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カテゴリ:家メシと器
このごろ 現場売りで お客さんたちに こーゆーてる
見かけは 3番目にダイジ ですわ 1番 ダイジなんは 今のくらしにに合ーてるか 電子レンジ食洗機オーブン加熱OK 磁器よりジョーブ しみこみなし 2番目にダイジなんが 使い勝手 口当たり 手への収まり 指かかり 洗い勝手 気安く使えるネダンかどーか 見かけは 3番目くらいにダイジ 和むための道具 やすらぐための器 人と人の和をむすぶ器 絵付け は和むための記号 3番目にダイジなんやけど 使い手買い手は 見かけで買わはる 1番2番は うちに持って帰って 使わないとわからんからね 3番目にダイジな 見かけ ウチのやきもんには ほとんど全部 絵付けしてる せーへんのは ショコラくらい ↓ 器は舞台 絵が描いてあるよーですが ホンマの絵は描いてません ホンマの絵は そこに盛り込まれた 食材の色でございますー トマトの赤 キュウリのミドリ 玉子の黄色・・・・ ほんとーの絵は お使いになる そちらさまでお描きくださいー ←現場売り口上♪ このショコラ8寸四方皿は 釉薬のムラ で見せて絵付けなし しかし 絵付けしない とゆー絵付け をしてるわけなんですね ぼくの意識としては・・・・ 北欧のアラビアっぽくしよう あのカンジを自分流にやってみよー とゆー思惑ですわ これなんかは 織部:おりべ ってゆー様式に則:のっとった 絵付け ↓ 織部って様式の面白さを ぼく流に 今風に イタリアンも盛り込めるよーに 手垢のついた ベタベタの和風をさけて 自分なりに 抽象化したり モダンな絵付けで と意識して作る やきもんの古作名作にはないが この文様 線3本で表した雪 も モミの木のイメージ も 雪ダルマの描き方 も 自分がかつて見て なじんで来た 絵本やアニメや雑貨のパターンを 踏襲した描き方ですんやわ 使い手のヒトたちと 共有できる記号符号 約束ごとの絵ってこと 白い地に 呉須:ゴスの青だけで描く 染付け って様式 つまりすべて かつてどこかにあった 品々のイメージ 刷り込まれたイメージの再使用であり 援用応用流用して ズラしたり 組み合わせたり 換骨奪胎して それを自分なりの芸 としてるわけです 完全コピーは 写し とゆー 完全コピー=写しを やらないのは 写し でやるよりも ズラしたほーが やっててオモロイし 新味も出るからですわ 加えて 古作の写し やと古臭いカンジになってまうから これが やきもん屋 としての 絵付けに関する ぼくの意識の在り様 絵付けする もっとも大きい意識 理由は この文の最期のほーに書きますが・・・・ 存在は意識を規定する カールマルクスの謂いである 男は男のように考え 女は女のよーに考え 若者は若者として考え 老人は老人として考え 陶芸家は陶芸家として考え やきもん屋はやきもん屋として考える 存在は意識を規定する byマルクス けども それだけでもないんですわ ほかの方々のブログを拝読させてもろて 自分の意識がひろがることもあります 自分の存在で規定されてしもてる意識が ひろがりを得る 得がたいベンキョウさせていただくことも たしかにある 男の陶芸家 女の陶芸家 若い方 年長の方 いろんなブログを読むことで いろんなヒントをいただいてきたし ほんとにインターネット ありがたい情報の宝庫やなぁ・・・と まあ 空っぽにの洞窟 なら まあ こんなに時間ムダなことはないわけで まあ ただの時間つぶしにしては 労力かけすぎやしね まあ 無理やりにでも そー思わんとねー 絵付けに関する意識について 人気ブログランキングにご参加の 熊本栄司さんがお書きになった文を読んで 陶芸家と やきもん屋は 絵付けするしない ひとつとっても ずいぶんと意識が ちがうもんなんやなぁ と思もた・・・ 熊本さんは 上絵でやってらっしゃるんで 本焼の窯から 無地の白い器がでてきたときに 自分の心の中の 悪魔のささやき が聞こえる と・・・ 趣旨を要約補足させていただくと こんなことでした・・・ 白い無地の器がある として・・・ このまま白無地の器ならなんにでもあいそう ならば 絵付けなんて 余計な事はしなくても良い なにもしない方がすっきりしているし 手間もかからない 物足らないって言われたら シンプル・イズ・ベスト そして 多くの雑誌に載ってるのは そんな無地の器 きっと 喜ばれもするんやろう この悪魔のささやきに従うと 楽で安全な方向へ行く 絵付けなし 無難な白無地の器 へ導かれる しかし ブレないポリシーで 踏みとどまる どこかで見たような作品からはできるだけ遠ざかり できるだけ最終的には 自分色に無理やりでもする このポリシーがあるんで 楽な方向へ誘う 悪魔のささやき に惑わされず 上絵付け金彩して 自分のスタイル=様式を貫ぬく おおむねそんな内容の文やったんですが 読んでこー思もた うーん 陶芸家の意識 ってそーなんやー と・・・ 陶芸家とやきもん屋では 絵付けする理由 その意識の出発点が エライちがうもんなんやなぁ と・・・・ 陶芸家 は 求道的やなぁ すごいなぁ ・・・と ぼくが絵付けするのんは 絵付けしたほーが 売れる からですわ♪ 白無地の器よりも 絵付けした器のほーが売れる これは事実 また 絵付けして 手間をかけた品は 単価を高くもっていける バブル期の京都のお店は うちのアキの多い絵付けの品を見て アンタ こんだけ描けるんやし もっと描きこんで もっと単価の高い品 作ってくれへんかなぁ とゆーたはりました 京焼を求める お客さんもそれは 納得済みのコトですし お店の言い分もよくわかるわけ ¥500の品100個 売るよりも ¥5000の品10個 売りたい もっと言えば ¥50000の品1個 売れるなら そっちの方がいい 当然やと思います ぼくもお店のヒトならきっとそー思う ところが ぼくとゆー存在が意識を規定してて こー思う 過剰に描き込んで行くと めんどくさいんよねー チマチマした仕事よりも イキオイの仕事のほーが好き それにそれはなんぼでも 他のヒトがやったはるしなー イキオイで数 作って 単価安う出したほーが 世のためヒトのため それにきっと安定的に売れるやろ と・・・ ぼくの耳元で 天使がささやく 絵付けしたほーが売れるよ♪ やきもん屋のぼくは 素直にそれにしたがって 絵付けする 現場で使い手買い手のニーズ見てきててやっぱりそーやと思う 補足してゆーと 抽象文=線や面やの無機的な文様よりも 具象文=花や鳥や風や月や 花鳥風月 自然をあらわす伝統文を 描いたほーが売れますわ やきもん屋の領域 ふだん使いの器 ってことでゆーと 使い手=買い手のニーズは いたってフツーで保守的です 刷り込まれ 目になじんだ 共有できる 紋切り型の美 でイイんです 無地の器 ってことでゆーと そっちは なんぼでも機械量産磁器が 洋風でも和風でもやってて 手づくり手描きは それと外見的におなじやと きっと売れんでしょ どーしても なんかせんなん・・・ 和の食器 割烹食器 には どーしても 和風の陶器の風合い 必要不可欠で ここは陶器の安定確保領域やと 思われてたんやが・・・ そっちの方面でも技術革新は進み 今や機械量産の 陶器に見える磁器 ができてて 質のいい物は ぼくの目から見ても モノとして 素晴らしい ↓ 素焼きしたあとに 白化粧をして ちりめん状のヒビ その微細な表情 そこに淡い緑の灰釉が タップリとかかっていて おおどかな指筋が ゆったりとうねって気分駘蕩=ユルむ・・・ この店の 押さえた照明 内装や卓の色にもマッチして すばらしく美しい和の盛り付け これローラーマシンで作った機械量産の磁器 それにいろんな高度なテクニックで 機械がいろんなモンを吹き付けて 陶器に見せかけた まがいモンの陶器 安いんやろなぁ・・・・ コレ くやしいけれど・・・・ 美しい こーゆーもんに 伍してゆくために 手の技で勝つために やきもん屋は イキオイのある絵を 手ぇで 描くんじゃい! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー なにがしか みなさんのお心に とどきましたでしょーか? もしそー思もてくれはったら クリックたのんますー♪ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年04月11日 18時43分42秒
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