2005/05/25(水)19:02
あれから
関西で起こった列車事故の惨事から一ヶ月が経過したと朝のニュースではどのチャンネルもトップで伝えていました。
そう、私が骨折して、病院に行った日から一ヶ月が経過したんですね。
と、本来ならばネタとして使えそうなところ、こればかりは、あまりにも多くの命が失われている。命だけではなく、怪我をされた方、心に傷を負った方。あまりにも多くの人の悲しみがある中で、そんな不謹慎なことを言えるはずもなく。。
私は、小学生高学年の頃、「アナウンサー」という職業に憧れていたんですね。
何故かというと、単純に「朗読」が好きだったり、マイクを通して決められた原稿を読むのが好きだったからなんですが、
おデブだった私は、先生から、「テレビはやめてね。せめてラジオにしてね。」と言われて、いつもながら私のキャラとして「失礼な!」と流したものの、小学生ですからね、小学生なりに傷ついたものです。
いずれにしろ、
中学校になって、「アナウンサー」という仕事が、単に、スタジオで「原稿を読む」だけの仕事ではないと知ってから、その職業は私には無理だと諦めました。
理由は、「取材」「インタビュー」が出来ない。
昔からそう。今もそう。
人に、根掘り葉掘り「聞く」ことができない。
その人の心情、情況がある中で、「仕事」という理由で土足で踏み込むようなことはしたくない。できない。
世の中でなれない職業があるとすれば、「芸能レポーター」「しったかぶりのコメンテーター」^^;
話をモトに戻すと、
事故のニュースを見て、会社側の対応、事件解明におけるコメントの仕方というのはとても興味があるのですが、
突然の不幸が起こった人たちの、残った家族、友人のみなさんの
コメントは聞けない。聞くことが出来ない。
たとえば、3月に「乱気流」に巻き込まれたとき。
無事に着陸できたとき、その内部を写真に撮っている人が何人もいた。
こんな経験滅多にすることではないし、友達に話すネタとしても、、と
いつもの私なら、写真におさめるところ、
隣と前方に怪我をした人を目の前にして、
自分が無傷だということに感謝しなければならない、
それを、茶化すことは決してできない。と、写真に撮ることはできませんでした。
プロ根性ある「カメラマン」にもなれないな~。
一ヶ月。
一ヶ月という期間で、私の骨はくっついたかもしれませんが、
あの事故に巻き込まれた方にとって、心の傷はくっつきようがありませんよね。
あの事故の騒ぎに便乗する人、世間を騒がせたいという理由で、線路にものを置く人たち。
とても、とても、理解することができません。
とても、とても、ココロが痛い。
あー、なんだか、久々に感情的な日記になってしまいました。
一度、会社で泣いたことを報告してから、タガがはずれてしまったんでしょうかね。。