テーマ:食べ物あれこれ(49624)
カテゴリ:健康・食にまつわる話
絵本 いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日 多くの人を感動させているという、本。 『いのちをいただく』 この絵本を通して、ふだん食べているものすべてに命があったことを思うきっかけになればと、全国で紙芝居や講演会での朗読が行われ、とても反響があるという。 この本には「解く」という言葉がでてきますが、それは「牛や豚を殺すこと」を意味しています。食肉解体業の人たちが使っている言葉です。 私には、「解く」というのは「問題を解く」という感じで、やっぱり殺すことと同義で扱うのはちょっと…なのです。犬猫の殺処分機を「ドリームボックス」と呼ぶことがあったように…。 この本では、女の子が、牛に話しかけています。 「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃんがお肉にならんと、お正月がこんて、じいちゃんのいわすけん。みいちゃんば売らんとみんながくらせんけん。ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ」 明日、肉になる予定の牛でした。 一緒にトラックに揺られてきた女の子は、この牛と一緒に育ちました。 自分のクリスマスプレゼントやお年玉も買ってもらえないのだと、家族に話され、「みいちゃん、ごめんねぇ」と牛を撫でながら話しているのです。 みいちゃんのいのちを解く日、みいちゃんの大きな目から、なみだがこぼれおちました。 みいちゃんのお肉は、女の子のおじいちゃんが言うには、少しもらってかえって、みんなで食べたそうです。しかし、孫は泣いて食べなかった。 でも、「みいちゃんのおかげで、みんながくらせるぞ。食べてやれ。みいちゃんに、ありがとうといって食べてやらな、みいちゃんがかわいそかろ?食べてやんなっせ」といったら、孫は「みいちゃん、いただきます。おいしかあぁ、おいしかぁ、ていうて、食べました」と話しました。 この絵本は、「感動をよぶ」ものとして伝えられています。 しかし、私にはちょっと違ったものとして映ります。 この女の子にとって、「みいちゃんを食べた」ことは心の傷になってはいないでしょうか?心の傷は、癒えたのでしょうか。いえ、女の子にとっては、友だちを食べたようなものです。癒えることはないのでは、と思ってしまいます。そう考えると、大人は罪なことをしてはいないでしょうか。 また、牛のみいちゃんと女の子の絆を考えれば、女の子だけではなく、みいちゃんにとっても、別れは苦しみであり、それ以上に、人間と心を通わせたみいちゃんにとっては、殺害はとても残酷なものです。 このような考えは、大半の人はしないのかもしれませんが、「いのちを解く」というのは、殺害に対して使われています。 私たち人間は、動物のお肉を食べなくても生きていけます。 そのことを、この本を通して考えていただければと思います。
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Last updated
February 22, 2020 11:12:44 PM
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