2010/11/15(月)06:22
龍馬 土佐にもどり
ナゴヤドーム 11・12・13と3日
カミさんとともに クルマに寝泊り
きのうは6時終了 ソッコー家に帰り
帰宅7じ40ぷん 風呂のあと
じっくり 龍馬伝を見た
龍馬 土佐にもどり
5年半ぶり
最新のライフル銃 1200丁 土佐に持ち帰り
倒幕にせよ 大政奉還にせよ 武力はヒツヨー
土佐藩内 藩論混乱 錯綜
武力倒幕派 板垣退助など
後藤象二郎が 容堂に龍馬との対面を懇願する
なぜワシが坂本に会わにゃならん
薩長同盟をとりもったがは 坂本龍馬がです
なぜそのことをワシに言わなんだ
ねたましかったがです
下士の分際で 吉田東洋さまに認められ・・・
大事を為していく あの男が ねたましかったがです
男の嫉妬 ねたみ そねみ ほど 怖いもんはないとゆーが・・・
史実はどーやったか
龍馬伝では 大殿 山内容堂と龍馬の対面を描いた
土佐の身分制 上士下士のへだて
260年の徳川幕府支配 封建制 鎖国 攘夷・・・・
それらの愚を 公儀幕府への恩=忠義として生きてきた
譜代大名 老公 山内容堂に悟らせて
慶喜へ 大政奉還の建白書を出してもらうため
大名も侍も 無うなる 世の中・・・
それが どれほど怖ろしいことがか
おんし わかっちょるがか
大名も侍も 無うなった 世の中に
なにが 残る
・・・・・・・ 日本人です
・・・・・・・・ただの日本人が残るがです
まあ・・・・ なかなかに カンドー的な台詞でした・・・・・
メシ食いながら 龍馬伝見てたんですが ナベでした
鶏肉のナベ 龍馬は軍鶏鍋:しゃもなべ が好きやったらしー
今日が 龍馬の命日 11月15日
旧暦12月10日が 龍馬の殺された日
京都の川原町 隠れ家=近江屋でね
中岡慎太郎とともに 斬られた
龍馬の墓も京都にあり
龍馬 ここに眠り
龍馬の墓 中岡慎太郎の墓 二人並んで 霊山神社にある
円山公園と清水寺の間 ここ東山の中腹からは
京都の街が一望できる・・・
円山公園にある ふたりの銅像
きのうの龍馬伝からゆーと 40日ほどの
今日11月15日に殺されてしまう
容堂の大政奉還の建白書が出て
後藤象二郎や龍馬はそのための動きをする
土佐から京都に入った龍馬
それまでの寄宿先 隠れ家から 場を移す
もとの寄宿先 材木商の 酢屋:すや ←屋号
木屋町三条下がる西にあり 当時の面影を留めてる
亀山社中の京都事務所 でもあったらしー
2階に龍馬カンレンの 展示があり
龍馬の隠れてた部屋もあり
木組みは当時のまま とか
木屋町の高瀬川の水運
ここの前で ちょい広ろなってて 荷物の積み下ろし場所
五の入船 とゆー舟だまりやったらしー 今は無いけども
木屋町二条らへんには 一の入船 が現存しるよーですが
龍馬は 酢屋の2階の隠れ部屋から
晩になったら 前の舟だまりへ向けて ピストル撃って
射撃の練習したとかゆーことが 伝わってるとかで・・・
木屋町四条上がる 土佐藩邸のあと
土佐藩邸にいれば 安全やったのに・・・・
土佐から京都に入って この酢屋にも入らず
新撰組とか 京都見廻組 とかに知られてない
新しい隠れ家 に移ったらしーんやが
それが 近江屋
川原町四条上がる 東側 今はコンビニになってる・・・
きょうは 龍馬と中岡の命日
きっと 今日 ここには ぎょーさんの花 供えられて
ここが 龍馬暗殺のあった場所と知らん人らを オドロカしますやろう
はい 龍馬カンレン 宣伝告知
こんなんありますけどもーーーー♪
↓
↑ りょうま碗
まっこてこじゃんと 和めるきに
おまさんらも 使こーてつかーさい
肩に力を 入れすぎたら いかんぜよ♪
ナゴヤドーム 持っていった3個
売れてしもて もーない・・・・
ほな 豆奴はん あんじょうに♪
そーどすかぁ 今日が龍馬はんと慎太郎はんの 祥月命日・・・
慶応3年12月10日=1867年11月15日 143年前・・・
うちも 祇園から 四条の大橋 越えて
花 手向けさしてもらいますえ・・・
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