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September 14, 2017
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平成28年10月8日(土曜日)

ホスピス47日目


日付が変わって間もなく、看護師SWさんが来室

SWさんは8月23日、このホスピスに転院してきた時にお世話くださった看護師さんでした。

「眠っていても耳は聞こえているのでたくさんおしゃべりしてください」と言い残し

出て行かれた姿に、私は今夜が最後のような気がしました。


rain

入院してからの夫は若い頃の思い出を話すことを喜びませんでした。

元気だった頃はよくおしゃべりしました。古いレターに書いてあることを持ち出して
笑い興じました。そんな時の夫は「本当にそんなこと書いてあるの、信じられないね。
キザなこと書いて、若気の至りってこのことだね・・・」などと言いながら
照れくさそうに笑うのでした。
余命告知以後は夫が昔の頃を思い出すことは辛いことなのだと思うようになりました。
思い出話は元気だからこそ楽しめるものなのです。限られた命しかない者にとって
昔の思い出ほど辛く哀しいことはないのだと私は感じるようになりました。

rain




耳は聞こえている・・・という言葉に促され、私は枕を並べて語り掛けました。

そして今夜が最後かも…との想いで、思い出話を始めました。




夫との不思議な縁の始まりをゆっくりゆっくり話しだしました。大学時代の友情が次第に

思慕の念となり、若者らしい素敵な美しい恋をしました。

卒業後はそれぞれに課せられた複雑な背景をもち、「必ず結婚しよう」

「何年後に結婚しよう」など、具体的なプランを描くことができない事情を背負っていました。

二人の人生の始まりは「歩けるところまで歩こう」でした。長い別離の生活が続きました。

「辛く、寂しかったけれど別れて過ごした期間が二人にとって必要なことだったのよ」

「あの期間が二人の土台をしっかり固めてくれたと思うの、あなたもそう思うでしょう」

「根っこがしっかりしていれば樹木は倒れない」って、あなたはいつも言っていたからね。」

夫に語り掛けながら二人が辿ってきた50余年の年月を私は独り話し続けました。




彼が養家を去り、私の方も貧乏暮らしの養父・母と弟の生活の見通しもでき、

ようやく結婚への希望を持つことができました。

結婚の日も住む家さえ決まらないのに、少しずつ少しずつその日の準備をしました。

「あなた、二人で買った最初のお買い物なんだか覚えていますか?」

それは津軽塗の夫婦箸と箸箱でした。貧乏な二人にとって津軽塗のセットは

高価すぎる買い物でした。



養家を出た彼は無職、列車の清掃、塾講師のアルバイト、生家の家業の手伝いをしながら、

これからの生活を模索しました。二人とも貧乏でした。

私まで職を失うことはできないので別居結婚でした。

「最高学府を出た者がすることではない」と夫は知人になじられました。




「結婚後の48年間はさらに紆余曲折の道のりでしたね。でもいつも幸せだったね。」

私たちはどんな時にも「共に生きている。共に暮らしている」そのことさえ実現できて

いればいつも幸せでした。幸福の基準は人それぞれですが、不幸の物差しを

私たちは持たなかったように思います。


二人の幸せだった歳月を長い時間をかけて夫に語り掛けました。今夜の夫はこうした二人の

思い出話をきっと共に喜び嬉しく聞いてくれると思いました。


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                ~・~・~・~・~・~・~・~~・~・~・~


「次はレターを読みましょうか。」「たくさんのお手紙の中で特別嬉しかったところですよ」

「あ、そうだわ、ボイスレコーダーに遺しておきたいわ」

彼からの手紙は1000通を超えた分量でした。ず~っと保管していました。

病気になってからはそれをいくつかに分けて綴じたものを幾冊か手元に持ち込んでいました。

レターを読みながら夫の表情を見ると

「えっ、ほんとにそんなこと書いてあるの・・・少し頭がおかしかっ

たんじゃないかな?」
そんなこと言っているような気になりました。そして、

夫はいつものように照れくさそうなそれでも嬉しそうな優しい表情でした。

私は、間もなく夫が逝くなどと少しも思うことなく、すっかり嬉しい気持ちになって

レターを読み聞かせました。私の声の背景に夫の寝息はすやすやと乱れることなく確かな

息遣いがボイスレコーダーに遺っています。

「ほかの綴りを取ってこなくちゃ」、

そう思いながら私は夫により添って眠ったようです。

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                ~・~・~・~・~・~・~・~~・~・~・~



気が付いて時計を見ると4時をかなり回っていました。1時間以上は眠ったようです。

体を横向きにして夫の首に手を絡ませ抱き寄せました。

うなじに伸ばした手に夫の温かさが伝わってきました。



夫は私が目覚めるのを待ってくれていたのでしょうか、

それから間もなくでした。夫は私の腕に抱かれて逝きました。(合掌)




若い頃の彼からのレター(この時、二人は24才でした)

「mawako ! 今日、岡山の街を歩きながらこんなことを考えました。
私とmawakoの関係で最も幸福であるのはmawakoが死ぬ時に私がそばにいてあげられるか、
私が死ぬ時にmawakoがそばで看取ってくれることだということを考えました。
つまり、どちらが先に死ぬかわからないけれど、死ぬときに私はmawakoの、mawakoは
私の名を呼びつつ、胸に抱かれて昇天できることがお互いの最高の幸せだと思いました。
(1966年6月21日)


rain


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Last updated  September 14, 2017 12:00:28 AM
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Re:ホスピス最後の1週間~仲秋、早暁 夫逝く(09/14)   dekotan1 さん
夫は私の腕に抱かれて逝きました!

一番嬉しい最後ですね。
なかなかこのような終わりをできる人は少ないと思います。

vabimariさんは芯の強さをお持ちだから、
自分を見失わない強さがあります。
今の若い人にはないものです。

これからも仲良くしてください。☆ (September 14, 2017 02:33:27 PM)


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