2006/09/15(金)21:39
父のこと 3
両親が商売をやめてから、もうずいぶんたった。
子供が小学校に入り、長い休みにしか実家に帰ることができなくなったが、できるだけ子供の顔を見せるようにと、年末年始やお盆、春休みには必ず帰るようにした。
父はその間にだんだんと足の調子が悪くなり、リハビリが必要になった。
年に一度か二度、そんなに長くはないが入院を勧められるようになり、母は父の入院のための準備にもすっかり慣れて、父の世話の手際もすっかり良くなった。
しかし今年の夏の入院を経て、父の脳梗塞の病状は少し悪化のようすを見せた。
入院中、夜中に(徘徊というところまでは行かないものの)廊下をうろうろしたり、記憶に障害が出始めたりした。
八百屋だったのに「野菜の名前を5つ言ってください」と言われても出てこない。
恐ろしく速い暗算のできる人だったのに、簡単な足し算もできない。
うちの間取りを聞かれても要領を得ない。
本人ももちろんだが、このことは母や私たちにも大きなショックとなった。
そしてなにより悲しかったのは、父がとても温和になってしまったことだった。
温和だし、私を頼りにするような気弱な態度を見せるし、小さなことに妙に喜んだりする。
私の知っている父は、どんな窮地に立たされても、決して家族に八つ当たりしたり弱音を吐いたりする人ではなかった。
どんな困難も最後には「やったぜベイビー」なんて言いながら乗り越えてきた人だった。
しかし今の父は、そういった内面を包む強さをなくしている。
怒ることさえ面倒になってしまったように見える。
一時はまるで「宿敵」のように目の敵にしていた私を「ののはなは今度いつ来るかなぁ」と待つようになった。
怒りっぽい父が好きだったのではもちろんないのだが、元々厳しく几帳面だった人が、妙にぼんやりとした温和さで生きているのを見ると、確実な病気の進行を思い知らされているようで辛いのだ。
しかし私の名前は忘れていない。母のことも妹のこともちゃんと覚えている。
孫達の名前も忘れていない。
ずっと昔のことも覚えていて、懐かしい話に花を咲かせることはできる。
そしてありがたいことに、生活のほとんどのことは、普通の人と同じようにできる。
ならば、私たちは病気の進行を嘆いてばかりいずに、今できることを、今しかできないことを、一つでもたくさん見つけたい。
病気と闘うといっても、それは父にとっては日常生活なのだから、少しでも楽しい気持ちにさせてあげたいと思う。
明日から3日間、私と子供たちは実家へ行く。
何と言うほどのことはできないが、孫達と私がいるというだけでも、父も楽しいだろうし、母も少しは気が休まるかもしれない。
花子は最近、実家に帰るたびに「じーじ専属の看護婦さん」をかって出てくれ、リハビリに付き合ったり、お薬の管理を手伝ったりしてくれる。
太郎は「ばーばのおつかい係」で、買い物に行くたびに、なにかしら話題の種になるものを見つけてきて場を和ませる。
私は…やっぱりなにもできそうもない。
せいぜい最近の田舎暮らしの様子を、面白おかしく聞かせるくらいだろうか。
親孝行の難しさを、この歳になって改めて感じる今日この頃である。