明日の保障
久しぶりに書いています。母の様態が少し落ち着き、進行はしていますが、痛みのコントロールができてきたこと抗がん剤治療から日が少し経ったこと・・・決して良い方向に進んでいるとは言えないこの頃自分の中で半年後、1年後という言葉に重みを感じてしまう今日も大好きなジャーマンアイリスの花ガラを摘みながら「ありがとう!来年も咲いてね」といつものように声をかけた・・・声をかけた後辛かった・・・来年・・・来年・・・母はこの世にいるだろうか? 毎年 この花がらを摘むのが母の仕事だった仕事と言うとおかしいが仕事のように私と一緒に花の世話をしていた。1人で花を育てるようになり2年目になった・・・やっぱりさみしい花がら摘みが間に合わない・・・もう一緒に花がら摘みはできないかな??来年は一緒に花が見られるかな? 「また 明日」誰にだって明日はあるようだけど 誰にも明日は保障されていない来年の母の今日が保障されていないのも それも私も同じ・・・みんな同じなのに 何で悲しいんだろう・・・