2006/10/25(水)16:02
チャリティイベント@USJ
今週の土日は、USJでチャリティイベントでした。
8月は東京でインターン、直前はイギリス、と自分のことでいっぱいいっぱいになって
迷惑ばかりかけて、力にもなれず。
そんな状態でのスタッフ参加でした。
前日に、スタッフの一人の学生に「仕事が遅い」「迷惑をかけてる」と直球を投げられて、
はた、と考えてみたら、とにかく逃げ癖のついている自分。
まわりの人は何も言わず見守ってくれていたのでしょう。
学生は私とその子だけだったから、その子にあそこまではっきり言うてもらわなかったら、こんなにすっぱりとは気づかなかった。
面倒なことは後回しにして、「今やる」ということから逃げて。
考えないようにして、自分と向き合おうとしないでただただ逃げている、そんな自分がそこにはいました。
「幸せな家庭を増やしたい、子供の笑顔を増やしたい」
なんて口では言いながら、私のやってきたことは?
「大人なんて信用できない」とよく言うていたけれど、今まさにその大人となっている自分。
子供たちに、めちゃめちゃ申し訳なくなって、当日どんな顔をして会ったら良いんだろうと、
結局、子供たちから逃げた自分に、彼らは何を思うのだろうと。
考えもまとまらないまま、迎えたチャリティ当日。
うちがスタッフでいることを子供たちには言うてなかったので、
「へ?みっき、なんでいるん?」
という素朴な疑問から始まり(笑)、
スタッフやと主張しても、
「USJにたまたま来たくているだけやろ」とか言われつつ(笑)、
あたふたしつつも、チャリティは無事、終了。
「こんなんに時間やお金をかけてる暇があったら、バイトしいや」
なーんて、10歳の子供に現実的な意見もいただきつつ…
今年の講演者、望月さんの宝地図のWorkshopもばっちり。
去年の中村さんのお話では、ちょっと集中力が続かなかったけれど、今年は皆、せっせと創ってました。
いきなりのスピーチ以来に、頭ん中、真っ白になって無様も良いとこ!!な情けない姿をさらしつつ、
子供たちの笑顔を見ていて、すっごい変な感覚に襲われ。
そのきっかけを自分が創れた、ということに対して、新鮮な驚き。
え?これって、うちが関わってるん?みたいな。
最後のバスお見送りの時、
「先生、また施設来てや」という声もあったけれど、「みっきのばーか」という声の方が多かった(笑)。
そんな子供たちの声に、
「あれは、みっき大好きって声なんやで」
とまわりは教えてくれて、
うちも、それが彼らの愛情表現だって分かっているから、嬉しかった。
少ないおこずかいの中で、私にマックシェイクをくれたり、色鉛筆をくれたり、
物理的に恵まれてる訳じゃないのに、それでも与えようとしてくれる子供たちに、涙が出そうになった。
子育てをしていると、こうやって子供に教えてもらうことが多々あるんだろうなと思った。
でも、自分が彼らからも逃げた、という後ろめたさを抱えながら、
彼らの笑顔だけを見て、ああよかった、なんて結論にしようとするのは、エゴだと思った。
こっちの愛のない行動にも、変わらず愛してくれる子供たちがそこにはいて。
ああ、変わらず愛されている、良かったなんて嬉しく思い、
逃げた事実も何もなかったかのように、子供たちと生き続けるなんて絶対にあってはならないと思った。
子供たちは、大人から愛をもらえなくても、愛を与え続けようとする。
愛そうとしてくれる。
時に、大人の非を自分の非にまでして。
愛する相手に愛してもらうために、必死で愛を示す。
かつての私が、そうだったように。
分かっていたのに、同じことをしてしまった。
自分の身勝手さが生んだ事実。
それが今回一番、自分にとって痛かった。
子供たちにどう思われたのかは分からない。
彼らに非があるから、私が離れていたんだと思わせていないことだけを願う。
もう逃げるのはおしまい。
怖くても、時間がかかっても、向き合っていく。
そしてもし、
逃げてしまってもまたそこへと戻り、
これからは逃げないで向き合うことを、選択していくしかない。
それが、今回のチャリティで学ばさせてもらったこと。
必要なものは、必要なタイミングでやってくる。
一年前は、気づいていても認めることができなかったこと。
今回は、気づくことができてよかった。
今はただ、共に存在してくれる全てのものに、ありがとう、と思わずにはいられない。