今日のハプー

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過去の文 修正再録♪

2011年01月19日
XML
ここ1週間ほど パソコン壊れてましたんで
ブログが書けませんでした なので今日
またこれを再録しておきます・・・

^^^^^^^^^^^^^^^

16年前の1月17日
午前2じまで 穴窯を焚いてた


yuki


火をとめて 眠りについたのは3じころ

5じ46ぷん 大きく長いユレで目が覚めた

生まれてはじめて経験する もっとも長く強い地震

 あー・・・
 コレは・・・
 こどもを起こすべきかな・・・
 長男5歳 次男2歳前 3男まだいなかった・・・ 

 
あせり始めたころ ユレはおさまった

すぐにラジオを聴く 30分ほど 

情報はまだ集まってなかった

9じに起きたら・・・・





あのとき あのあと 

ぼくにできたのは 被災地支援の募金に 1万円を

それだけやった・・・・


731

 
   神戸のヒトたちエライよ ほんと


1年後かな 宇治のギャラリーで展示会をした
そのギャラリーのオーナーから聞いたハナシ

 やきものの企画展示 常設展示 
 近所ではみかけない 高齢の男性 が 
 ときおり前を通られ 立ち寄られる
 そんなことが数度  先日はじめてお買いになった
 器=ふだん使いの品 やきもの
 はじめて身の上話を とつとつと

 近くに嫁いだ娘さん を訪ねて ときおり神戸から
 元からやきもの好き 器道楽 長い間かかって
 少しずつ蒐集した物 震災で すべて失った と

 オーナーに驚き そして不思議・・・
 失礼ですが と おずおずと聞く・・・

  そんな経験をされて なお
  よく また 買おう という 
  お気持ちになれるものですか?

   ははは・・・
   好き ですから・・・
   でもね・・・
   もう・・・
   本当に使うものだけを・・・



111



  神戸の方たち エライよ ほんと

  それを助けたヒトたち それを支えたヒトたち

  ぼくには 奇跡に 思える


3106




神戸のトアロード 
震災で3つの商店街
力を合わせて復興を図る
3年で ハード面は ほぼ復興なる
あわせた力を 解体せずに 外に向けて
なにか発信していこう と アートフェア立ち上げ
ぼくは第2回から出展したが 第1回に出した方から聞いた

 崩れたガレキがまだ残っていて
 どこからか水の流れるなかでの
 出展だった・・・


4年が過ぎて ぼくがはじめて出した第2回
その秋の トアロードアート&クラフトフェスタ
すでにオシャレな神戸の街 
どこにもそんな面影は
なかった

  神戸 よみがえり
  やきもん屋 そこに
  いつものよーな現場売り  
  売:ばい


元町大丸の向かい 
三宮神社の角 復興なった街
そこで この湯のみを並べてた


4677


ジゾウ文湯のみ 

お地蔵さんと仏さんと三重塔の絵付け

震災前からあるお店を通じて大丸にも入っていた湯のみ

23年前からの定番 いままで何千 作ったやろう

いや きっと 万を越えて作った品もん


  ぼくのブースに足を止められた
  中年の女性 
  動かはらへん

  あなたがこれを作られた方なんですね・・・
  震災の前に大丸で買って使ってました・・・

  いまも 使わずに 持ってます・・・

  あの朝 新築した家 全壊
  すこし 落ち着いて
  家族  みんなで
  焼け跡 に行って
  みんな 泣きながら 使えるもの 掘り出した
  これが このお地蔵さんの湯のみが
  無傷で 出てきました・・・

  守られてる・・・・と
  家族みんな・・・・無事 と

  その「思い」で 
  
  あの 寒い冬 を 
  
  なんとか 乗り切りました


4677


・・・・・・ショックでした



自分にとっては 日常の仕事
何千何万とくりかえす あじきなき反復
売って 自分と家族の 口を糊するメシの種

そーやって作った品を 
どこかでだれかが 使こてくれたはる

                毎日使う 暮らしの道具として 
                手に取り 口に当ててはる・・・
                毎日毎日 和んでくれたはる
                     心をゆるめてくれたはる


   やきもん屋
   ありがたい仕事や
   こわい仕事や



ヒトは生きてこの世にいる間 器を使う
器はただの器物 ただの物
なのにヒトは  その器に
いろんな「思い」を仮託する    あだやおろそかに
                 モノをつくってはあかん

                 あだやおろそかに
                 モノ作って値ぇつけて
                 売ってはいかん 


    工芸は 苦しみ多いこの世を 
    ともに 旅する暮らしの仲間
    よく使われてこそ輝き 
    輝やくことで 
    人の暮らしを 
    いろどり 
    はげます


               気づかない 日常のありがたさ
               失われて  はじめて気づく


暮らしの仲間 日常座辺の雑器
だからこそ 愛着できる
いろんな「思い」仮託することができる


   やきもん屋

   ありがたい仕事や

   こわい仕事や



                16年前の その朝 神戸
                たくさんのやきものが割れたんやろ

ぼく作った湯のみもほとんどが割れたんやろ
大丸の前でぼくが聞いた話は まれな例なんやろ
みんなみんな ぐしゃぐしゃに割れてしもたんやろ   


         非常のこと が起ったんやもん
         
         続けて出したトアロード
         神戸三宮大丸ナナメ向かい
         そこがぼくの定位置
         その場所 
         そこで会う人 
         それがぼくに思わせた

         日常ならば ちょっとでも割れへんよーに 丈夫に 
         割れへん形 口作り 土 焼き・・・・
       


093


          家庭の食器 って 
          ささやかな幸せ が
          目に見えて
          手でにぎれる
          形なんや


2607


   やきもん屋

   ありがたい仕事や

   こわい仕事や


            神戸の方々の起された 奇跡
            きっとこれからも 
            ぼくを 
            叩いてくれる    

     ・

ーーーーーーー----------------------------------
なにがしか 
みなさんのお心に 
とどきましたでしょーか? 
もしそー思もてくれはったら 
クリックたのんますー♪        ↓


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最終更新日  2011年01月20日 14時26分12秒
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2010年12月26日
望むと 
望まざるを問わず われわれは

301  

ある 時代の子であり
次の 時代の親である

305

830


1 わたしは かつて 無 だった  
  ひとりの男とひとりの女がまじわり 生まれた

2 女の胎盤と羊水が わたしを 長く長く育んだ

3 女はわたしを 
  この地上の光のなかに 生んだ
  わたしは 産声を上げ さらに泣いた

4 女はわたしを 抱き 
  乳を飲ませ ゲップさせ 
  服を着せ オムツを替え 
  話しかけ 笑いかけ 歌を歌ってくれた

5 男はわたしを 抱き 
  ガーゼのタオル 両耳を押さえ 風呂に入れた
  高くかかげ おかしな声をだして 笑わせた

3328


6 男ははたらき 女とわたしを 養った
  女ははたらき 男とわたしを 養った
  わたしは泣き笑い眠り排泄し 育った

7 男と女の 
  わたしへの 献身の時間
  抱き 食べさせ 話しかけ 笑いかけ
  歌いかけ 着させ 遊び 叱り 怒り 叩き 
  撫ぜ さすり 触れ オンブし ともに歩き 手をつなぎ
  
  男と女の 
  わたしへの 
  働きかけのすべてのオカゲで

  わたしは こころ を獲得し
       コトバ を獲得し
       世界を 獲得した 

111    

    
    親たちが ふりそそいだ 光り 

       父と母のおかげで 
       わたしは人間になった


108


子から見て 親
親から見て 子 
入れ替わり立ち代り 順繰り
その連綿たるつながり 歴史

ヒトのつながり=社会の
もっとも小さい単位が 家族

かつてあった かもしれない 
理想郷としての なつかしい日本 
藤沢 周平 が描くような 家族のことを ときどき 思う

藤沢の故郷 秋田庄内藩をモデルにしたと思われる 
架空の藩 海坂藩:うなさかはん の城下のことを思う 

  ありうべき
  かえるべき なつかしい日本  



東北の小藩 
山に囲まれるが 
一方はひらけ 遠く 海


7a

古くからの藩である
ちいさな城へとのぼる道には
100年をこえる榎の木が影を落としている

まずしい藩である
登城するサムライたちは
質素な木綿の着物を身に着けている 
それらは多く 古びてはいるが 清潔である

480



蝉時雨のなか 
汗をふきふき登城したサムライたちは 精勤する
領民のために 水利・灌漑・用水の土木工事の 計を練り
江戸で高値のつく紅花の施肥について 書籍の紐を解く


621


この地の自然 この地の海運 この地の資源物産を精査して
あたらしい殖産興業のために 知恵を絞るのである
そして一方で 弓と馬と剣の鍛錬にも汗をながす




9104

西の峰峰が 赤くなるころ 城を下りる
城下には清らかな川があり そこに水鳥
木々しげりそこにも鳥 


690

とおく寺の鐘がひびく夕べ
おおきな月が山にかかって 
その光が道を照らす

母と妻と子の待つ家
サムライとはいえ まずしい藩である


390


母は機:はたを織っている 木綿を織り 絹を織る
妻も機を織りつつ 家事に 努めるのである

子らもその仕事を 手伝い はたらくのである


1557


まずしい家の まずしい食事 
だが あたたかい食事である

子らを あたたかく育み 育てる母と父である
子らを きびしく教え みちびく母と父である

 子らの目は澄んでいる

 男の子は育ち 木綿の着物を着て
 いつか登城する 蝉時雨をあびながら
 あの榎の影のなかを 背をのばし汗を流し
 役目に精勤精励して 剣も磨く
 そしていつか この子も父となるのである

312


 自然 それが子らを 育てる
 ヒト それが子らを 育てる

533


 女の子は育ち 母に教わって
 家事全般と機織り 武家の礼式を納めて
 美しい娘となり 他家へ嫁いで この家を出て行く
 そしていつか この子も母となるのである


831


冬はきびしい
雪に閉ざされ 耐える暮らし 
その暮らしを 耐えて迎える 春 である
春を迎える喜びを 深く知る この地の人々である


146850


なんでもないことの なんでもない幸せ
それを父と母と子ら みなで分かち合って ただ 生きる


552


海坂の空に 陽が上り 陽が沈み
人は生まれ 人は育ち 人は老い
人は生きて 来たし  
人は生きて 行くのである


680

2982


 なつかしい日本

 なぜ われわれは
 時代小説のなかにしか
 理想の家族像をえがけないのであろう
 
 望むと 望まざるを問わず われわれは 

 ある 時代の子であり 次の 時代の親である 



おもよどん あんじょうに♪

1164 


 それはそーと 高橋大輔 

 フリー よかったよかった♪


 ブログ 読どらす おまはんらぁの 
 力を たよりにしとるんじゃけぇ 
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最終更新日  2010年12月26日 08時51分33秒
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2010年11月05日
忙しいんで タバコのケムリ6 順延

今日も 過去の文再録修正 ですが ちょい近況

えーと うちのすぐそば 愛郷の森の森の家で


2369

カミさんが 手だけで
糸から作って 草木染して 手織りで織った 
紬:つむぎ=絹のマフラーずらり キレー♪

森のe-クラフト展 ってのををやってます 11回目

11月3日~8日 10じ~5じ 売れ行き好調♪


こっちはカミさんにまかしといて
オレは今日の午後には出発して 前日準備に行く

明日あさって 6・7日 

また 外売り
また 現場売り どこかっちゅーと 
   がまごおり ←り♪

やきもん屋 作り売り
売る者は商人:あきんど
商人は利:り を求める♪

 ラグーナ蒲郡 の西
 海洋多目的広場台 ってゆーとこ 海のすぐそば♪

  近くに ラグーナの湯 ってゆー温泉があって・・・・


6877

 
  最初に出店した年 露天風呂から見る 

  西のマリーナ 三河湾と空 すごい夕陽やった♪

  ことしは4回目の出店ですわ 

  どーやろ? 今日も 染まるかなぁ?



以下再録 ↓

ーーーーーーーーーーー


はいっ!
あたらしくはじまった『おしえてやきものAtoZ』です。
さっそく カズシ君というヒトから こんな質問がきました。

質問1 ねんどをやくと どうしてかたくなるんですか?
    ねんどじゃなくても アルミナの こななんかをやいても
    どうしてかたくなるんですか?

答え1 イイところに気がついたねぇカズシ君・・・
    君は なんねんせいかな?
    どうしてアルミナなんていう
    ムズカシイ言葉をしってるのかなぁ・・・
    まあ いいでしょ・・・

    カズシ君 火でやけどしたことあるでしょー
    火はあついよねぇー 
    ねんどは あつい火をあてられると
    ギュッとかたくなって
    じぶんをまもろうとするんだよ

    やんきーのひとが
    根性焼き するとき歯をくいしばって
    手をギュッとにぎってがまんするのと同じことだよ


ネンドくん根性焼き


質問2 かんそうしたねんどは水にとけるのに
    ねんどをやくと どうして水にとけなくな るんですか?

    がらすができるような たかいおんどでやかなくても
    すやきの ひくいおんどでやいた じょうもんしき土器なんかは
    どうしてなんぜん年も 水にとけないんですか?

答え2 すばらしいね カズシ君
    こどもとはおもえない論理のてんかいだね・・・

    カズシ君 質問1のこたえ を思いだしてごらん
    するとー 質問2のこたえ はかんたんにわかるよー 

    こたえは やいたねんどは根性がある だね♪

    じょうもんしき土器はものすごく根性があるんだねー
    じゅうぶんにヘッドがはれるうつわだね♪


縄文

ハプーおじさんの おしえてやきものAtoZ のこと

ほかのおともだちにも おはなしして

やきもののこと みんなでかんがえよう!


ーーーーーーーーーーーーーー再録 ここまで

えー ネタばらし しますー 上の文にある 
質問をメールしてきたカズシ君 とゆーのは

信楽窯業試験場の技官のKさんですー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ほな 豆奴はん あんじょうに♪

1161


      はははははは オモシロおすなぁ 
        そーゆーわけで 焼くと固となるんどすかぁ
            笑わしてもらいましたわぁ

              そーどすかぁ・・・・
 
  ーーーー
  
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最終更新日  2010年11月05日 10時04分48秒
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2010年11月04日
ちょっと今日 忙しいんで
タバコのケムリ5 は順延します

過去の文の再録修正 定番の一遍ですが
    
   ↓

width="320" height="240" alt="ねんどくん1">
width="320" height="240" alt="ねんどくん2">

マ:はーいっ! マージでぇ~す!
ジ:ジャーガルでぇ~す!

 ふたりあわせてネンド漫才~!

マ:キミ やきもんってどーやって始まったか 知ってるか?

ジ:いや 知らん

マ:ネトネトした土があるやろ いろんなとこに それが粘土や

ジ:うんうん ダンゴとか作ってあそぶわなー

マ:その上を歩いたら足アトがつくやろ、

ジ:つくつく

マ:ほんで乾いたら足アトのついたまんま固まってるやん

ジ:そやねー乾いたらかたまってる

マ:そやけど雨が降ったら溶けてしまうやろ

ジ:そら雨ふったらもとの平らな地面にもどってまうわー

マ:ところが大ムカシの 人間にもまだなっていない猿みたいな人が・・・

ジ;なんやねんそれ! 猿か人間かどっちやねんっ!

マ:ま大ムカシの人間ちゅーことやがな
  その猿みたいなヤツが
  粘土の足アトのついた地面の上で
  焚き火しよったんやぁ

ジ:火は火山から持ってきょったんやな
  ま せいだい焚き火したらええがな 寒かったンやろし

マ:そしたらな 
  次に雨が降っとき
  この焚き火のまわりの足アトだけは溶けんと
  足アトのカタチが残ってて 水がたまってたんやてー

ジ:ほー・・・・♪

マ:ほかのとこは足アトもなくなって
  ネトネトの平らな地面に戻ってんのに 水がたまってる
  これを見た頭のカシコイ猿みたいな人が・・・・

ジ:なんやねんそれっ!

マ:大ムカシの人間 ちゅーことやがな
  そいつが「これはこの土と火が関係ある!」ということで、
  ネトネトの土をお皿とかにして焚き火の火の中に入れよったんや

ジ:それが『やきもん』のはじまりかい?
  ほんまかいな?

マ:ほんまほんま
  ほんでこの時代は刃物とかないから、
  木を削って形を作ることもできへんかったけど、
  粘土はそこらにあってカンタンに形ができるやろ(可塑性が高い)
  焼いた壷とかに食べ物を入れたり(貯蔵可能)
  それを火にかけてやわらかくして食べれるし(調理可能)
  それまで石とか葉っぱの上にのっけてたのに、
  やきもんの器の上にのせれる(美麗)

ジ:けっこうなこっちゃなー やきもんがあると

マ:な トクなことがいろいろあるわけやけど
  これはそれだけにとどまらへんのやなー

ジ:そーかなー たとえばどー?

マ:やきもんを作っている猿みたいな部族の仲間は とても強よなった

ジ:そらまたなんで?

マ:前は生で食べてたから消化も悪いしお腹こわして早よ死んでたのに
  壷のなべで調理したら バイキンも死ぬし 栄養の吸収もええやろ
  とても強くなって 隣りの部族をやっつけにいく体力がついたんやね

ジ:なるほどなるほど となりの部族をやっつける ドレイにする 
  そいつら使役して 富を蓄積する 大国になる 世界制覇!

マ:な やきもん焼く技術の あるなしで そこまで違ごてくる
  勝ち組のアイテム やきもん!
  人類の大発明=やきもん ちゅーわけや
  この やきもん 世界のいたる所で自然発生した
  と されてるんやけど・・・

ジ:それどれくらい昔のこと?

マ:世界でいちばんふるい土器は・・・

ジ:いきなり学術的やな

マ:12000年前のニッポン製!

ジ:え~っ!ほんまかいや~~~~っ!

マ:炭素年代測定でそーゆー結果やからまちがいない

ジ:そしたら中国わい

マ:最近 中国でも 12000年前ころのんが出たんやが
  それまでは アジア最古でも BC4750年 
  西アジアのハッスーナ遺跡出土 日本の縄文はソートー古い
 
ジ:ほんまかいや~ ニッポンの縄文土器が世界でいちばん古いんかぁ

マ:そやからきっと 土器=やきもんを発明したんはニッポン人や 
  学者はそんなこと大胆にきめつけるワケにいかへんけどな

ジ:ほんでやな~ ニッポン人がやきもん好きなんは

マ:そーゆーこと 
  ダイジにせなあかんねー やきもん
  ニッポンのデントー やねんし

ジ:アホなことゆーてんと
  そろそろオレらも火ぃで焼いてもろて
  ヒトのくらしの役にたつ
  やきもんになろや

ジ:そーしよー♪ そーしよー♪

ほな 豆奴はん あんじょうに♪

1161


      はははははは オモシロおすなぁ 
       マージ&じゃーがる の粘土マンザイ
            笑わしてもらいましたわぁ

そーどすかぁ・・・・そーゆーことで 
            やきもんがはじまったんやねぇ
               ベンキョーさしてもらいましたわ 
 
  ーーーー
  
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最終更新日  2010年11月04日 06時57分01秒
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2010年09月12日
はい 瀬戸での最低記録更新しました 2日間で18
02年 → → → → → → → → → → → →  今年
36 35 21 48 28 24 24 24 18

たった8年 さまがわり・・・
はい 07年に 瀬戸を歩き回って書いた文の 再放送です
↓   ↓   ↓

383

瀬戸 前日の街歩きで おもしろかったのが
ノベルティの民家ショップで おじさんから聞き取った話

今 ふつー ノベルティ とゆーと 
企業が配る販売促進グッズ の意味ですけども・・・

ノベルティ novelty もともとは 
目新しいもの 新奇なこと(もの)の意味の英語です
しかし瀬戸では 陶磁器製の置物や装飾品の総称 を 
ノベルティ とゆーんですねー

ノベルティ 陶磁器でできたとはゆーけど 磁器ですね
ヨーロッパの磁器を作り出した王立の窯 マイセン デルフト・・・
そのはじめのころから 磁器の人形は さかんに作られてる

きっと 大理石の彫像のミニチュア として愛でられたんやろう
特権階級や裕福な層はそれを飾る伝統が厚くある みたいで
下ってアメリカの中産階級のインテリアとして 瀬戸が作って輸出した
それで まずしかった戦後ニッポンは外貨を稼いだ 高度成長期の花やった

ーーーーーーーーーーーーーー

はい 前日の街歩き まずは 瀬戸蔵ミュージアムからです
  
371

黒い煙と白い川 それが陶都繁栄の証

369

イヌが引っ張ってる!
パトラッシュや! イヌも働いてたんやー!
そらこのオッサンひとりでは引くけへんわ 重いでこれわー

373

これが瀬戸の石炭窯 共同の薪窯から石炭窯へ
この方がパーソナルに焼ける 
大正時代から切り替わり始めたそーです
もちろん薪の窯も共存してる

378

 で おおきいモニターがCGで かつての瀬戸 その仕事を映し出す
 ほんとによーわかる展示ですわー 金かかってるー

仕事してるオジンの顔とか 絵付けのオバサンの顔とか
カメラ移動に妙味があって よーできてるわー
部屋の隅に一台だけあるモーターで全部駆動
ボールミルも 釉薬のポットミルも 動力ロクロも
手引きロクロも ベルトとプーリーを使こて回転数変えて
たった一台のモーターで回わしてた よーできてるなぁ・・・

377

瀬戸蔵ミュージアムを出て 夏がもどった 陽射しのなかを 歩く 
駅から離れれば離れるほど 古い民家がふえる 陶都の民家である

383


ありゃ ここ ノベルティがいっぱい・・・

       ノベルティ 新規な物 とゆー意味やけど
             西洋趣味の陶磁器の飾り人形を指す
             輸出の要やった 瀬戸のノベルティ



 これは戦後すぐのころの白生地 これマイセンのコピー
 無断コピーした商品の デッドストック 
 業者がマイセンの品をもって来て これやって とゆーとコピーしてたそー

 で昭和30年代に国会で議決が出て 知的所有権とか著作権やかましくなった
 この白生地に上絵していくんやけど 今 チャイナペインティングの先生とか
 これを買って絵付けして 0を一桁増やして売ったりするらしー です・・・

100年前の民家を いまはもう 作られてないノベルティが埋め尽くしてる
品もん整理してたオヤジさん ぼくより10歳くらい年長 60さいくらいか 
オヤジさんが 話しかけてきて・・・・


 いや ぼくは観光客やなくて 明日から せともの祭で自作 売るんです 
 これで7回目 滋賀県でやってます 京都で6年そのあと2年で 
 越前・美濃・益子 20年ほど前独立 穴窯に凝ったりもしたけど 
 それは道楽 手づくり手描きで いまは 家庭食器に特化してやってます・・・

 あんねー 30年前の秋 美濃・瀬戸に来ました 
 京都の清水のロクロの訓練校の研修旅行 他産地の見学研修ってことで

 美濃では 水月窯とか 多治見資料館とか 幸兵衛窯とか 元屋敷の窯跡とか
 瀬戸では 量産の現場ってことで赤津製陶とか見ましたわ

 オバチャンがラインについて転写シール張ってたり
 ラインの品に自動で噴水みたいに釉薬が吹き上がって掛かったり 
 ヤンキーのねーちゃんがラメのサンダル履きで立ったままバリ削りしてたり・・・・ 
 なんかビックリしましたねー

 ほんでそん時に ノベルティの工場も見学しました
 木造の工場 ずらーっと並んだ机 その両脇で たくさんのオバサンたちが 
 置物の人形に絵付けしたはった 金液のツーンとする揮発性の臭いが籠もってて 
 アタマいたくなりそーな工場でしたねー 慣れるてゆーたはりましたけど
 ノベルティ いまでも瀬戸で作ってるんですか?

   いや もうない みんな止めた
   うちもやってたけど2003年に畳んだ ぼくで3代目
   戦後の瀬戸 ノベルティの 輸出量すごかった どんどん伸びた
   
 さっき瀬戸蔵ミュージアムで ノベルティの特別展示 も見ました
 総レースのノベルティってはじめて見ました もんのすごい超絶技工ですねー

 やきものの輸出の統計グラフも見て来ました 日本やきもん全体で
 戦後どんどん伸びて365億まで輸出してた ニッポンのやきもん
 これを担ったんは 有田と美濃と瀬戸 この3産地でしょーねー
 いまは年間たったの1億ですね 365→1 無いにひとしいですねー
 これはやっぱり・・・・変動相場制への移行 円高のせいですよね

   そのとうり!
 
 ぼく昭和32年生まれ 小学校のときはまだ 固定相場制 1ドルが360円 
 そやさかいナゾナゾがありましたわねー 

       問題 クルマの部品で¥180の物はなんでしょう?
               
       答えは ハンドル=半ドル=360÷2=180

 ほんで 変動相場制になって ニクソンショック ですか?
 ほんで ぼく21の時78年かな アメリカに1月行ったけど 
 その時 250円 そのよくよく年が訓練校の研修旅行の年
 そのあとどんどん 円が急激に上がりましたよね 
 27のころやし6年後か 140円になってた 
 またそのあと一時 80円台にもなったしねぇ

   250円のころ 家族3人でアメリカにいたよ
   ああバイヤーとのやりとりがあるから
   ものすごい変化

   200人くらい雇ってた
   ノベルティは機械化できないからねー

   鋳込んだ磁器のパーツを手で張り合わせて焼き
   手で彩色していく みんな女のヒトのチカラ
 
   伸びてたころは 集団就職で九州から どんどんどんどん来た 
   中卒でみんな寮にはいってね 寮の食事に 白いごはん でるでしょ
   泣いて食べられない娘たちがいたよ 故郷:くにの父母は 
   いまでも麦を食べてるからとゆーてね 最初 泣いてた
   寮は白米やけど ぼくらもまだ麦の入ったメシやったからねー

   小学生のころ 街が鳴るのを聞いた
   なんか音がする まだクルマもそんなに走ってない時代
   裏山に登って街を見た 瀬戸の街全体が 低くゴーッって・・
   窯の音なのか モーターの音なのか 働くヒトのイキオイなのか
   生産の熱気とでもゆーしかない 街が鳴る音を たしかに聞いた・・・


産業としてのやきもん 工場へりましたよねー   
6年前はじめての出店のとき 瀬戸でやってる友人の家 職工住宅に停めてもらいました
そこに瀬戸市の広報があって 瀬戸のやきもの屋 800から400に減った と
その閉めた工場=空き工場を 個人手づくりの個人作家向け 若手作家の独立用に
貸し出したい と その貸し工房バンクに ぜひ登録してほしい 
と呼びかけてましたわ・・・

で 個人の作り手が 電気窯やガスや灯油で
  美術のよーな 工芸のよーな 道具のよーな
  制作のよーな 生産のよーな 手づくりの品を 作り売る と・・・

でもねー ぼくも20年で時代がひとめぐりしたと思う 
自分の20年 手づくりのやきもんの世界見てきて 思います
手づくりの分野 飽和しつつある 

ノベルティ屋を辞しさらに窯垣の小道へ 駐車場から丘に
その坂 そのノリ面 その家々の垣根 窯道具で出来てる

398

サヤ サヤブタ エンゴロ ツク 切り糸のあと糸目くっきり
ヒトの手の仕事の痕跡 廃物利用されて 細い踏み分け道 ウネウネ

399

丘の上のほう 廃屋に近いやきもん屋の仕事場いくつも
蔦が這い ミドリに呑みこまれつつある職工住宅いくつも

ガス窯のボンベが取り外されて ダラリとたれたゴム管
あんまり焚いてないかんじの 穴窯 割れた壷や鉢そこここに
明日から売る品を用意するらしき工房に 一人だけヒト
人気:ひとけなくしずかな窯垣の小径:こみち
藪 地道 物原 カケラ 陶片
下の道を隔てて 向かいの丘にもスレートの工場

細くくねる 迷路のような道 
道沿いに窓 その窓の目隠し板のスキマから
蛍光灯のついた工房で 絵付けするオバサン2人の
静かに たしかに動く 手と筆の動きだけが見える

377

街が鳴る音 はもう聞こえないが・・・
たしかに生産の街 やった瀬戸
いまもこれからも 手をうごかして働いていくヒト


371

人の暮らしは 衣食住 そして 娯と性
人の暮らしの もうひとつの根幹 労働

衣 食 住 娯 性 労 ・・・時うつり
               すこしづつ 変わり
        
望むと望まざるを問わず 
ヒトはみんな 時代の子 であり 
     次の時代の親 である
                 
 


ほな 豆奴はん あんじょうに♪

1161


 へぇ おーきにぃ

 ブログ読者のみなさまの お力添えを頼りに 
 書きついでまいりますよって
 どーぞ今日も1クリック おたのもうしますー♪ 
 
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最終更新日  2010年09月13日 06時46分03秒
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2010年08月06日
1987年から23年 24回目の出展
30歳から 53歳に 歳月は飛び去った・・・・・

若かったあのころ・・・・・

    ↓

1086

2年目の出展ですわ・・・・

毎年8/7・8・9.10の4日間 京都の五条坂は陶器まつりでにぎわいます。
東大路から鴨川までの国道1号線ぞい、北の歩道も南の歩道も両側にやきものを
売る店、包丁を売る店、たこたき、ラムネの夜店が立ちならんで・・・
1年でこの日だけ国道で分断された五条坂の北と南をひとびとが行き交います。

もともとは六波羅密寺(珍皇寺)さんの御盆行事『お迎え鐘』を突きに来やはる
参拝客をあてこんで、どこぞの窯元がみかん箱に傷モン並べて売り出したら
エライ当ったそうで今や90年ぐらいつづく京の夏の風物詩に。
400ぐらいの出店とか。


453

独立当初 踏み迷った時期もあったんですわ、けど思いは定まった

   日常の用に供する器をつくる工芸の芸人
   ぼくなりの『芸』がもりこまれた器を・・

元気になって日常食器を作り、京都のお店に持ち込んでかぼそいながらも
作っては見てもらい、少しずつお納めできるようになりました。

87年の6月にカミさん里美の年季が明けていっしょに暮らすようになりました。
そしてたまりにたまった二番手の品を持って清水焼団地と五条坂の陶器祭にふたりで
店出ししました。

清水焼団地は梅雨まだ明けやらず、五条坂は暑い夏。
はじめての出店でいろんなことを学ばせてもらいました。


461

  五条坂で学んだことのいくつか

◇こんなにやきものを愛してる人がいてくれる!
 暑い中すごいエネルギーを使って「良くて安いやきもの」を探そうと
 何万人も五条坂に集まってくる!そしてぼくの作った物を好んでくださる!

  ほんとうに勇気づけられました。
 「道ばたで物を売る」というはじめての経験もぼくには合ってました。
  2つの出来事がすごく心にのこっています・・・

◎ぼくらのような個人作家は焼物屋仲間のつてを頼って五条陶栄会(陶器まつり運営
 母体)に出店申し込みのはがきを出してOKをもらい、出店料(3万円ほど)を振り
 込み、前日の6日にテントを張りに五条坂に行きます。
 場所は記号がふってあって各出店者の名前がチョークで歩道に書いてあります。
 その年、ぼくのまわりはみんな初出店の人ばかり、白ペンキで表示のあるそれぞれ
 の持ち分はけっこう狭い。横にひろがると隣に悪いんで、ついつい前へひろげてし
 まうんです。すると歩道の両側に店あるんやから通れるトコが狭くなる。
 でもまあ通れるしその場のみんなでこんなもんでショーとか言って帰りました。
 つぎの日の初日7日の朝8時に来てみると・・・

 南側歩道まん中へん五条郵便局のあたりは有田・瀬戸・美濃の機械もんを売ったは
 る業者さん、テキヤさんです。うどんの鉢1ダース積み上げて「千円っ!」とかの
 啖呵バイもあります。
 南側歩道は陶栄会ではなくテキヤさんが仕切ったはるんやけど、
 その中の世話人さん(五十がらみの日に焼けたオッチャン)が

「たったいますぐ、この辺りの全員、道路の表示まで店を縮小せよ」と

 静かに、だけど重みのある申し渡しをしゃはりました。でもテント自体大きいのを
 張ってる人もいるし、昨日半日かけて焼物きれいに並べ終わってるし、みんな相当
 の量を展示してて、お客さんもそろそろ来はじめてるし、これいまからやり直すと
 なるとまた半日仕事・・・出してる人間の一人がちょっと気色ばんで抗議しました、

「はじめてで分からなかったけど、通行に支障はないし、今回はこのまま出さしてほ
 しい。事前の十分な説明がなかったンやから・・・」

 テキヤさんは東濃弁でこう言わはりました。

「あんたたち作家さんは葉書1枚を出すだけやが、ワシらテキヤはどこの祭に出すに
 してもかならず寄りをして『地割り』というコトをする」
「テキヤどうしの店店がちゃんとどことも商売がなりたつように、休むモンがいると
 きは人の流れを考えて配置を変えたり・・・」
「かならず集まって時間を使こーて地面を割る。そーやって『地べた』をもらう」

「あんたたちは芸術家かシランが葉書1枚で前の日ここへ来てにテント張って、
 三人が楽にすれ違えると言われるが、夕立ちが来て何十人もが京阪にむこうて一斉
 に駆け出しても通られようか。車椅子の人も通られようが、足の弱いモンも。」
「事故が起こったらあんたたちが困るンやのーて、この陶器祭に店出ししてるモン
 みなが困られる、ケーサツの許可が取り消されたら来年の陶器祭はのうなる」

 ぼくら全員3時間かけてやりなおしました。
 『地べたもらう』・・・しびれましたね。
 あのおやっさんのサカヅキ貰おーかと思いましたね。

◎もうひとつ。
 カミさんに店番まかして、ほかの人のもん見てまわるのンも楽しい勉強。
 郵便局前であのおやッさんにあいさつして東大路のほうへあがって行くと
 いちばん東よりの歩道橋の下にオジイが小体な店出しの準備中。
 50cm四方の机と椅子、テントなし、これがこのオジイの出店のすべて。
 そしてオジイは今しも販売する商品をならべるために自分の店の前に
 かがみこんでて何を売ろーとしてるのかワカラン。
 近づいてのぞきこんで見ると・・・

 カエル。 1cmにも満たないカエルのやきもの。
 財布に入れとくとお金がカエルというまじないのカエル。
 これも陶器まつりで売り買いされるやきもの。
 
 そのオジイは2~300はあるちっちゃい、ちっちゃいカエルを一生懸命に
 お客さんの目線にあわせて正面にむけて1個づつ、1個づつ並べてました。
 几帳面に少しカーブをつけて。後ろに立ってるぼくにも気づかんと一心不乱に。
 地面にはオジイとぼくの影がすごく濃くあって、ときおりオジイは汗をぬぐいます。
 品もンを汚さぬように・・・胸を突かれました。

 ほんとにいろんなベンキョウをさせてもらい、商売をさせてもらい、
 取り引きを申し出てくださるいくつものお店の方と出会わせてもらいました。
 独立して2年。地道に焼物をつくって頑張っていけばやっていけると
 初めて思ったのがこの時の五条坂です。87年夏。


104

 4ケ月後の12月9日に左目の視力を失いました。交通事故。
 カミさんに運転をかわってもらってシートベルトをするのん忘れました。
 してたカミさんは無傷。道路左端に駐車中の乗用車にノーブレーキで激突。
 事故直後いちばん最初に思ったこと。
「あーこれで当分寝てられるぅ」(書いててナサケナイ)
 左眼裂傷。すぐ分かりました。左はダメだと。
 右はセーフ。「きっとダイジョーブ」そうも思いましたが・・・

 29日間で退院、正月明けから仕事再開。でも・・・
 カミさんには仕事するフリして仕事場で文庫本読んでました。

 使いもンにならない大きさの湯のみをまる1日挽いてて気づいた時の気持ち・・・
 見ようとして見えへんねんけど前とおんなしに仕事しようとして
 できひん時の気持ち・・・
 スグには出来んでもやってるうちにかならず出来るようになるはず、
 という強がり・・・
 その訓練をやった先で出来ないということを確認せんなんかもという恐れ・・・
 そして生まれついての怠惰な性格、
「こんだけの目にあったんやからもうちょっと遊んでてもエエやろ」・・・
 その全部がないまぜになって仕事してるフリしてました。

 でもカミさんは2階で機を織りながら見えてたんですね、ぼくが仕事してないの。
 それである日ぼくにむかって涙ながらに感情をぶつけました。

「いろんなことの不安や怒り、あんたの気持ちを私にぶつけてくれないことが
 なによりツライ!」

 これでふっきれました、うちのカミさんはすごい人です。
 その日から顔の左を覆ってるガーゼをはずしました。
 もう必要はなくなってたけど外せなかったンで・・・
 なんていうかそん時の顔はいっしょに食事する人のごはんがマズくなる顔で・・・
 自分でも見とーなかったしカミさんにも見られたなかったし・・・

 そうしてる頃に仕事の電話がいくつかはいりました。
 前年の夏、五条坂でぼくの物を買ってくださった人たちから。
 むこうも事故のことは知らはりません、こっちも話しません。

「もうじき永年つとめた保母をやめる、ついては世話になった同僚にその人の
 誕生月にあわせた花の図柄と名前を入れて贈りたいけど・・ひとつ600円で
 20個ほどやってもらえんやろか」
 
 日を限られた仕事。こんな注文がその時期に4件ほども・・・
 五条坂で知り合った方たちがぼくに仕事をさせてくれはりました。
 それが訓練になり、訓練すればなんとかなり・・・
 そのときの花の図案のいくつかは、お店の方でもやってもらおうということに
 なり、定番に育ち・・・

321

 こんなふうに五条坂の陶器祭で出会った人たちに助けられて
 ぼくは仕事をつづけてこられたんです。
 だから命のあるかぎり五条坂陶器まつりには出します。
 人間国宝になっても(笑:それはない)、五条坂の道ばたで
 自分の良いと思う焼きもんならべて買おていただきます。
 
 あれから出し続けて今年で24回目。
 毎年、毎年うれしい出合いがあります。
 30才の夏から比べるとさすがに最近はえろうなってきました。
 でも今年も、京都のあついあつい陽に焼かれに行きます。
 そして天の底のぬけたみたいな夕立ちを浴び、
 そのあとの夕焼け空を愉しみに行きます。

                      2010年 8月6日   中根 啓
 


   人気沸騰♪  豆奴はん よろしゅーに♪
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へー おーきにぃ 

  まことに・・・ 
  つたないブログではございますけども
  もうじき8年 読み手のみなさまの 
  ご反応を頼りに この先もと・・・
 
 なにとぞ クリックでのお力添え
 よろしゅーおたのもうしますー♪ 

           どーぞまた ごひいきにぃ・・・・ 
       
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最終更新日  2010年08月06日 05時36分16秒
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2010年07月24日
きのうは 4じはん出発 
5じはん到着 荷下ろし完了6じ
10時すぎには あらかた展示完了
10じ~21じが ここの開催時間です


   いやもう ともかくも
   もんのすごい 陽射しの強さ

   その陽盛りの中 来てくださるお客さま・・・
   おりがたいことです アタマが下がります

   ときに 陽が影って ホッとする
   ときに 風が立って 一息つく
   やはり 夜に来て サッと買うのが ラクかも♪

以下 再録・・・・数字など今年にあわせて修正


487

去年の画像↑


清水焼団地の陶器祭 おととしから 日取りが変わった

ここの陶器祭はことしで36回目 ぼくは13回目の出店
祇園祭の山鉾巡行の明けの日=18日から3日間が日取り
曜日はカンケーなしでずーっとこの7/18,19,20に固定してた

ここ9年ほど前に集客数/売上が落ち込んだカンジ
出展者からは売上の落ち込み挽回策として
だいたいこの辺りの金/土/日曜 変動制にしてはどーか
とゆー意見が出て

 おととしから 7月第4週の 金土日 となり
 ことしは  23・24・25・での開催

いずれにせよ・・・

出会ったヒトとのつながりを
今は細くとも 繋ぎつつ
そのつながりを少しづつ太くする努力がヒツヨー

どーやって繋がりあっていくかとゆーと
まずは イイ品をお渡しする ってこと 

ぼくらのやきもん買おてくれはった方々は
一年間 ぼくらのつくったやきもん使こて
お茶飲んだりご飯食べたりして
毎日 見て/触れて/感じて くれはるんですよー♪

ここがしっかりしてたら ダイジョーブかってゆーと
さらなる プラスあるふぁー もダイジ

ぼくの場合のプラスあるふぁー の努力のひとつが
サイトやブログやメルマガで やきものについて書くこと
でも もーっといっぱいあるはず

このプラスあるふぁーのいーっぱいの努力の
あらゆるホーサクを考えだし 多面的に実行することがキューム

それは 個々の作り手=やきもん屋もやらなあかんし
作り手とエンドユーザーを結ぶ お店もやってもらわなあかんし 
主催者=団地協同組合=陶器まつりの実行委員会 もせなあかんし
おおきく云えば 京都の陶磁器業界全体も 
ひいてはニッポンの 陶磁器業界全体が 今やらなあかんこと

手づくりの陶器と磁器=やきもんは
ニッポンの文化の花=器と目で食べる食文化

それを支える家庭の食器に 今とこれから を注ぎこみ

手作りのやきものを愛し使う文化の 次の世代 を育てる


114

おととしの画像 ↑


478

去年の画像 ↑ 



陶器祭り や 
クラフトフェア=手づくり工芸品などの縁日 こーいった場で 
自分で作った品を道端で売る 若手 多いです

作り手が多すぎて ショップも売る力を無くし
作り手みずからが 市場をもとめてこーゆー場で 自作を売る
やきもの好きのお客さまと直接ふれあい つながる

道端で売るんですから 美術サロン/ギャラリーで売って行く
いわゆる絵に書いたような 陶芸家イメージ ではないですね
     
ま 

ストリート系 インディーズ系 野良犬系の『陶芸家』が

『やきもん屋』とゆーことかなー♪

219

おととしの画像 ↑



団地の陶器祭り ぼくトコの向かいにだしてる
若いやきもん屋のグループは6家族ほど

もう7年も見てるけど
家族の肖像が手にとるよーにわかる

グループのだれかが結婚しはじめたと思うたら
みんな結婚したみたいやなぁ と次の年には分り
あーヨメはん来てないなーが 赤ん坊を連れての出店になって
去年は1~3才児がスズナリ ニギヤカでしたぁ~♪
ことしは それが さらに加速する やろねー♪


うちもダンボール地面に敷いて
ちっちゃかったレンを寝かせながら
カミさんと2人で売ってた時 あったなぁ・・・・

 若か~った あのころ
 ただ 月々の支払いが コワかーった~♪


498

去年の画像 ↑

   


syou



つたないブログではございますが もうじき8年
読み手のみなさまのご反応を頼りに この先も
 
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最終更新日  2010年07月24日 06時07分56秒
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2010年06月23日
毎年めぐってくる 6月23日・・・・



年間20箇所ほども いろんなトコで売る
そのときいつも カンカラ三線を弾いてる

オキナワ風の音を出しておいて
オキナワとはいっさいカンケーなく 
シガケンから来ましたー と落とす 
しょっぱなの笑いを取る ツカミです

お客さんはみんな カンカラ三線を見て
自分で作ったの? と聞く なので・・・

 いえこれは 組み立てキットも売ってますし
 組みあがったもの も売ってます
 カンカラ三線 とゆー オキナワの楽器です
 ちょっと見 オモチャっぽいですけど
 オキナワの方にとっては 歴史性のある
 ちゃんとした 楽器なんです


817


 沖縄戦で 
 本皮張りの三線=蛇皮線はみんな 燃えてしもた
 そのあとみんな 米軍のキャンプに 収容されて
 米軍の配給してくれる ビスケットの缶 ミルクの缶 
 それに簡易ベットの足をサオにしてね・・・
 この弦も 最初はパラシュートの紐を ほどいて撚って 
 弦にしゃはったそーです・・・・

 そーやってできた この楽器で
 生き残った祝い=命の祝い=ぬちどぅいわい を
 このカンカラでしゃはったそーなんです

 そやからオキナワの方々にとっては
 オモチャではなく 思い入れのある
 特別な楽器として 今も作られてる・・・

 屋嘉:やか ってところがあって
 米軍の収容キャンプもあった そこで出来た唄
 カンカラ三線で 作曲された 哀切なメロディ
 =『屋嘉節』 ってゆー曲は こんなイントロ こんな歌詞です・・・

  なちかしーやー ウチナー(沖縄)
  戦場:いくさばになやいー
  戦場:いくさばになやいー 
  世間御万人;セケンオマンチュぬー
  流すナーミーダー 流すナァミィダー 

この『屋嘉節』はいまでも 本皮張りではなく
 カンカラ三線で演奏される ことに決まってます

 こんな粗末な オモチャみたいな 楽器
 カンカラ三線 沖縄の歴史が 生み出した楽器


まったく粗末な 
かっこつけたりしない
おもちゃみたいなモンに 詰まってる 歴史と真実・・・
   


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 2000年3月 
那覇 壺屋焼 新垣製陶所にて
絵つけ・裏場工 新垣紀美子(当時75歳)より聞き取り



もう・・・65年もやちむんの仕事・・・

おとーさんが 
キミ子 この仕事やってみなさい とゆーたのが10才の時

できないってゆーたけど 
キミ子ならだいじょーぶだから やってみなさい って

じぇんじぇん 怒られなかった ほめてほめて おしえてくれた

キミ子 
いい仕事しよーと思たら 
目と手と心:くくるがデージ(大事)だよ ってゆーたさぁ


3117


 那覇 壺屋焼 
 キミ子おばぁの絵つけした抱瓶(だちびん)

 腰にフィットする水筒状の注器  
 畑に行く時 泡盛を入れてったそー
 ヒモのつけ根はシーサー(獅子)になってる

210

 
  ソマツな 仕事場である

  あたりまえの やきもんの現場

  ぼくはこーゆーのに グッとくる性質:たち

 キミ子おばぁの作業台は 積み上げた漫画雑誌
 しなもんは 新聞紙を引いて 床に直置きである
 乾燥防止に使う 発布スチロールのトロ箱 多数

 まったく粗末な 乱雑にも見える工房
 それが合理的で 生産性のある現場の リアルな見かけ
 
 そこで くりかえされる 味気なき反復 
 数を作らなければならない カセギ手間
 そんな手の仕事が生み出す 美しいやちむん

 キミ子おばぁから さまざまに 聞かせてもろた


ーーーーーーーーーー

 
やちむんの仕事は 
ずーっといそがしかったさ
ヒマだったことはじぇんじぇんなかったさー


日本軍の仕事で
軍用の飯碗をたーくさん焼いたさー
つや消しで黒い色の飯碗や什器
白くて光ると敵に見つかるでしょー

わたしら仕事しよるでしょー
兵隊さんが見にくるわけさ

そーゆー時でも
士官のえらいヒトが前で
下っ端のヒトは後でいーっぱいで見てるさー
兵隊さんはかわいそーと思もーたさ
きびしぃーさー上と下の区別が



収容生活が終わって琉球政府になって
戦後復興てゆーたら
島中から壺屋にやちむん買いに来たんさぁ

水ガメや油壺やみんな いっさいがっさい戦争で
生活の道具がなんも無くなったとこからでしょー
島中のヒトがやちむん買いに来たさ
沖縄の復興は壷屋からはじまったんさー

どんどんどんどん作ってから焼いてから
それはそれはいそがしかったさー


そのあとは内地に輸出もするし
アメリカーにも輸出するし
ベース=基地のオミヤゲも作るし
その頃もいそがしかったさー


本土復帰して海洋博があって
たくさんの内地のヒト 沖縄に来るよーなって
壺屋のやちむん買って帰られるよーなったでしょー


だからさ 
ずっといそがしかったさ
ヒマだったこと無かったさー

65年もやちむんの仕事して来てからさー
この仕事やってきて ほんと良かったさー
こーやって観光の内地のヒトと話しできて おばぁは 楽しいさぁ



 ある時代を生きて
 生活のために 生活のための やきものを
 作りつづけて来たヒトの言葉 記録しておきます

                    2010/6/23
                    沖縄戦終結から65年 慰霊の日

1978年 はじめて行ったオキナワ
       そのときに買おた 新垣製陶所の湯のみ
       化粧掻き落としに 赤絵の仕事がしてあって ¥600

 2000年 2回目に行って ふたたび出合った
       新垣製陶所の湯のみ 化粧掻き落としに赤絵 ¥1200

  
   素焼しない 生で仕事して 釉薬も 生がけ 

   電気窯で 本焼きしてから 上絵=赤絵して 上絵の窯


===========================

なにがしか みなさんのお心に 
とどきましたでしょーか? もしそー思もてくれはったら 
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        ↓
bana-








最終更新日  2010年06月23日 10時52分54秒
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2010年04月30日
はい 今日は チョー多忙
連日 本焼きの窯を焚いてまして 
出しては詰め 出しては詰め やってます
 
さっき4月の6窯目の窯 その窯の口を切ってきた 735度で口切りした
きのう5じ点火で 終わったんは12じ40ぷん 4時はんには 735度
これでダイジョブ 冷め切れしない うちの使こてる土は ユーシュー♪

もうちょっとしたら 仕上げ仕事と仕切り
きのうとおとといに 出した品の底すりやりながら 
どんどん口を開けて 冷まして窯出しし 底すりせんなん

カミさん 今日 信楽に前日搬入 笠間きらら館へも大量発送
ぼくの方は 明日 土岐に前日搬入 京都に納品してから

   とゆーことで・・・・
   今日は過去の文で つなぎます♪

      ↓

ーーーーーーーーーーー

  人を恋う て 思い込み やと思う
  恋をする て 狂うこと やと思う

  レンアイ は 非日常 日常に屹立する 詩歌
  そやのに 結婚は日常 だらだらつづく 散文 

  結婚する て イキオイがいる 
  結婚する て はずみ やと思う
  結婚する と 落胆 忍耐 妥協
         役割 責任 折り合い 
         日常 が待ってるけども
   
  いずれ その日常のなかに得もいわれん 味が出てくる
  甘い 塩からい 辛い すっぱい 苦い 5つの味
  なんとも 味わい深い 奥行きのある 醍醐味・・・


ぼくもカミさんも 共有してる 理想の晩年は
小津安二郎の映画 東京物語 の老夫婦である

 1953年の映画 モノクロ映画

 尾道から 老齢の夫婦が 上京する
 笠智衆と 東山千栄子が 演じている

 尾道で 小役人で退職したヒト 72歳 
 息子も娘ももう中年 東京で一家を構えている

 老齢の夫婦2人 汽車で上京する 十数時間か 
 最晩年にいる2人 きっと死期を 想っての上京

 東京の息子も娘も 老父と老母に 冷たい
 長男は内科医 医院を経営
 長女は美容師 美容院を経営

 それぞれの生活に 追われている 羽振りはいい
 だからこそ生き生きしたリアルに いそがしい

 老父と老母の 今とちょっと先に 気がまわらない
 気が回らないフリで なんとなく 逃げを打ってる
 なんとなく 冷たい なんとなく 邪険 

 あたたかいのは 次男の嫁 紀子さんだけである ←原節子
 次男は戦死してる 若い嫁は寡婦 独身を通し 働いている
 せまいアパートに一人暮らし ちいさな仏壇に位牌と写真

 この嫁 が老父と老母を あたたかくもてなし 立てる
 有名な 食事のシーン アパートの部屋に 届く食事

  お口に合うかどうか・・・ 
  店屋物をとりましたの・・・
  こんなもので申しわけないんですけど・・・
  お父様 お母様 どうぞ めしあがってください・・・

 ふたつきの丼モノが 玉子丼か カツ丼かについて 論争がある・・・
 この嫁は 仕事を休み 2人を東京観光に案内するのである

 東京で数日を過ごし すこしく 落胆と悲哀を感じる
 東京の どこかの寺の草の生えた空き地 2人で黙々と 
 弁当を食べるシーン そのあと高台に上り 街を眺める
 1953年 戦後8年 活気ある巨大な東京 そして つぶやく

   
    まあ ええほうじゃよ・・・
    幸一も 志げも・・・
    なんとか 元気にやっとる・・・
    紀子さんのことは シンパイじゃが・・・
    まあ ええほうじゃよ・・・
     
     ほんに・・・ 
     ええほうでございますわ・・・


核家族化のなかで 
家族という共同体が 幻想でしかない 
かもしれない それを予見した 映画である

ぼくもカミさんも 
息子たちと その嫁たちに 
冷たく 邪険に されたりして・・・・ 

       まあ ええほーじゃよ 

         ほろ苦い味をかみしめたい と願ってる♪
         紀子さん みたいな嫁がいたら 泣く♪


  人を恋う て 思い込み やと思う
  恋をする て 狂うこと やと思う
  レンアイ は 非日常 日常に屹立する 詩歌


以下再録↓ 
 

   チャンイーモウ監督の映画

   初恋の来た道 は 初恋の様相を 
            あざやかに描いた叙情映画

   そしてそれは   おりもの映画 であり 
            やきもん映画 であり
            道具を描く映画 でもある
            ぼくにはそのように見える

   道具 とは 人が何かすることを助ける 器物
   工芸 くるしみ多い この世を
      ともに旅する 暮らしの仲間
      使われてこそかがやく 暮らしの道具

  

 
 映画冒頭 現在のシーン 
 モノクロからはじまる

 都会から村に 帰ってきた青年
 青年の父が死んだ 寒村の教師だった人 
 その弔いのために もどってきた青年

 老いた母 
 長らく使っていなかった 
 機:はた を手入れし 糸整え
 亡夫の棺に架ける布を 織りはじめている


10192


   ああ こんな風にして 逝った人を 送るんやぁ・・・
  
  母の思い出 回想シーン カラーになる

少女だった 青年の 母


4


花のようである

少女のまずしい家 少女の母親は盲目らしい

その母親が 糸を取り 機:はたを織ってる

長い手仕事の時間 労働と修練 盲目でも布を織る老母  

      使われてる道具 
      カミさんの使ってるのとおんなし 
      手でつむぐ糸車 腰で張る地機:じばた


waitoguruma


村の小学校 教師のいなかった小学校に

若い先生が やってくる


2


恋をする少女 

もどかしい ひたむきな 思い

ひどく傷んでいた小学校の建物 オトコたちみんなで修理する

その昼ごはん 各戸からの持ち寄り 鉢に入れ茶碗でフタをして届ける

慣わししきたり 建築の仕事場にオンナは近付けない 離れた卓に並ぶ鉢


 腕によりをかけて おいしい料理を 届ける少女
 その入れ物 少女の届ける昼ごはん 大ぶりの染付けの鉢
 
   若いその先生が
   自分の鉢 えらんでくれることを 
   ひたすらに祈る 隠れて見つめる

そんな娘の様子 娘の初恋 感じ取る母 
娘の話に 耳傾けながら 糸を紡ぐ老母


kiwaku


       
  人を恋う 一途さ けなげさ まっすぐさ 輝き
  はるかな寒村の まずしい家 小さな家に 輝き
  なんでもない日常の 器物と労働にやどる 輝き
 

    糸 機 布=織物 つむぐ心 

    水を汲む井戸の釣瓶 出会う少女と先生 

    先生の夕食 各戸 持ち回り 少女の家にも

    薪 かまど 鍋 包丁 俎板 煮炊きする 火

    それを盛る 器 それを囲む 夕餉の粗末な 食卓

    ヒト 使う 粗末な道具 に 

    願い 祈り 希望 かがやき シアワセ・・・

    そーいった いいもの そーいった おおきいもの が 宿っていく・・・


intro.jpg


ひとときの別れがおとずれる 後を追い丘を走る少女
キノコ餃子を手渡そうとして その鉢を割ってしまう



   村に せともの修理屋 がやってくる
   天びん棒に荷をかつぎ せともののしゅーりー と呼ばわる
   少女の母が呼び入れる

 これなら・・・
 修理するより買ったほうが安いよ


   娘のためなのさ・・・
   その鉢を使った人が 娘の心を 持って行ってしまった
   せめてもの思い出に 器だけでも 残してやろうと・・・


 なるほどな・・・ 
 だったらしっかりと修理しておこう
 きれいな思い出になるようにな・・・


3つに割れた鉢を 独楽紐でしばり
ちいさな弓 弦を巻き付けたキリを 膝のうえで使う
ヤットコで鎹(かすがい)を整えて 鉢に打ち込んで行く・・・・


 割れた鉢 
 鎹でつがれて もとの形に
 まずしい家の 食器の棚におかれた 青い絵のある鉢


  日常の 
  ありふれた 道具
  労働のための 道具

  糸取り車 機 包丁 俎板 かまど 鉢・・・


器物はただの道具 なのに 
人はそこに いろんな 思い を 仮託する

ともにその道具を使った人との 思い出と記憶
そんなささいな記憶にこそ 人の生そのものが やどってる

労働 そのための道具 それらとともにある暮らし 
まずしく 自由が乏しいからこそ 一途に思いこめる 恋 


  初恋の来た道 
  おりもの映画 やきもん映画 道具の映画
  そんなふうに ぼくはこの映画を見ました




760


 少女の鉢 は安モンですけども・・・

 これは 東京国立博物館にある 南宋 龍泉窯の青磁
 馬蝗絆:ばこうはん ってゆー銘の付いた 名品 重文

 室町時代 足利義政 この茶碗を所持 ひび割れが生じたため
 代品を中国に求めた 明時代の中国には もはやそのようなものはなく
 鉄の鎹:かすがい でひび割れを止めて送り返してきた らしー
 この鎹を大きな蝗:いなご に見立てて,馬蝗絆:ばこうはん
 と 名づけられたとゆーことでおます  おもろいでしょ?


中島みゆきの「糸」 ・・・


      縦の糸はあなた 横の糸は私
      織りなす布は いつか誰かを
      暖めうるかもしれない

      縦の糸はあなた 横の糸は私
      織りなす布は いつか誰かの
      傷をかばうかもしれない

      縦の糸はあなた 横の糸は私
      逢うべき糸に 出逢えることを
      人は 仕合わせと呼びます


労働 そのための道具 それらとともにある暮らし 
まずしく 自由とぼしいからこそ 一途に思いこめる 恋 

われわれが得た 豊かさと自由 
どのようにも生きて行けそうな 豊かさ 
どのように生きてもいいと思える 自由 
そのゆえに 選び取ること ができなくなる


   縦の糸 
   横の糸
   なかなかに 
   出会うこと 
   むずかしい

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なにがしか 
みなさんのお心に 
とどきましたでしょーか? 
もしそー思もてくれはったら クリックたのんますー♪        
   ↓
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最終更新日  2010年05月01日 05時09分29秒
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2010年01月18日
山登りにおける
フーリッシュムーブ=オロカな動きについて書きます
もうじき来日する ボブディランの曲にこんな歌詞が

  He was never known to make a foolish move.

彼は知られることが無かった オロカな動きをすることで
→訳詞→→彼は決してオロカな動きをすることがなかった

山登り中ってほんと なんでもないことが 
後で オロカな動き になったりする それがコワイ
たいてー結果オーライ けどフツーの動きが 重大な結果に結びつくこと
ないとは言えへんので それが キンチョー しかしビビリすぎもマズイ

 1 正規のルートから ちょいと飛んで 横の岩棚から先を偵察
   もどろうとしてビビッた 軽く上に跳び上がりもどらんなん
   下りるのは容易 逆は危険 足場が傾いてて 塗れてて 狭い
 
    そのときはムスコがいっしょやったんで 
    イキオイつけて 飛ぶからな 
    ヤバかったら 即 腕つかんでくれよ と頼めた・・・

 2 10月半ば その日の行程はチョー長い 
   朝早く 暗いうちから行動 夜は明けはじめてるが暗い山蔭
   3000m 切り立った岩場の尾根道 穂高 涸沢岳→北穂

   ハシゴが連続し霧氷 まっすぐに下降 先 踏み跡は 直進
   自然にそっちへ 5メートルほども進むと 切れ落ちた断崖
   ルート取り違え もどる道 段差おおきく 砂礫 滑りそう

   冷や汗 本ルートはハシゴ下でヘヤピンに 岩を右に巻いて 
   クサリにすがってトラバースしていくのが 正解なんやけど
   わからんは これは・・・・ 

 3 下り 夕方 焦り あるいは 短時間記録を ねらってたりすると
   どーしても 飛ばしてしまう 走ってしまう けつまづく 転倒 
   たいてーたいがい 笑ろて立ち上がればすむ けども ひょっと 
   グネったり=捻挫したら 歩行不能になるかもしれん 可能性大
   自分の体重+ザック重量+運動エネルギー かなりの荷重

    ストックをつかうべき
    ゆっくり行くべき
    下見経験つむべき  
    ルートファインディング=道見つけ
    しょっちゅう逡巡してまわり見回し 
    自分の 自然な判断 をうたがってかかるべき

    くれぐれも慎重に せんと フーリッシュムーブ 


以下は2007年10月の文に加筆修正 ↓ 
山でのケガ その後の流れまとめます  ↓
原題 バカ登山 茸鍋 傷口 でした  ↓  

ーーーーーーーーー

   ざっくり切った 小指がイタイ~♪

昨日 7じ30ぷん 上高地出発
前穂高岳への分岐 紀美子平には2じ15ふん着
で ザック置いて 空身で前穂高岳3090mへ
通常なら往復で40~60ぷん だが枝道が多く
迷いつつ登り 迷いつつ下ってた 焦りがあった

3じすぎに その下りで コケたっ! 手をついたっ!
スルドイ石っ! スパッ! したたる血! ポタポタポタッ!
直前まではめてた岩場用手袋をはずしてた 痛恨のミス!
無人の前穂高にこだまする バカの叫び

        うそやろーーーーっ!

        うそやろーーーーっ!

        うそやろーーーーっ!



        ホンマですわー

右手 手のひら 小指薬指の付け根 かなり深い 鮮血しとど
とっさに登山用手袋を丸め 左手で圧迫止血したけども こまった
さらに下るためには左手を 使わんなんやん どないしょ?

その手袋を右手で強くにぎりこむことで止血を図る 
それができる位置にキズ ザックのある紀美子平まで下りて
ナイキのバンダナで2本の指をしばって止血

6418

あ あんまり血が映らないように 
  配慮してアングルを決めました
  みなさんが気持ちワルくないように と・・・

で まわりにはダレもいない 落ち着かなきゃ 自分に言い聞かる 
穂高岳山荘 2時間40分先 を目指して 3:35
前穂→奥穂の間の 吊り尾根を2時間で越えた
血は 止まったり出たり きつく縛ったりゆるめたり

   黒のバンダナ持ってて よかった 
   視覚的脅迫からのがれられる
   血の赤 のせいでパニックにならんですむ

テント・煮炊き道具・食料は持ってるから ビバーク:緊急露営?
しかし この状態の手で夜を越すのは 精神的苦痛おおきい・・・
やはり 穂高岳山荘までは行かんなん 

で 17じ30ぷん 奥穂高岳山頂に到着 
こんな時間に ここにいるのはイケナイこと
山での行動は 3じすぎに終了が理想 けれど・・・
1日中小雨と ガスやったのに 急速にガスが切れて 360度の雲海


暮れる寸前の 静謐で清澄な 雲と山々すこしく西に残照

6431

西穂岳への稜線 7月にレンと越えた岩峰群

6430

槍ヶ岳への稜線 南岳 北穂高岳 涸沢岳

見渡すかぎり しめやかに広がる雲の海の中に
これらの神の 山々だけが鎮座している光景

しばし見とれて 穂高山荘へは6じ 
消毒してもろた すると切れてるのは小指だけ

なんやー コワくてよーみんかったからー
ちゃんと傷口を見てたら 指4本がつかえたのに 
包帯まいて もう安心♪

ぐっすり眠って あさ6じはんから 上高地へ下山
前日とちがって 睡眠タップリ どんどん飛ばせる 
12じ 上高地 横尾からの11キロ2時間 
睡眠は ダイジ それがくっきり

阿房トンネル抜けて高山 日赤病院の整形で見てもろたら

 あー 深いなぁ 
 けど ぎりぎりで 腱までは行ってない
 もし 行ってたら 小指に運動障害が出ますけど ええ大丈夫です 
 うー 6時間以内に見せてもらうのがいいんですが
 はい 縫いましょねー

  とゆーことで 4針縫ってもらい・・・

 あと 時間たってるんで 化膿がないように
 えっ 旅行中? 明日は 白山に登る?
 うー まあ明日か明後日 開業医さんに 消毒 化膿のチェック
 あー 7日で抜糸したら 仕事していいですよ 手のキズは肉が戻るのが早い
 そのときよく使わないと 硬くなる ロクロ? いいですよ やってください
 風呂? 濡れないように お酒? 適量ならば とゆーことで高山の飲み屋街へ


一番街 ってゆー飲食の裏通り 泊まってるホテルの裏
いかにも高山 ってカンジの外観の かっぱ ってゆー居酒屋
地元の人たちでカウンターが埋まってたが さぁーっと潮が引いて 
ゆったりした空気になった・

6442・・

あん肝 鮎一夜干し 串かつ タン串
わさび葉 里芋 生ビール中1 地酒の癇 オカーサンが・・・
 
 一人で旅行ですか?

  いや きのう山登りしてて ちょっとケガしたんで 
  高山日赤病院で見てもらった 4針ほど縫いました

右手 仰々しいホータイ 男の子はホータイが ウレシかったりする

 どこの山に登っておられたんかな?

  前穂高岳とゆー山 上高地から登る 
  コケて 岩に手をついたら スパッと切れました

 それはえらい目に会いなされたなぁ・・・
 山はお仲間と登んなさったとでしょう? 

  いや 一人で登ってたんです・・・
  単独行は あぶないですね 一人は・・・

 4針も縫われたんかぁ それはえらい目に会いなされたなぁ

  ええ・・・でも・・・
  応急処置してくれた山小屋の人 
  病院を教えてくれたホテルのフロントの人
  日赤病院の受付の人 手術してくれたお医者さんたち
  看護婦さん みんなみんなが 親切にしてくださって・・・

  旅先でこんなことになると 人の情け が身に沁みます・・・

そんな話をして 癇の酒を2杯 ほどよく酔いがまわって 

  この 茸鍋:たけなべ とゆーのとご飯をください

 それは 茸鍋:たけなべ ではのーて 
 この辺 茸鍋:こけなべ てゆーんですよ

6444

                  
   山でコケ 
      高山で食う 
          茸鍋ぞ

このあとに 白山に1泊2日の登山をやり
あわら市=金津に移動 イベント2日 そして帰宅

1日3時に 前穂高山頂付近でザックリ
2日4時に 高山日赤で4針縫う
4日12時 白峰村診療所で 消毒と補強
5日10時 あわら市加納病院で 消毒

岐阜→石川→福井 と治療のリレー
そのたびに 診療情報提供書 を書いてくださり
つぎに診る医師のための情報が加わっていく

 あー ありがたいなぁ ニッポンって国は
 こんなに高度な医療が どこでも受けられる
 社会資本=インフラ ってこーゆーことやなぁ

医療の水準が上がること 
そのオカゲで平均寿命が 伸びる
老人が死なないから ではなく
乳幼児の死亡率が下がるから 伸びる

6512

4針 縫ってある 薬指中指にもかすかに傷 一文字

ステディテープ 3ミリ×50ミリの細いテープ
バッテンにして 2箇所はってあったけど もうはがした

 わざと 針数すくなく粗く縫ってある
 切って 25時間たってからの縫合手術なんで
 化膿の恐れ 針数多く縫うと 化膿の恐れ さらに高まる 

傷口を見て そのように 解説してくれた
白峰村診療所の青年医師 化膿してない
もう化膿の恐れすくない 粗い縫い方の傷口
はやくふさがるようにと ステディテープで補強
翌日診てくれた老年医師 ステディテープは
できるだけはがさない方がいい と 消毒のみ

・・・・ありがたい 
・・・・プロたちのリレー

あとの二つの支払いは 家からファックスで
国民健康保険証を 送信したんで 保険あつかい
高山日赤の分は自費ではらって のち返還手続きをとったが
この縫合手術の現場での支払い がたったの ¥14450 
医師2人ががりでベストの処置 4針縫って ¥14450
なんか 意外と 安いんやなぁ と思いました

    ありがたいことである プロがいる ってことは

6632

    帰宅して1週間
    ケガから2週間 10月なかば
            こんどは白出沢から登って
            キレットを越えて 槍ヶ岳開山


ーーーーーーー----------------------------------
なにがしか 
みなさんのお心に 
とどきましたでしょーか? 
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最終更新日  2010年01月19日 07時21分22秒
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