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愛でいっぱい 光でいっぱい みんなでハッピー

神に出会った時の話 2009年1月21日

 神に会ったときのことを書きたいなって思います


私は よく書くけど 9年前まで自分がとても嫌いで
いつも人が怖くて 人の中に入れず
人の目が怖くて 人から変に思われないように生きてきました

車を買うときも 今なら いかに可愛くて いかにピンクで いかに 私らしいのにするかで買うけれど
服も いかに自分がそれを好きで 可愛いって思って着てて幸せになれるかで決めるけど
その時の私は いかに 人からよく思われるかで全てを決めてました

いつも人から好かれるように自分を作っていました

無理していつも笑ってました
人の目を見て話さなくなっちゃって思って いつもびくびくして人の顔を見るけど
目を見るのは やっぱり怖くて いつも目を見れなくて そんな自分を責めてました

いつも自分だけが孤立してるようでした

一人でいるのが好きだけど 一人でいると あの人友達もいないの?って思われるのが
怖かった

今にして思うと笑っちゃうけど

友達が多いのが人格の豊かさだと思ってました
今は思わないけれど


でね
そんな私だから 29歳で不安神経症になりました
ほんとうに怖かったです

歩くことも出来ないの
安定剤を手にしながら歩きます

車に乗ると 発作を起こしそうになって(29歳でいきなり息が出来なくて倒れてから
怖くて 何も出来なくなった)
乗れなくなりました


不安というのが はっきりした どっしりした恐ろしいものだと知りました
怖かった
ほんとうに

真っ暗なトンネルにいるようでした

今 思っても怖いです

怖さで壊れそうで発狂しそうで命の電話に電話したこともあります

自分が信じれなくなったとき いつか犯罪を犯すんじゃないかと思ったとき
ほんとうに怖かった

そんな私で 神経科に自らいったけど 私には何もならなくて
何をしてもだめだった

でも
36歳の誕生日に 神に「もう嫌だ こんな人生 どうして私が生まれてきたの?」とか
書いたあとに 自分を愛するということに出逢いました

それらは hpの「愛してあげよう 許してあげよう」に書いてます

それを少し詳しく書いていきたいなって思います


自分を愛するということを知らなかった私は
自分を愛することを決めました

それらは スピリチュアルというものに全く縁のない私は
何から何まで 自分を愛するとか 愛とか聞いたことのない言葉で
でも もう苦しくてほんとうに発狂しそうで死にそうだったから
藁をもつかむ気持で しました

二冊の本に出逢いました


一冊は ルイーズ L ヘイさんの「心が満たされる本」です
本屋さんで 神様に「もういやだ こんな人生 どうして私が生まれてきたの?」と
神を恨み文句を言ったあとに ふらふら本屋さんに行って なぜか手にした本です
決して手にしないような本だったかも

その本を見て 違和感を感じました
自分を愛するなんて言ったことなかったからです

でも もう そのワークをしなければ自分は発狂すると思ってました

その本には
鏡を見て「私を愛してます」とかいうミラーワークがありました

全部しました

鏡見て 「私を愛してます」って言う時の気持ち悪さ
私は言ったことがないからです

でも 私は作者が好きだった

彼女は 3歳かで両親が離婚
5歳でレイプ 暴力虐待を受け育ち その後 結婚 生まれた赤ちゃんを捨て
そして40歳で癌を宣告
その時自分を愛さなくちゃって分かり 分かって癌を克服
自分を愛せば癌がなおり 今80代のおばあちゃん

私は彼女の壮絶な人生から得たものに勇気を得ました

私は誰かを自分よりも高めるということはないけれど
彼女と 西尾和美さんには 感謝してます
恩人だから

それで彼女のワークをしました

それから 西尾和美さんの本にも出逢いました

アダルトチルドレン癒しのワークブックです

この本をなぜ私が手にしたのか
全く無縁の人間だったから 時期だったのだと思います

書いてることが私にあてはまりました

一月かけて そのワークをしました

泣きながらしました

私にはそばに友人もいなかったし インターネットも こういった世界があることも
全く知らなかったからです

何年も前からあったのにね
全く知らなかったの

でいきなり私は神に会ったから 乗り越えたワークが ヒプノに似てたからヒプノセラピストになっただけです

ほんとうに苦しくて
なので一つ一つ自分でワークをしていきました

感情は体にたまると書いてあって 動かしながら感情を出すというところでは
動かさない筋肉を動かしてると
うおおおおお~~~~~ううう
って恐ろしい声がどこからか沸きあがってきます
私の口から
それは 私が長年 自分の中に たくさんの感情をためていて それが体の筋肉さんが
受け止めてくれてたんだって分かりました


子供時代では
小さな自分を思い出し 大きな自分が私を受け止めてあげるワークを一人でしました

例えば その中の一つでは

三歳の私がトイレで起きた時 ふすまの向こうから親が泣いてる

「麻里子が あんなにひねくれたのは弟が生まれたからだ 」って お母さんが泣いてた

3歳の私は その時 なんとも思ってなかったように思うけど
ほんとうは辛かったんだって分かった

無表情でふすまの向こうで 麻里ちゃんが聞いてるの

でね
私 いたずら好きで 今もそうだけど いたずらいっぱいしてきたの
でも でも 誰かを傷つけようとか思ってなかった
ただわくわくしてて
でも お母さんが泣いてる

私はわるい子だったんだ



お母さんは私をひねくれた悪い子って思ってたんだ
私は愛されてなかったんだって

それをずっと感じてたのかもしれない


それをその時 36の私がふすまのそばまで下りていって
こう言うの

「麻里ちゃん 何突っ立ってるの? 麻里ちゃん 麻里ちゃんはね
いい子だよ 可愛くてね 素直でいい子だよ
私は知ってるよ
誰も傷つけようとしてないこと
悪い子なんかじゃないよ
優しい子 あったかい子
いい子だよ
いい子だよ」って私が抱きしめるの

小さな麻里ちゃんは わんわん泣いた わんわん泣いた
びっくりした
こんなに傷ついていたなんて
こんなに我慢していたなんて

私も泣いた
一緒に泣いた
わんわん泣いた
抱きしめながら泣いた

可愛いんだもの
愛しいんだもの

こんなに可愛い子を どうしてお母さんはわるい子って言ったんだろう

私なら この子の表情ですぐにこの子は悲しがってるのを気づくのにって


それでいっぱい抱きしめた

そんな思い出はいっぱいあったから たくさん たくさん 思い出しては
していった

長い時間が かかったようだった

そのワークを今は 私は 仕事として人にしてるけど 自分を愛して笑顔で自分の愛を
思い出してくれるのが嬉しいから
私が笑顔になったように
今度は私が飛び箱の踏み台になりたいと思って セラピストになりました

全部したときに
私は ほんとうに苦しくて それしか道がないと思ったから きっと死に物狂いでしたのだと思います

で 全部したときに 親に手紙を書くというのがあって
それをしました

それらは「愛してあげよう 許してあげよう」に書いてます

親に手紙を書くまでには たくさんのワークをしました

お母さんから返事があったとき(返事がうんぬんでなく その時は 私は私を私なりに
受け止めてたから)

涙がいっぱい溢れてきました
滝のように

そんなことは この人生になかったことでした

滝のように涙が溢れ
その時に
心臓が 何キロも奥から外に向って膨張し 拡大に四方八方に飛び跳ねていくようでした

胸の奥が広がって
あったかいものが溢れ出して来ました

初めての経験でした

私の体中の細胞という細胞全てが喜び 何キロも飛び広がっていくようでした

全てが喜びました

その時 上から声が聞こえました

声というか伝えられました


「よくやったね

もっともっと上においで

あなたは来れる人だよ 」って


その時

とってもあったかいものが 私の中を包みました
全てで包みました

あったかかった
あったかかった

涙が溢れました

私は愛を感じれないような気がして生きてきたけど
いつも人に嫌われてるように思って生きてきたけど

そのあったかいものは
それらを全て抱きとめて包んでくれました

大きな大きな見えないけれどゆりかごに包まれて抱かれてるような安心感でした

どんなことをしようとも
どんな生き方をしようとも
私は愛されてるというのが 全てで分かりました

思い出しました

私は愛されてる
私は愛の一部だから


その時
言葉が伝えられました


「神」

「愛」


私は 無宗教だけど
全てで分かったの

ああ これは神だ
愛だって


光はなかった
きっと私はありとあらゆる光そのものだったから
私には光は映らなかったのだと思います

無だった

でもそこには 生きてる人も死んでる人も 罪といわれるものを犯した人も 愛した人も関係なく全てがとけてた
見えないけれど 溶けてるのが全てで分かった
それらを愛しくて愛しくてたまらないという思いが私を包んだ

神なの

愛なの

形はないんだ

エネルギー

そこに私もいるよ
あなたもいるよ

分かるかな?
知ってるはず


神と愛は同じです

神には名まえなんてない
形なんてない

全てを越え 全てを含んでる

なので全ての名まえであり形であるともいえる

あったかかったの
とっても
優しかったの
とっても

愛されてるの
誰もが
私も含めて
みんな

愛されてないものなんてない

だってこの世界は愛で出来てるから


それらを全て思い出しました

そのあと また見えた時
その時は
真っ白でした
トランポリンのような白いふわふわした山ように
浮き上がったりの曲線
その一面 真っ白が映りました

私は全て思い出して
愛そのものだったことを思い出しました

全てを越える

至福しかないです

ここに私たちはいて 今もいる

根源
愛そのものです

だから私は いろんな上昇ゲームには乗らない
乗らなくても すでにここに在るから

ここにいるのは意味がある
愛であることを思い出す

それは今を生きること

愛を知ること(すでに愛だけど)


あったかかった
優しかった
大きかった
大きいって言葉も越えてるけど

私は神に会いたくて
愛そのものに包まれたくて
愛であることを思い出したくて

ううん
この至福をまた味わいたくて
あったかい中にずっといたら感じれないんだもん

生まれてきたよ

許すことをしたくて

持ってきたの

許せないこと
愛せないこと

それらをね
許すの

その時
経験できるから

神を
愛を

それは言葉には出来ない
言葉であらわすことは出来ないよ

それだけ素晴らしい
そしてそれは遠くでなく自分の中にある

今をちゃんと生きてる人が手に出来る
超能力をいくらもっても そこじゃないと思う

自分に与えられた日常の中から
許せないものがあるのなら そう思う自分を許すこと
傷ついたのなら泣いてる自分を許すこと
愛することの中にある
特別な何かにはないよ

どんなに山の頂上で瞑想ばかりしてもないよ

生きた経験の中から来る

ブッダもそうでしょう?
たくさん経験してきた

世界的な賢者と言われる人たちは 経験してる
それも あまり嬉しくない経験
辛さやネガティブ 傷つくことをいっぱい経験してる
それらを許せた人たちだ
自分の中で

私は悟るとはそういうことだと思ってます

形や技術でうんぬんではないように思います
生きた自分をどれだけ許し認め愛せるかじゃないかなって


神に会った時は
全てが愛しくて 全てを愛さずにおれなくて 私は逃げました
宗教家になりそうな勢いだったの

きっと神を説く人になるって思ったの
それが怖かった

漫画読んだりお菓子ボリボリ食べるということが出来なくなるって思った

で逃げたんだ
怖くて

でも また一年後に会えたから

私は もう神に会うことを喜びとしてる

だから 私 臆せず日記でも 神という言葉や愛って言葉を書く
全てだから
私にとって
大好きだから

神はあったかい
名まえも越えたエネルギー
何次元とか越え あるいは含み
私はその根源にいる
だからそこに還る

ここで出会ってる友達たちもそうじゃないかな
根源にそのまま還ろうよ
って今もいるけどね

喜んでいきよう

そこに在るんだから がんばらなくてもいいんだよ

欲しがらなくてもいいんだよ

自分たちがすでにそうなんだから

神の一部で
愛そのものなんだから


そうして9年たちました

まさかこんな仕事をしてるとは思わなかった

でも神に委ねてる

私は愛されてるから
あなたも愛されてるから

この世界は愛で出来てるよ
それが真実

今 ここにいるのは あのあったかい愛である自分を
神に抱きしめられるあったかさをまた全てで感じたいから
でもね
感じなくてもそこにいるんだよ

自分を愛する経験をしにきたの
忘れんぼになってね
思い出しに来たの

自分がすでに愛そのものだということ

私はここにいるよ
あなたも

私もあなたも同じだよ
愛なんだもん


長くなっちゃった
書きたくなったの

読んでくれてありがとう

あなたは愛そのもの
それが真実

2009年1月21日





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