終活の悩み・ベコニアだけが元気!
先日駅前までの市電の中で知人に遭遇、彼女曰く「老人ホームに入ったと聞いていたけれど元気そうじゃない?」「認知症で施設に入ったのか、それとも体が不自由になったのかと思っていた。」不思議そうに私を伺うような視線を感じながら、2区間ばかりのお喋りで私は下車なるほどそうか、どうも老人ホームは他人(ひと)に与える印象がネガティブな響きを持っているようだ。今後、老人ホームと言わず「シニアマンション」とでも言おうかな。そういえば、新しく入居されたkさん、エレベーターでご一緒した時、「お元気そうですが、どこが悪くてここに入ったのですか」と問いかけてきた。入居する本人であっても「老人ホーム」は・・・・こうした認識が一般的らしい。「あんな施設に入って、死ぬまで何もしないで過ごすしてどうするの」口の悪い元同僚も最初の頃そのようなこといっていたな~~。でも、すべてがそうではない。住所変更のお報せですぐ駆けつけてくれた友人夫妻も、元気でここへ転居したとは実は思っていなかったらしい。それでも、老後の暮らし方としてはこういう選択肢もあるのだと納得して「私たちも80代になったらこういう施設でのんびり過ごしたいな・・・ねぇ~お父さん」と連れ合いに同意を求めている。2年余をここで過ごし、交流が続いている人たちとの間では私は認知症でもなく、体も不自由ではなく、介護とは無縁の状態で元気で過ごしていることがわかってもらっている。老人ホームについての認識も徐々に共有できてきている。今、交流のある老人たちは自らの終活の課題としていろいろ悩んでいるようだ。「こういうところで暮らしたいと思う」、 でも と続ける。家の片づけのことを思うと億劫である。子どもがいるのにどうして施設にいくの~と言われた。もっと動けなくなったら行こうかな、まだ大丈夫と思うから。費用のことも心配がある。施設で暮らすのはみじめである。二人でいる間は施設に入らないで自分の家で暮らしたい。等々、それぞれに課題を抱えながらも一人になった時には最後はこうした施設での暮らしのイメージに落ち着くようである。ここのホームの人達は子どもがいる人も多い、遠く離れているらしい人や、一緒でない方が気楽と言う人もいるらしい、その他いろいろあるらしい。親を施設に預けることに抵抗があるという一人身の後輩もいる。会社が倒産、その後離婚、体調を崩し親元に帰ってきた50代の息子と同居という知人もいる。8050問題、9060問題は引きこもりの中高年と親の問題にとどまらず、老人や老人世帯に今後多様な問題を引き起こすであろと素人の私ながらも予想される。「元気なうちに結論を出すことが大事」と言いながら中々次の一歩を踏み出せない老人の仲間たちである。確実に減り続けている年金額、毎年上がり続ける税金決して日本の老人には明るい未来は保障されはしないだろうと思っている。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。