第二幕 第三場
(宇治川のほとり。舞台中央に現れた妖火と浮舟。)
妖火 初めてそなたを見たときから、私の心は変わらない。
浮舟 あなたは…どなた…。
妖火 私は…多くの女人を愛して彷徨い…多くの女人に先立たれ…見捨てられた身…。
浮舟 そのように…神々しいほどの美しいお姿でありながら…。
妖火 美しさが何であろう。
衰えぬ体を持った私は死ぬことも未だ出来ぬ…。
出家した身では、みずから死ぬことも出来ぬ…。
逝ってしまった女人たちの傍にも行けぬまま、勤行でも解けぬ煩悩を
未だ抱えて彷徨うている身なのだ…。
浮舟 彷徨うて…彷徨うて…わたくしと…同じ…。
妖火 …。
浮舟 八の宮さまを父上に持ちながら疎まれ、母上さまが嫁がれた家でも疎まれ、
お姉さまの中の姫の館にも、薫の君さまがお連れ下さった宇治の山荘にも、
匂宮さまがご用意下さった京の家にも参ることができず…。
妖火…。
浮舟 本当は…わたくしの…心の中の鬼が…違うのだ、ここではないのだと…
甘くささやくのです。
誰かの人形(ひとがた)として、身代わりとして愛玩されるのではなく、
真の心でわたくしを望んでくださる方をと…。
妖火 本当は…私を呼ぶのも…そなたの…心ひとつなのだよ。
浮舟 心ひとつ…。
妖火 (浮舟ではなく遠くを見つめて)初めてそなたを見たときから、私の心は変わらない。
それが、最も敬うべきものを裏切ることになろうと、たとえ鬼が巣食おうと、
私の真の心は…変えられぬのだ。(顔を落とす)
浮舟 …涙が…涙の川が流れるうちは、鬼ではないのでしょう…。
妖火 …。
浮舟 哀しいお方…。それでも…初めてわたくしを…真の心で望んでくださったお方…。
妖火 私は…そなたを道連れにしようとしたのだ…。みずからの煩悩から逃れたいゆえに。
浮舟 はい…それでいいのです…。わたくしもまた…
どなたかに真に望まれたいという煩悩を抱えて…
みずからの心ひとつも決めることが出来なかったのですから。
妖火 …
浮舟 みずから死ぬことが許されぬ身でありながら、朽ちぬ身を抱えて長く長く
流離ってこられたあなたと…人形(ひとがた)として愛玩されることは出来なかったわたくしは…。
なにを愛しいと思ってよいのか…どなたに…添うてゆけばよいのか…。
妖火 みずからの心ひとつも決められなかった。
浮舟 でも…よいのです…。あなたのおかげで…わたくしは
みずからの真の心をみることができたように思います…。
妖火 そなたは…。
浮舟 どうぞ、お連れくださいませ…。あたなの望むところへ…。
妖火 浮舟…。初めてそなたを見たときから…。
(妖火と浮舟、静かに舞ううちにかき消えて、舞台暗転)
続きます。
「源氏物語の日記」