テーマ:思うこと(3050)
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ヴィーガンの食生活を健康のために始めた、という人もいるかもしれない。 でも、続けられるかどうか、一生続けようと思うかどうか。 それは、動物のため、という思いがなければ、難しいだろうと思います。 その人が、どれだけ動物の苦しみにフォーカスしているかどうかが関わってくる。 動物の苦しみをどのように受け止めているか、考えているのか。 健康のため、というのは自分のため、ということになります。 だから、理由は利己的なもの。 自分の都合で、いつでもやめることができます。 でも、動物の苦しみをなくそう、減らそうと真剣に考えていると、おそらく一生続けよう、続けたいと思えるはず。 でも、行きつ戻りつって、あると思います。 食事に関しては、特に世の中の「ヴィーガン選択肢」が圧倒的に少なく、社会生活の中で続けるには、困難が伴うこともあるでしょう。 (個人の食事においては、何も難しいことはありません)。 そして、意志が強い人ばかりではないから。 自分のライスタイルを公表して称賛を得たり、たくさんお金儲けをしたいと考えたりする人であるならば、その責任の重さは無視できません。 ですが、一個人としてのライフスタイル、生き方の追求であり、アニマルライツのことからヴィーガン生活を始めた、という人であるならば。 個人でしていることであれば、自分なりのスタイルで続けることを考えたらいいと思います。 ちょっとゆるめてみた、という時期が出てきても、いいのでは。 それが一時的なもので、だからもう「やめた」にならないように、そのことを一生懸命考えれば。 生きかた、であれば、その人それぞれの形や歩みがあって、いいのではないかと。 そうでなければ、結果として全体には広まらないかもしれない。 だけれど、ダイエットや自分の健康のみから、といった利己的なものであれば、それはいつでもやめていいでしょう。 それが達成された時点で、終わりです。 また始めることがあるかもしれないけれど、利己的な理由からでは、それを繰り返すだけでしょう。 動物搾取に対する目覚めや気づきにつながれば、その後の様子は変わってくるかもしれませんが。 私は、人以外の動物が、多くの苦しみを人から与えられ命を奪われている、その現実を変えていけたらと思っています。 言って見れば、ヴィーガンはファッションでも流行りでも健康法でもない。 そして、宗教ではありません。 そこには、人類の進化が関わっています。 だからこそ、その人それぞれの歩みでいいと思うのです。 もちろん、その進化の歩みは早ければそれだけ動物の苦しみも減るわけですが。 強引な態度は慎まなければなりません。 人間には、良心の自由があるから。 自由意志があるから。 確信はあっても、威嚇になってはならない。 そういう思いでいます。 動物の現状を考えれば、今すぐにでも気づいて知って意識改革がなされるようにと祈るような思いに至るのですが。 また、忘れてはならないのは、食生活だけが、健康に関係しているのではありません。 さまざまな環境要素もあり、遺伝要素もあり、精神的なものも関わり合っています。 霊性と健康も、深い関わりがあります。 何も身体だけ、という物質的な側面だけを見ていればいいというものではない、ということです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.10.22 09:30:57
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