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カテゴリ:ちいさなくらし
梅の季節です。
梅の小枝で鶯が 春が来たよと歌います。 ほ・ほ・ほけきょ。 ほ・ほけきょ。 祖母がよく歌ってくれました。 祖母は梅が好きでした。 今から・・何年前? すっかり忘れてしまったけれど。 そうそう。 15年前だか16年前の今頃、 私は結婚式で(爆) 右手に持つ扇子の代わりに、 梅の花のついた枝を持ちました。 祖母にきてもらいたかったし 見てもらいたかったからです。 私はとても祖母に似ています。 この大きな手もそうです。 町のおばあちゃんたちが私に会うと、 そっくりだね~といって泣きます(笑) 「東京なんかに行っちゃって~」と泣きます(笑) 祖母は若いときからみんなにとても優しくて、 お金が無い困っている人や、 子ども連れて何日もお風呂に入っていないような人、 怪我をしたひとなどにも平等で、 お金なくてもいいからって、 温泉に入れて休ませていました。 それがどろぼうだったこともあったそうですが、 いつも何があっても笑い飛ばしていたそうです。(笑) 近所のおばあちゃん達の話によると、 祖母のことをみんな優秀な級長さんだったと言います。 上の学校に行かずに、子どもの頃両親を亡くしたため、 宿屋のあとを継いだそうです。 私にもよく、「真面目が一番だよ」って言ってました。 そんな祖母が亡くなる前、 父のことを筆談で話してきました。 お父さんは長男に生まれてきたから 夢を途中であきらめて 家業を継がなければならなくなったことを 悪かったと思う。っていうようなことを 何度も私宛てに書いていました。 でも、自分もそうだったんだな~と後から 近所のおばあちゃんの話を聞いて思いました。 みんながそうやってつないできた 愛の輪の中に私たちがいる。 KaLeiAlohaINaKupuna だから私はこのチャントが好きです。 私は祖母が大好きだったので いつも祖母のそばにいました。 スケッチブックに何枚も何枚も お花の絵を描いていました。 お誕生日には母が画用紙と絵の具をプレゼントし、 子ども達や孫達が持ち寄る お花をいつも描いていました。 短歌も詠んでいました。 いつも自分のお母さんのことを 詠んでいました。 祖母の母が旅館に嫁いできたころ、 石炭の掘りすぎで温泉が枯渇しました。 温泉旅館として温泉が出ないのは、致命傷ですので 何軒もの旅館が閉じたそうですが、 祖母の母は山まで水を汲みに行って、 沸かして、お客さまをお風呂に入れていました。 毎日毎日、一日に何度も。 畑仕事をしている祖母の母の様子をいつも 祖母は歌にしていました。 結局温泉が出る前に祖母の母は亡くなりました。 温泉に一度も入ることなく。 いつも祖母は、笑顔でした。 いつもめんこいな~めんこいな~って 息をふ~ふ~ってかけながら 大きな手で私の手を包んで 部活から帰ってきた私の手の甲をさすってくれました。 セラピストとしての原点は 幼少期のころの思い出とつながっています。 何百万人と母と呼ばれる女性は 世の中にたくさんいますが、 自分の母が一番の母です。 そう思うのも祖母の短歌のお蔭です。 1月22日・・ とても澄んだきれいな鳥の鳴き声が聞こえました。 静か~に窓をあけると、庭先の山茶花の木に 鶯色のうぐいすがとまっていて 変わった鳴きかたで鳴いていました。 梅の花が咲くころ、いつも祖母を思い出します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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