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カテゴリ:やきもの屋のくらし
はいー 8月葉月が終わり
9月長月のはじまり 8月16日 10じすぎ カミさんの実家を出た タバコを買いに行った 出たとこにある 小さい屋敷畑:やしきばた は本宅の畑 さして広くない このくぼ地には 本宅 カミさん実家 もう一戸 左に上って 小薮を抜けると 広々した台地 畑地が広がるが 休耕 放置された畑も多い 潅木の林 丘が続いてる 上がってすぐが カミさんとこの畑 自家用に 野菜や花を作る畑である 朝顔の蔓が からんでる 右に折れて 台地を進む 左 草地と畑がつづき いろんな花 右にも 草地 畑 そのむこうには 宅地がある 常磐線の佐貫駅までは 20ぷんほど 上野駅までは50ぷん 通勤圏なんである さて まっすぐ行って 根本小学校のほーへ行ったほーがええんか それとも・・・ 畑にいたはった おじさんに聞いてみたら そっちさ下ったらあるっぺよ と はは ここやな くらがり坂 カミさんこどものころ 夕方 怖かったんは ここや それに 家に帰らんと ここらに ランドセル隠して遊びに行って 怒られた とか ここらに 悪い点数のテストを捨てて あとでだれかが 届けてきゃはって 怒られた とか 道は うねりながら 集落の中 生垣に 囲われた 地の家 きっと 元農家 あるいは 現役の 兼業農家 あ ここやな お寺 たしかに 時宗:じしゅう ここの集落の 旦那寺 ここで遊んだゆーてたなぁ・・・ あ タバコの自動販売機 ここか けどカードなんか持ってないさかい すんませーん 万屋:よろずやの店内へ エコー? ない? ほな ショートホープを・・・ さ おんなし道もどるのもツマラン こっち回って帰えってみよか 地の集落の 古い道 せまい道・・・ 常磐線の 取手駅と牛久駅の中間 佐貫駅 竜ヶ崎 江戸崎 つくば 霞ヶ浦 すぐそば 利根川を越えれば 千葉 すぐに 成田 茨城県の最南のエリア ここから 東北地方が始まる お義母さんは 自分のことを オレ といわはる けれど ここは 首都圏の外縁部であり 首都直結してる それはすなわち 田舎でありつつ 首都東京と一体の経済圏 このエリアの地の利ゆえに この農村の住人たちは 農村の生活 空間の広さ 行動規範 伝統文化 を失うことなく 首都に付随できたから 首都へ流入移動することから まぬがれた この土地に生まれ 育ち 生き ここで死ぬことが まだ できる この土地の 大きな地の利は 得がたい幸運幸福=僥倖である もっと遠い農村 遠い田舎は そうはいかなかった・・・ 都市と農村 今 ニッポン人の 6~7割は 街に住んでる 首都圏 名古屋圏 大阪圏 に 5割が住んでる 都会への人口集中 は 産業構造の変化のせいである 戦後すぐには 農林水産業に従事する人が 50%いたが いま 4・9% である 第一次産業から第二次産業への移行によって ヒトは都会へ行った 1950~60年代 高度成長期 製造業の設備とインフラは 都市部に集中して構築された 必然的に 農村から都市部への 人口移動がおこった 1956~70年までの累計 首都圏=東京神奈川埼玉千葉 に 476万人 大阪圏=大阪兵庫京都奈良 に 210万人 名古屋圏=愛知岐阜三重 に 61万人 合計748万人 が大都市圏に流入した 70年時点の日本の総人口の 7・1%、 大都市圏人口の15・5% に達する人数 その多くが 新たに職を得ようとする 若年層であった 所得水準が向上したことで お金で買える楽しみが多様化 高度化した それが若い世代の人々に 結婚することへのためらい 子育てに時間とエネルギーを費やすことへのためらい を生んだと考えられる さらに 都会では 住宅事情の悪さ 生活コストの高さ から 田舎と比べて 子供を産む数が 前から少なかった 高度成長期の人口移動は 子供を産み育てる年代の人々を 子育てしにくい地域へ導く形になったのである あらたに移り住んだ都会は 田舎とちがって 親や親戚に 子育ての支援を期待しがたかった 晩婚化非婚化少子化は 都市への人口集中の 必然である ほな 豆奴はん あんじょうに♪ へぇ おーきにぃ ブログ読者のみなさまの お力添えを頼りに 書きついでまいりますよって どーぞ今日も1クリック おたのもうしますー♪ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年09月01日 21時23分01秒
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