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テーマ:赤ちゃんが欲しい!(9163)
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本日2度目の更新です。 先日の14回目の流産(火葬)を読んで下さって、 本当にありがとうございました m(_ _)m 数々の心温まるコメントを読みながら、 またまた涙した私です。 記事を書きながら、 久しぶりに目が腫れるほどに涙を流しました。 しかし、去年の今頃、 失望と悲しみの中で流していた涙とは、また違う涙です。 こうして、涙しながらでも 「14回目の流産(火葬)」 を書き終えられた事を良かったと思っています。 ずっと書こうと思いながら、書き終わる事が出来ずにいたので、 やっと、肩の荷が下りたような感じです。 これも、ここに来てくださる皆さんのお陰だと、 本当に感謝していますm(_ _)m 1人では、ここまで来れていたかどうか・・・ つらい時 涙の時 愚痴の時 悩みの時 どんな時にも、支え、見守って下さって、 本当にありがとうございますm(_ _)m 14回目の流産、火葬にあたり、 お空へ帰す子の為に、私は、 あの時の私に出来る限りの事をしました。 しかし、それでもまだ、 もっと、やってあげられる事は無かったのだろうか・・・ と、思う事があります。 私は、不育症という立場上、 友人、知人の中に死産を経験した方が何人かいて、 その方達の経験と、思い残した事を聞く事が出来ました。 それを参考に、お別れの準備をする事が出来たのです。 しかし、その話しすら聞けない方もいると思います。 だからといって、 自分がそんな目に遭うと思って準備する人もいないと思いますし・・・ 私も、まさか自分が死産を経験するとは思ってもいませんでした。 でも、お空に帰す子の為にした事は、 私の心を、時にはつらさを和らげる為の逃避の時間でもあり、 我が子の死へ向き合う時間でもあったのです。 その後、何気に、 「愛する者の死」からの立ち直りの本を読む機会がありました。 私がしてきた事は、その手順を踏んでいた事を知りました。 無意識ではあったけれど、 とても大切な時間だったのだと改めて感じたのです。 我が子を亡くし、失望の中にいる人に、 出来るなら、その時間を持って欲しいと思うのですが、 周りが提案するには、とても難しい事なんですよね・・・ それも、分かるだけにとても歯がゆいです。 画像も、私は、躊躇いながら残しました。 必要ないと思えば、その時に処分すれば良い事だし、 後で、必要だったと思った時には、 もう、あの子の姿はいないから・・・ そう思って残した画像でした。 でも、死産をした友人達から、後に言われた事は、 「画像が残っているなんて、羨ましい・・・」と、言う言葉だった。 私も、今になれば、 残しておいて良かったと思っているが、 その当時は、見る事はあるのだろうか・・・ と、思ったし、 画像を見る事も出来ない時もあったし、 画像を見ながら、涙ばかり溢れる時もあった。 そして、残す必要があったのかと思った事もあった。 でも、気持ちが落ち着いてきた今は、 画像を残していた事を、本当に良かったと思っている。 もし、これを読んでいる方の中に、 医療関係者の方がいるのでしたら、 どうか、当事者の声を聞いて欲しいと思います。 死産をした、誕生死をした人の心残りが無いように、 せめて、お別れへの提案をして頂きたい・・・ それだけで良いのです。 そうすれば、当事者が、 具体的に、どうしたいかを考えるきっかけになると思うのです。 1つの具体例を話してあげて下さい。 そして、これを読んで下さっている方の近くに、 私と同じ様な思いをしている人がもしいたなら、 心に寄り添ってあげて下さい。 話が出来る状態なら、 お別れの仕方を一緒に考えてあげて欲しい。 当事者には、一番大切な事でありながら、 それさえも考えられない程、心にゆとりがないのだから・・・ お腹の子の状態が良ければ、 へその緒も、手型も足型も採って貰ってと・・・ 病院によるとは思いますが、 当事者からの依頼なら、残して貰えると思います。 私は、へその緒を採って貰い、 今も大切に持っています。 ちびは、産まれた時の状態があまり良くなかったので、 手形、足型を残す事はできませんでしたが・・・ 本当は、 出来る事ならば、誰一人として、 こんな思いはして欲しくないと心から思う・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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