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テーマ:今が旬の話(414)
カテゴリ:徒然日記
以前、『桜咲くころ心穏やかにあらず』(3月30日)と『どうして貴女が急いでいるのか分かりません』(4月1日)でご紹介しましたが、桜 の咲くころになると、なぜか自然と思い浮かべる和歌(短歌)が2首 ほどあります。 春の心はのどけからまし 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ 上の歌が在原業平、下が紀友則が詠んだものです。 意味はそれぞれの過去記事を見ていただくとして、もうひとつ、この時期になると思い出す和歌があります。 それが、三十六歌仙の一人でもある藤原敏行(左)が詠んだ次の歌です。 ちなみに三十六歌仙とは、藤原公任の『三十六人撰』に載っている和歌の名人36人の総称のことです。 風の音にぞ おどろかれぬる (※JiMNY訳)この夏の間中、絹ごし豆腐の冷ヤッコばかり食べていて飽きてしまったな~。妻のさやかには、そんな私の素振りも目には入らず、見て見ぬ振り。それどころか、妻のひねった屁の一吹きには、ほんとビックリしたなぁ、も~。 ・・・・・ な~んていうのは冗談で、普通の訳では・・・・・ 秋が来たかどうかは、目で見てはっきりそれとわかる変化はないのだけれども、明らかに今までとは違う風の吹き具合にハッとさせられるものがあるんだな と、まあ、こんなところでしょうか。 ほんの10日ほど前までは、猛暑だ 熱帯夜だ と騒いでいたのがうそのように、ここ数日間、関東地方はめっきり涼しくなりました。 さすがに、このまま本格的な秋に突入することはないでしょう。 残暑ともいえる暑さもぶり返してくるでしょう。 でも、ほほを撫でる風は明らかに夏のものとは違っていることを感じます。 さらに、連想ゲームのように思い浮かぶのが堀辰雄の「風立ちぬ」(右)です。 と言っても、話の中味はほとんど覚えていません では、何をか言わん といいますと、主人公の決意を表す「風立ちぬ、生きめやも」という言葉です。 この言葉自体、フランスの詩人ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」の一節を引用したらしいのですが、「風が起きた。生きねばならない」という意味なようです。 どちらにしても、文語調でわけのわからない言葉だなという印象だけはあったのです。 そして、またまた連想するのが、松田聖子の1981年10月発表の「風立ちぬ」(左)なのです。 堀辰雄の「風立ちぬ」は知らなくても、松田聖子の「風立ちぬ」は知ってるよ、と言う方は多いのではないでしょうか。 でも明らかに、この歌のタイトルは小説の題名から取ってるんでしょうね。 普段「風立ちぬ」というフレーズに出会うことは、なかなかないでしょうし、でなかったら「風立ちぬ」という言葉も思い浮かばないような気がするのですが・・・。 では、最後に懐かしいアルバムジャケットと共に、聖子ちゃんの「風立ちぬ」を聴きながら、お別れです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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