久しぶりのセッション!!その2
お待たせしました。いよいよ続きの始まりです。本当に、待たせすぎですよね。トホホ取り組みはしていたのだけどね。なかなか完成しなくてで、車の中で母のコーチが始まりました。どうして、その子達とうまくいかないのか。過去にもそういう経験はあったのか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・過去にもありました。そういう経験。高校時代。私は、周りの子達の将来への考え方に対していつも疑問に思ってたの。今さえ楽しければそれでいい。明日死んでもいいように。自分の好きなように、自由に生きる。自己中心的でなにが悪い?それはそれでいいのかもしれない。でも、私にはできなかった。友達の悩みには親身に答えてあげたいし。これからの人生が幸福だって思える人生にしたいから、努力もしたい。一生懸命悩んで、苦しんで。将来に夢を持っていきたい。いわゆる『アツい生き方』ある意味『ウザい生き方』をモットーとしてて・・・。そのギャップにうんざりした私は、高校時代はある意味で本当の自分を押し殺して生活をするようになってしまいました。そう。私は彼女達の生き方を真似したフリをしたんです。自分の生き方を主張しても、誰も共感なんてしてくれない。『友達は大切じゃない』彼女達にとって大切なのは彼氏だったり自分自身だったり。決して友達は一番じゃなかった。ように私の目には映っていた。だから、みんなと同じように、私も大事にしなかった。悩みを聞いても流して。耳では聞いてても心では聞かなかったし。その場限りのお友達。家に帰ったら遊ばず勉強に励み。学校の無い日は、勉強するか中学時代の友達に会いに行くか。そんな生活をしてた。要は、諦めてたんだな。本当の自分を出しても仕方が無い。って。馬の耳に念仏だって。それを、少しだけくつがえす事件が卒業して8年経ってあったの。それは、ある高校時代の友人の結婚式に出席した時の事。最後の両親の手紙の時に彼女の父親が5年前に亡くなっていた事を私は初めて知った。卒業して2年くらい経って、偶然に連絡を取って何回か遊んだ事もあるのに。その当時は、私も上辺だけの付き合い程度でしかなかったから、重要な話も私もした事なかったし。精神世界とか。彼女の父の死にびっくりしただけではなかったの。彼女は、彼女の親友にも半年くらい経ってから話したんだって。その話を聞いて、もっとビックリしたし、それと同時に彼女を見直した事があったの。明るくて、何も考えてないように見えて、きちんと考えてるんだよね。実父の死が悲しくないわけないのに。私だったら、絶対周りに聞いて欲しいって思うはず。せめて親友には・・・。自分の苦しい事を知って欲しい。理解して欲しい。って私は、そう行動する。私はそうするけど、彼女は違った。そう。彼女の中で彼女のルールがあるんだ。セッションをする中でハっと気付いたの。そこから、芋づる式に答えがダーーーーーーっと出てきて・・・。コーチングしてもらう中で気付いた事は・・・・。私は私の物差しでのみ全ての物事を測り、周りの人間を理解したフリをしてただけだった。って。私の今まで生きてきた環境とは違う、時間が彼女達にも流れてて・・・・。仲良くなるのも、理解するのも時間がかかるんだよね。そういう場合もあるんだよね。私は、『袖振り合うも多少の縁』って言葉が好き。縁ある友人とは、理解し合い、調和の取れた関係を築いていきたい。だから、私は『待つ』事をしてみよう。彼女達のペースに合わせてみよう。すぐに答えは出なくても、長い付き合いの中で信頼関係は築いてゆけるのだから。。。そう思うと、すごーーーくスッキリして、心が軽くなったの。彼女達に対するもどかしさも、長い付き合いの中で改善されるだろうし。何より、早く答えを出そうとしすぎてた自分が無理してて・・・・。そうしなくても、信頼できる人間関係は築いていけるんだって気付けただけで、見えてくる世界が全然違くて・・・。本当に、幸せ♪長くなりましたが・・・・。これが、久々セッションの効果でございます♪ありがとうございました♪