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カテゴリ:やきもの屋のくらし
海猫:ゴメが鳴くから ニシンが来ると 赤い筒袖:ツッポの やん衆がさわぐ 雪に埋もれた 番屋の隅で わたしゃ夜通し 飯を焚く あれからニシンは どこへ行ったやら 破れた網は 問い刺し網かぁ いまじゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロー 沖を通るは 笠戸丸 わたしゃ涙で ニシン曇の空を見る 石狩挽歌 って歌 この曲は1975年=昭和50年にヒットした 翌年1976年 精華短大の洋画科へ行き 夏休み 北海道ヒッチハイク旅行 夕方 道東の北見でヒッチに成功 北見の材木会社の若社長 東京出張 千歳へ 深夜 その人に連れられ ススキノの雑居ビルの 4Fにあるスナックへ オーナーとは旧知の間柄らしく・・・・ コイツ 北見で拾ってきたっけ 京都の大学生 ここでバイトさせてやってくれ オマエもヒマなんだからイイだろ? 9月なかばまでの1ヶ月 そこでバイトしたはった北大生の寮にころがりこんで そこ 南3条西5条の スナック「雑居房」でバイトした 地下鉄で通勤 夕方4じに行って明け方3じまで 皿洗いしたり 水割りの氷を アイスピックで割ったり チャーム=お通しの ポップコーンやアタリメをカゴに盛ったり サラリーマンやOLの多い店でね リクエストのレコードをかけるのも仕事やった ユーミンの曲で ハイファイセットの スカイレストランと この 石狩挽歌 を 何度も何度もかけた・・・・ 燃えろかがり火 朝里の浜に 海は銀色 ニシンの色よ ソーラン節に 頬染めながら わたしゃ大漁の 網を曳く あれからニシンは どこへ行ったやら オタモイ岬の ニシン御殿も 今じゃ破れて オンボロロロ オンボロボロロー 変わらぬものは 古代文字 わたしゃナミダで 娘ざかりの 夢を見る 来し方 行く末 ・・・・ 過去は クッキリと 見えるが・・・ 未来は なかなかに 見通せない・・・・・ 87年から97年まで 五条坂だけに出店 98年 今は五条より 清水焼団地のほーが売れるんですよ とやきもんや仲間がゆーんで 出してみたら 120!!!! そして五条も団地も なぜか凋落がはじまって・・・ あれからニシンは どこへいったやら・・・ 山科の清水焼団地の陶器祭 売り上げのワースト記録を 更新した ことしは24である おんなじ3日で 98年は 120で ことしは24 5分の1 12年つづけて 13回出店しつづけて こーゆー変化を 見せてもろた ええベンキョー させてもろてる・・・ あれからニシンは どこへ行ったやら オタモイ岬の ニシン御殿も 今じゃ破れて オンボロロロ オンボロボロロー 変わらぬものは 古代文字 わたしゃナミダで 娘ざかりの 夢を見る ここ12年の 団地と五条坂の売り上げの セキララ推移 ダブルで 年 98 99 00 01 02 03 04年 団地120 75 90 53 44 50 38万円 五条86 91 95 60 54 56 72万円 ↑ここに大きな落ち込み 05 06 07 08 09 10年 55 25 43 31 27 24万円 63 50 65 50 46 ?万円 ↑ここの落ち込みもひどい ぼくは 定点観測してきた あるていど大きい数字を売って 1987→2010 23年の変化を見てきた・・・ おおぜいのお客様に 支えてていただいてるとはいえ ここ15年~20年の 団地と五条 そこでの ウチの売り上げ その数字の急激な変化 にはオドロクしかない そして それはナゼそーなのか を 必死で 考えるんやけども わからない ←これがホンネ とりあえずの結論としては 表層文化:うわっつらの文化 なんとなくの時代の流れ ファッション的なフンイキ そんなカンジでの 手づくりの器への注目と購買 バブルとともに それなりに膨らみ 単価安いんでバブル後も 育ち膨張したが それは01年までで 02年で瓦解した 売れてたときが オカシかったんで 今が セイジョー 使い手たちも 夢から 覚めた この世にたった1つの 手づくりの作家物 それは 表現芸術アートっぽい器 ステキ♪ と思っって フッション的に取り入れてみたが・・・・ 使い手の求める十全な満足を具えてない品は 見限られる・・・・ 具えても なお 時代の推移で 売るのは困難になる・・・・ 10日後 五条坂 8月7~10日 あさ9じ~よる11じ 1月ほどしたら9月 9月からは 毎週末 どっかで売;バイ 4・5日駒ヶ根もみじクラフト 11・12日 せともの祭 北九州へ行って 浜名湖があって・・・・・ いずこへ行きましても 土地土地のお姐さんお兄さんに ごやっかいかけがちなる若造です 以後 面体 知りおかれまして 恐惶万端 おひきまわしのほど よろしゅーお願いもうしあげマス♪ フントードリョク ノ カイ モ ナク キョーウー モ ナミダ ノォー キョーゥー モ ナミダ ノ ヒガクレル ヒィガァー クゥーレールゥー うちは7年ほど前から こども食器 に力を入れてる 全国いたるところに ちいさなお客様たち がいる また そのちいさなお客様たちの お父さんやお母さん おじいちゃんやおばあちゃんが またその上の世代が 居ててくれはる・・・ そこが うちにとっての 希望の光 一縷の光明 明けの明星 ことしは お会いできなかった 去年 来られた 高齢のご夫妻 数年前から何度か買ってくださってる方 ウチはどっちかゆーと 若向きのカワイイもんが多い その方々は 母と子の絆シリーズ を まとめ買い ???? 孫娘の代わりに 買いに来た とゆわはる 前は祇園祭山鉾巡行に あわせて来て 東急イン泊 東急インはなくなり 陶器祭りの日取りも変わった わざわざ 団地陶器祭り ウチの品めがけて・・・ 孫娘には ちいさな子が2人 うちの品のファン 孫娘の代わりに 爺と婆で買いに来ました 広島県福山から 新幹線使って日帰りで 去年はあっつい 京都の山科まで・・・・ ことしは お顔を見れへんかった みんなみんな お元気やろか・・・ 1年ぶりにあう ちいさなお客様 1年前 へんなオッチャンの カンカラ三線に ノリノリやった 子供ら この1年 ぼくの食器で ご飯を食べて 牛乳飲んで 365日分 大きくなってた・・・365日 何回 オッチャンの作った道具を 使こてくれはったんやろ 落として割った と 買い足し それにこれも と 買い足し 器は 道具 道具は はたらく はたらき たすける 道具たち ヒトのくらしの毎日を はたらきたすける道具たち たのしいことも かなしいことも くるしいことも うれしいことも みんなまとめてヒトのくらし 心も たすけて はたらく道具 手でつくったもんは 手になじむ 手で描いた絵は 目にやさしい 心ゆるりで 家族のきずな よくはたらくと よくぶつかる そやから いつかはきっと 割れるでしょ 割れたそのとき 思い出す あんなおかずや あんな菓子 あんなのみもの のんだこと ごはんもいっぱいたべたから こんなにおおきくなったこと はたらく道具が 割れたとき それからも一つ 気づくでしょ いつかはきっと 気づくでしょ おいしいごはんを 用意した おかーさんの はたらきに ケガしてないかと 声かけた おとーさんの はたらきに もうすぐ 五条・・・ 暑い しんどい 苦しい 売れない と 嘆くかもしれない 戦略 期待 不安 後悔 負け惜しみ と 世知辛くなるだろう そんな現実=リアルのなか 現場売り は やきもん屋の 冥加冥利:みょうがみょうり である 冥加 知らず知らずに受ける 神や仏の加護 おかげ 冥利 それ以外では 決して味わうことのできない 人間としての 最高の満足や幸福感のこと 現場売りの 売れる売れない 明暗 寒暑 晴雨 風雪 光陰 そのなかで思うことの すべて それが やきもん屋であるぼくの 存在証明であり自己同一性:アイデンティティである このことで この世に生きることの 意味があり このことで ヒトと出会い ヒトとつながり このことで オマンマ をいただく 仕事 事に仕える 職業として専門家=プロってこと 器は ただの 物 なのにヒトは それにいろんな思いを 仮託する 陶器まつりは ただの 場 なのにぼくは それにいろんな思いを 仮託する さ 10日後 さ 五条坂へ♪ つたないブログではございますが もうじき8年 読み手のみなさまのご反応を頼りに この先も なにとぞ クリックでのお力添え よろしゅーおたの申しますー♪ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月27日 08時48分48秒
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