「小さな花宇宙」そして それから「老いふたりの小宇宙」

2017/09/19(火)13:29

喪の作業1 ~千の風になって

遺さてた日々を生きて(4)

「あたしのお墓の前で泣かないで下さい。そこに眠っていません」 「あたしのお墓の前で泣かないで下さい、そこに私はいません。」 「死んでなんかいません」 秋には光になってふりそそぎ 冬はきらめく雪になって 朝は鳥になって 夜は星になって そして 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています。 新井満(日本語の詞と作曲)さんの「千の風になって」の歌に今もなお、多くの人が涙を流し、 そして癒されていることでしょう。 大切な人を失った人の心のよりどころになる歌であると思います。 幼くして父を失った私は星を見て父が私を守ってくれると信じて生きてきました。 多感な時期に失った祖父母は絶えず私の周りに存在し、守られている想いに 安らぎと勇気を得て思春期を乗り越えました。 だからこの「千の風になって」と言う曲はとても心に響きます。 人が亡くなるとどうなるのでしょうか 私にとって父や祖父母の死の体験は死者の魂の存在を疑う余地のないものでした。 魂の存在を信じる人、信じる人はその魂の存在をどこに求めようとするのでしょうか。 死後その人の魂は天国へ、また浄土へと向かいそこに住むと多くの人は言います。 しかし、私たちはその天国も極楽浄土もどのようなところなのか誰もわかりません。 (臨死体験された方々はわかるのかもしれませんが) 現代において、日本人の死生観は変わってきたと言われます。 しかし、肉体は朽ち果て無となっても、魂は決して無とはならないという死生観が 今もなお私の周りには満ちており、魂の存在を信じる私と共感しあいます。 死に逝く人は自己の魂の落ち着き場所をどこに求めるのでしょうか。 又、遺されるものは愛する者の魂の居場所をどこに落ち着けようとするのでしょうか。 私は夫とのラストステージをブログに綴り終え、グリーフワークの一つの作業を終えました。 しかし、私のグリーフワークはここで終わりそうにありません。 「大切な人を失った時に感じる悲嘆(グリーフ)」から次の生活への適応に至るまでの 心の作業がグリーフワークであるとするなら 私はいまだにグリーフを生き、夫不在の生活環境に適応できていないからです。 グリーフワークは、「喪の仕事」「喪の作業」などと日本語に訳されていますが、 まだ当分、私の「喪の作業」は続きます。 時と共に自然に夫のいない、独りの生活環境に適応し、新しい人間関係や社会的関係を生み出し、 そこに自己存在の意味を見出すことができた時、私の喪の作業は終了となるでしょう。 これからのブログにも時々「喪の作業」をぽつりぽつりと綴っていこうと思います。 日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村 にほんブログ村    いつもご訪問いただきありがとうございます。

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