「文学の悪魔的宝石達」
ぼくは、きみのように難しい本を読むことは 出来ないけれど、小説の効用は知っている。 その世界が導いてくれるままに進むと、 そこには、もう一人の自分がいる。 そして、それまで語り得ずにいたあらゆる事柄を 言語化して、代弁してくれるのだ。 ジョン・フォックスという作家は、 ぼくのひりついた気持ちこそ真実だと同意し、 居場所を与えた。 ジェントルマン / 山田詠美/著 *** 久しぶりに小説を読み終わった。 (たぶん、村上龍の「こころはあなたのもとに」以来だ。) 本当に、「文学」というものを読んだ、という思いでいっぱいである。 文学をwikipedia で調べてみると、 言葉(口頭または文字)によるコミュニケーションのうち、言語のあらゆる力を活用して受け手への効果を増大させようとするものとして定義される。 と書いてある。 一抹の小説と違うのは、この 「言語のあらゆる力を活用して受け手への効果を増大させようとするもの」 というところかもしれません。 つまり、読後感がよく「あぁ~面白かった」というものよりも、 多少読後感が悪くても「人生を深くえぐる」ような 生き方自体を考えさせるのが 本当の「文学」なのかもしれません。 そういう意味で、「ジェントルマン」は 今まで読んできた中でもかなり「文学」の純度(?)が高い作品だと感じた。 読んでいる間はずっと「三島由紀夫」のような世界だと感じ、 (おそらく筆者も意識している) 途中、阿部定さえも想起させる。 破滅の美学、というにはあまりにも言葉が軽いが、 決して古臭くはなく、自然に読者を啓発させるような 内容であったと思います。 文学とは美しく、純粋なものと思われがちですが、 それは、醜さをさらけ出す「美しさ」のような 逆説的な部分がかなり多い。 筆者の、人の心を撫でるような言葉に、 読者は自分の心の「美醜」を見つけ出し、 それが俗に言われる「純粋」へと導いてくれるのかもしれません。。 もちろん、ここで言う「純粋」とは心の状態であって、 俗世間の規範を意味するものではまったくありませんが・・(苦笑) こういう文学はあまりお目にかからず、 結構小説から遠ざかっていたのですが、 また探して読もうかな、と思います。 久しぶりに「文学の悪魔的宝石達」(カテゴリ)でした。。 David Sanborn - I Told U So