|
全て
| カテゴリ未分類
| 龍馬伝カンレン
| 家メシと器
| やきもの屋のくらし
| 過去の文 修正再録♪
| 山に登る
| 陶芸関連
| 染と織
| 季節の花/木/風/光
| 京都・滋賀インサイド
| 旅 外メシ
カテゴリ:龍馬伝カンレン
ナゴヤドーム 11・12・13と3日
カミさんとともに クルマに寝泊り きのうは6時終了 ソッコー家に帰り 帰宅7じ40ぷん 風呂のあと じっくり 龍馬伝を見た ![]() 龍馬 土佐にもどり 5年半ぶり 最新のライフル銃 1200丁 土佐に持ち帰り 倒幕にせよ 大政奉還にせよ 武力はヒツヨー 土佐藩内 藩論混乱 錯綜 武力倒幕派 板垣退助など ![]() 後藤象二郎が 容堂に龍馬との対面を懇願する なぜワシが坂本に会わにゃならん 薩長同盟をとりもったがは 坂本龍馬がです なぜそのことをワシに言わなんだ ねたましかったがです 下士の分際で 吉田東洋さまに認められ・・・ 大事を為していく あの男が ねたましかったがです 男の嫉妬 ねたみ そねみ ほど 怖いもんはないとゆーが・・・ 史実はどーやったか 龍馬伝では 大殿 山内容堂と龍馬の対面を描いた 土佐の身分制 上士下士のへだて 260年の徳川幕府支配 封建制 鎖国 攘夷・・・・ それらの愚を 公儀幕府への恩=忠義として生きてきた 譜代大名 老公 山内容堂に悟らせて 慶喜へ 大政奉還の建白書を出してもらうため 大名も侍も 無うなる 世の中・・・ それが どれほど怖ろしいことがか おんし わかっちょるがか 大名も侍も 無うなった 世の中に なにが 残る ・・・・・・・ 日本人です ・・・・・・・・ただの日本人が残るがです まあ・・・・ なかなかに カンドー的な台詞でした・・・・・ メシ食いながら 龍馬伝見てたんですが ナベでした 鶏肉のナベ 龍馬は軍鶏鍋:しゃもなべ が好きやったらしー 今日が 龍馬の命日 11月15日 旧暦12月10日が 龍馬の殺された日 京都の川原町 隠れ家=近江屋でね 中岡慎太郎とともに 斬られた ![]() 龍馬の墓も京都にあり 龍馬 ここに眠り 龍馬の墓 中岡慎太郎の墓 二人並んで 霊山神社にある 円山公園と清水寺の間 ここ東山の中腹からは ![]() 京都の街が一望できる・・・ ![]() 円山公園にある ふたりの銅像 きのうの龍馬伝からゆーと 40日ほどの 今日11月15日に殺されてしまう 容堂の大政奉還の建白書が出て 後藤象二郎や龍馬はそのための動きをする 土佐から京都に入った龍馬 それまでの寄宿先 隠れ家から 場を移す ![]() もとの寄宿先 材木商の 酢屋:すや ←屋号 木屋町三条下がる西にあり 当時の面影を留めてる 亀山社中の京都事務所 でもあったらしー 2階に龍馬カンレンの 展示があり 龍馬の隠れてた部屋もあり 木組みは当時のまま とか 木屋町の高瀬川の水運 ここの前で ちょい広ろなってて 荷物の積み下ろし場所 五の入船 とゆー舟だまりやったらしー 今は無いけども 木屋町二条らへんには 一の入船 が現存しるよーですが 龍馬は 酢屋の2階の隠れ部屋から 晩になったら 前の舟だまりへ向けて ピストル撃って 射撃の練習したとかゆーことが 伝わってるとかで・・・ ![]() 木屋町四条上がる 土佐藩邸のあと 土佐藩邸にいれば 安全やったのに・・・・ ![]() 土佐から京都に入って この酢屋にも入らず 新撰組とか 京都見廻組 とかに知られてない 新しい隠れ家 に移ったらしーんやが それが 近江屋 ![]() 川原町四条上がる 東側 今はコンビニになってる・・・ きょうは 龍馬と中岡の命日 きっと 今日 ここには ぎょーさんの花 供えられて ここが 龍馬暗殺のあった場所と知らん人らを オドロカしますやろう はい 龍馬カンレン 宣伝告知 こんなんありますけどもーーーー♪ ↓ ![]() ↑ りょうま碗 まっこてこじゃんと 和めるきに おまさんらも 使こーてつかーさい 肩に力を 入れすぎたら いかんぜよ♪ ナゴヤドーム 持っていった3個 売れてしもて もーない・・・・ ほな 豆奴はん あんじょうに♪ ![]() そーどすかぁ 今日が龍馬はんと慎太郎はんの 祥月命日・・・ 慶応3年12月10日=1867年11月15日 143年前・・・ うちも 祇園から 四条の大橋 越えて 花 手向けさしてもらいますえ・・・ ーーーー ブログ読者のみなさまの お力添えを頼りに 書きついでまいりますよって どーぞ今日も1クリック おたのもうしますー♪ ↓ ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月15日 06時22分05秒
コメント(0) | コメントを書く
[龍馬伝カンレン] カテゴリの最新記事
|
|