~ 産まれるまでの出来事



1997年~   しーちゃんの時の出産の痛みを忘れだし2人目が欲しくなる。
          でも、欲しいと思うとなかなか出来ず、98年後半位から基礎体温もおかしく
          体調もどうもすぐれず、婦人科へ行こうかと悩み出す。
          悪循環でどんどん体のバランスがくずれる。
        
1999年10月  長女の時の助産院へ相談しようと思った矢先、月のものが来ない。まさかと
          検査薬購入。なんとSYARINに2人目生命誕生が発覚。
          助産院へ行き、エコーを撮ってもらう。
          もちろんまだ、卵だ。
          つわりがヒドく、食べられるのは青じそドレッシングをかけたレタスだけだった。

2000年3月  尿たんぱくが「+」。助産婦さん(先生)から「塩分摂りすぎ!」とおしかりを
           受ける。その日から塩分禁止令が出て、煮物も醤油なしでかつをダシのみ。
           味の無い生活が始まった。

   3月後半 とことん、塩分を摂っていないのに「3+」。先生もさすがに心配して
          くれて、血液検査で念入りに調べてもらった。結果は「異常なし」でした。
           おなかの「あーや」の成長もどうも遅い。

  4月始め 尿タンパクが「4+」に。
          塩分制限と安静を言い渡される。
         その4日後の深夜、SYARINは風邪で発熱。どうしてよいかわからず、助産院へ
         相談。すぐに大阪市内の小児科のしっかりした病院を紹介され主人の車で
         助産婦さんも一緒に向かった。どうも私はわからなかったのですが、微弱陣痛
         が来ていた。即入院。赤ちゃんも脱水を起こしかけているため、水分の点滴、
         心音も時々弱まってきた。病院の先生から、「自然分娩には耐えられないかも
         しれない。その時は帝王切開になるよ」と言われる。まさか 出産になるなんて
         考えもしていなかったので、ただうなずくしかなかった。
         明け方なんとか熱が下がり、陣痛も進まなくなってきたため そのまま病院で
         安静にして、色々調べることになった。
         調べた結果、「妊娠中毒症」と診断された。おなかの「あーや」の成長が悪い
         のは「中毒症」が原因かそれ以外かは断定出来なかった。 保育器の中なの
     1週間が過ぎた。尿タンパクも「6+」と言
     う異常値が続く。
     微弱陣痛も強くなる気配はない。
     病院の先生から「出産にもって行こう」と
     「バルーン」と言う方法を行った。
     当日は効き目が無かったが、その晩か
     ら陣痛が始まった。思ったより早く、
     出産に進んだ。
     朝3時半頃に主人に電話し4時41分
     主人が病院へ到着と同時に産まれた。
     1724gと言う大きさ。そりゃ安産だろう。
     なんと産まれたその日は「しーちゃん」の
     幼稚園入園式でした。

           主人は寝ることも出来ないまま、「しーちゃんの入園式」へ向かった。
           産まれてすぐ、「あーや」は新生児集中治療室へ連れて行かれた。
           一目みただけだった。


© Rakuten Group, Inc.