最初の告知妊娠中に羊水が減ったり増えたりという症状がありました。産婦人科病院の先生から『赤ちゃんの腎臓に何か病気があるかもしれません』と言われていました。 出産後、小児科の先生がエコーで調べたら、やはり腎臓に病気があるとのことでした。 奏太は未熟児であることと、体温が低いことと、産後呼吸がちょっと不安定な時があり保育器にずっと入っていました。 ガラス越しの奏太にいつも思うのは『そこは居心地がいいかな…』ということでした。もし奏太が不快なら嫌だな。。。って毎日思っていました。 保育器を出られることになり、退院も1月26日と決まりました。 24日、朝の授乳に行くと看護師さんが授乳が終わったら先生の診察とお話がありますと言われ、退院指導かな~と授乳後診察室へ。。。 私の診察は終わりOKをもらいました。 けれど、先生は『赤ちゃんの事で二つお話があります。』と。。。 1つは腎臓の事でした。 おそらく腎臓の1つが『水腎症』だろうと。。。1つはかなり進んでいるようだと。 先生が見てくれたエコーは簡単なものなのではっきりとは分からず、退院後市立病院の診察をすぐ受けたほうがいいとのことでした。 2つ目は『心雑音』があるとのことでした。 心臓のどこかに『穴』が開いていてそこから音がするのだと。 心臓に穴。。。奏太は。。。大丈夫なの。 先生の話を途中まで聞いて私は、『ちょっとトイレに行ってもいいですか?』とその場を離れました。 というか、あまりのショックにその場には居られず、しかも急にお腹が痛くなり、そうしなければとてもいられませんでした。 退院指導だ~!なんてお気楽に診察室へ行ったのに。 けれど、泣いている場合でもなく、その産婦人科から市立の小児科の予約をしました。 部屋に戻ってすぐパパにTELしました。 泣いて話ができず。 その日は一睡もできず。 ただただ 自分を責めました。 退院の前日、母子同室を希望しました。 ただすやすやと眠る奏太を見ていて、この子の人生を考えて、一緒に病院の窓から飛び降りて死のうと思いました。 奏太を抱っこして窓の前に立ち、何度も考えました。 けれど その度に生まれたばかりの奏太がにこっと笑う。。。 結局私には一緒に死んであげる勇気すらありませんでした。 周りの赤ちゃんは日に日に母乳やミルクの量が増えていくのにまだ10CC飲むのがやっとの奏太。 奏太を抱きしめながら、 ごめんね ごめんね そんな言葉しかかけてあげることができませんでした。 奏太の病気を携帯で検索していたら、いろんな事が良くも悪くも目に飛び込んできました。 奏太の病気の事を言われたとき、 どうして? どうして奏太が? という思いと、心のどこかに やっぱり… という思いがありました。 やっぱり…というのは障害を持って生まれてくるだろうということではなく、なんとなく奏太が私のところに来るような感じがしていたからです。 いろんな事を勉強して いろんな病気と闘っている子供がいることを知って このままではだめだ… 奏太のためには悩んで泣いている暇はないんだ と考えて死ぬのを思いとどまってからは、 泣きながらも奏太を家族みんなで大事に大きく幸せに育てていこうと決心しました。 奏太にはパパ&ママがいる 奏太にはお姉ちゃん達がいる 奏太にはお爺ちゃんお婆ちゃんがいる 奏太には沢山の同じ病気と闘う仲間がいる 奏太は1人じゃないんだよ 大丈夫 大丈夫 ジャンル別一覧
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