのやりたいようにやりなさい』ね?自分の主張をするのは 最期のそれだけだったはずなの」 中「あ、そう思います…はい…」 江「そう…だからいい親孝行ができたんですよね…」 国「そういうお父さんでしたか?」 中「はい…」 美「でも、お幸せな家庭にお生まれになったのね」 中「はい、本当にそう思います…」 美「本当に…」 人気アナウンサーとして活躍していた中村さんは28歳のときフランス人実業家 シャルル・エドワール・バルトさんと出会うも、最初は結婚には乗り気ではなかったそう。 画面には2001年に南仏プロヴァンスでの結婚式の様子が映し出されました。 結婚式直後のバルトさんの言葉 「あなたと結婚したかった、ずっと前から。 でもずーっと前から彼女『いいえ』言いました。 今日『はい』言いました。私はすごい嬉しいです」 「けんかとかはなさそうですね」という質問に中村さんが「けんかしますか?」と伝えると 「はい、いつも毎日。ちょっとヘルシーと思うよ…皆さんに言いたい。 彼女、すごく大変!(中村さんに軽く叩かれて)見て見て!」 *** 国「元気なご主人ですね☆」 中「明るいですよね、今見ても」 国「物凄く日本語も上手くて…」 中「今はもっと上手ですね」 国「あ、そうですか…最初は断ってたんですか?結婚をするというのは…」 中「結婚を断っていたというよりも『別に結婚しなくてもいいんじゃない?』って 言ってたのは私だったんですね」 国「それは何でですか?」 中「別にその…フランス式というわけではないんですが 私の中でまだ結婚というのは形になって実感がなかったのと 『別に結婚しないでも、このままフランスで二人で暮らしていって まあ時期が来たら…という選択もあるんじゃないかな?』というのが 私の考えだったんですが、彼はもう『家庭を作りたい』それから 『きちんと国にも認めてもらいたい。教会できちんと式を挙げたい。神様にも認めてもらいたい』 という思いが強くて… だから『いいえ』と言っていたわけじゃないんですが、でも初めて、この日初めて まあ教会と役所での式で『はい』って…‘Oui’って言ったので 凄く嬉しかったみたいです、本人は」 国「そのテンションですか☆さっきのは」 中「そのテンションです☆嬉しく…☆」 江「でも中村さんは、じゃあ誰とでもそういう感覚で恋愛とかをするかっていうと そうじゃないと思うんですよ。彼だけ特別に何となくね 『空気みたい…』自然だったと思うんです、最初から」 中「あの…そうですね。格好つけるということは…余裕もなく…そうですね、はい…」 江「だから『まあ、ずっとこういられるんじゃないの』っていう自信っていうか 変な安心感っていうかね。それには理由があるの☆」 中「え?何で、何でですか?」 国「何か理由がありますか。これは後ほどにしましょうか」 江「ええ」 続きます。 「オーラの泉の日記」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 23, 2009 10:32:58 AM
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