「魔術/美術」展開催中の愛知県美術館で作家・平野啓一郎さんの講演会を拝聴しました。
初めてみる平野さんの御姿に見とれつつの講演会のメモ書きをお伝えします。
専門用語が多く、走り書きのため錯誤が沢山あると思いますが、どうぞご容赦くださいね。
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まずは司会の方及び平野さん本人による自己紹介から。
1975年 愛知県蒲郡市生まれ。
父君の死後、母方の実家のある北九州市に移り2歳から18歳までを過ごす。
京都大学在学中に執筆した「日蝕」にて芥川賞を当時の最年少で受賞。
奥様は豊田市出身で、半年前に女児が生まれる。
帰省や講演会で訪れることが増え、愛知県人度が上がってきたとのこと。
講演会当日はラフな黒のシャツにて。
明るい土曜日の昼日中から「魔術/美術」とタイトルされた展覧会へ足を運ぶ人たちとは
一体どういった感じなのかと思いながら、講演会の前に作品を鑑賞された平野さん。
案外に広い意味で魔術という言葉が捉えられているという印象の展覧会で、
講演会ではもう少し、ディープに魔術について語ってくださるとのこと。
「だからといって、誰かを呪い殺したりできるわけではありませんが…☆」
そもそも、魔術を信じるか。
魔術は、美術、小説、映画などにも多く取り上げられていて、身近な例では
「ハリー・ポッター」など。
魔術を信じていて、観る人。芸術の道具として観る人。
UFO、宇宙人の出る映画では、「スター・ウォーズ」などがあるが、
絵画では、画家は信じて描いているのか。
例えば、親しくしている横尾忠則氏の作品には沢山のモチーフが登場していて、
世界観としては面白く賑やかではある。
小説で取り上げる場合は、もう少し抑えて書くが、絵画は色、形の面白さで描け楽しめる。
マックス・ウェーバー(1864-1920)は脱魔術化として、経済活動中心の合理性を唱えた。
にも関わらず、例えば星占いなど、何の根拠もないが信じる人がいる。
欧州でも「ふたご座だから二重人格」だという人がいる。
日本では血液型を信じる。合理的理由があるのかわからないが、何故か気になる。
半年前に女の子が生まれ、まったくこういったことを信じないタイプだったが
名前を付けるときに「この画数は地獄に落ちる」というものは避けて付けた。
信じる、信じないは別として従わされる。また、占い師に操られる人もいる。
ニヒリズム 世の中には何も意味がないと骨身に染みて感じているからこそ、
ある秩序に納まっていると感じたい。
ニーチェ(1844-1900)
ニヒリズムの三段階
第一 全ての生起(出来事)の裏に意味がある。意味があると信じてきたのに、意味がなかった。
病気にも意味、美しい花にも意味、意味を求めることに疲れてしまう。
第二 一つ一つの生起の意味は分からないが、神が創ったもの。
自分には分からないが、大きな秩序のなかに意味がある。しかし、いくら考えてもわからない。
第三 具体的なものをみてもわからない。あの世のは意味があるが、この世には意味がある。
戦争も神様がさせた、どんな意図があるのか、天国も信じられない、この世にも意味がない、
というのが19世紀末に漂う雰囲気。
現代人も孤独。自分の孤独な存在を受け止めてもらいたい。
星占いなどが自分と関わっていると信じたい。
「魔術/美術」展の基調になっているアンドレ・ブルトン(1896-1966)
シュルレアリスム 非現実的世界。
現代でも空にピンクのクジラといったCMや、シュールな笑いといった言葉。
「魔術的芸術」は、平野さんが大学時代に購入したという重たい本だそう。
ニーチェがないと言ったものは、ある。
コップの意味 ニーチェはないという あるというのはブルトン。
意味を見出してゆくのが魔術。
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続きます。