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今日は、『母の日』ですね
母と言えば、私は子供の頃余り好きな人では無かったの 何故かって 母は、シングルで3人の子供を育てたんだけれど。。。。 私は、長女でいつも叱られてた と言うより怒られてたって感じかな~ 『叱る』と『怒る』では、意味合いが全然違うよね~ 『叱る』相手のことを事を考え、相手に非や責を理解させるためにする双方のコミュニケーション 『怒る』自分の感情を表現する一方通行の感情表現 怒られる意味が、全くわからなかったの だから私の心の中には。。。 『いつも私ばかり何故怒られるのだろうかもしかして、私は他所の家の子供でもらわれて来たんじゃないだろうか』と小さな胸を痛めてたの 亡くなった母方の祖母に『私は、拾われて来た子供なんかね~』と尋ねた事が有ったの すると祖母は、『川に流れて来てるのを拾って来たよ。どんぶらこ~どんぶらこ~って流れて来たからね』と真剣な顔をして言うの 『やっぱり~』とションボリしてたら大笑いして 『ちゃんとお母さんのお腹から生まれて来たよちょっとせっかちで、7ヶ月で生まれたのでとても小さかったけれどね可愛いお猿さんみたいだったよ』と満面の笑みを浮かべて言ってくれたの まあ、とてもユニークな祖母だったのでそのDNAを私が受け継いでいるのかもしれない。。。 そんな私も大人になると母の大変な状況や気持ちが理解出来るようになったのだけれど。。。 なかなか子供の時に出来た心の傷は、埋まらなかったの 心の中で、母を否定してた でも母の事は、気になっていたけれど、元気だしお友達も多くピョンピョン飛び歩いていたので安心をしてた 『家のお母さんは、絶対ピンピン元気で長生きする』と勝手に思ってたりもした でも一昨年認知症になり私が、介護する事に。。。。 開業し始め今からと言う仕事もそっちのけで、必死に世話をしたの 認知症の知識も余り無く母の様子に付いて行けず、自分の心が壊れそうになったの 自分でも勉強をしたけれど、色々な人からアドバイスを頂き漸く少しは落ち着いた生活が出来るようになって来た 何故かその時に『母の認知症は、母と私の心の溝を埋める為に神様から与えられたチャンスだ』と思ったの 母と一緒に行動をし話をし、母のお友達とも関わり色々な母の人間性を垣間見る事も出来、私が子供の頃に思ってた母とは違う面を見て納得する事が出来たの 鬼のような母だと思ってたんだけど、とてもお友達に親切で優しく面倒見の良い人。 健康には、人一倍気を付けて子供達に出来るだけ迷惑をかけてはいけないといつも思って気を付けている。 勿論、お喋りも大好き 妹や私が、結婚する時に『お金が無くても無いと言う素振りを主人に見せてはいけないよ。それから仕事から帰って来たらビールをちゃんと冷やしてお疲れ様って言って出してあげるんだよお金は、ちゃんと家計簿を付けて主人の働いて稼いでくれたお金の無駄遣いをしないようにするんよ』 どれだけの事が、守れてるかは。。。。。 妹も私も家計簿だけは、言いつけを守り結婚してからずっと付けてるの それだからどうって事もないけれどね~ でも、母は母なりに私達に躾をしてきたんだと思ったの 一番の教育は『一生懸命働いて子供を育てる親の姿』 流石にこの姿を見せ付けられたら悪い道に進む気にもならないよね~ 先日も妹と話をしてて色々母の話もしたんだけれど。。。。 2人が思った事は、『この母が、私達の母親で本当に良かったね~』と口を揃えて言ったの そう思えるようになってから母に『お母さんは、世界でたった一人の大切なお母さんだから』と素直に言えるようになったの 『きっと母の生き様を見ながら私達も同じように歳をとって行くんだな~』 母のお世話は、楽な事ばかりじゃないけれど。。。。 私に色々な事を学ばせてくれてる 朝一番に母に『お母さんが、私のお母さんでありがとう』と電話をしよう お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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